◆ゴージャスなはずなのに、印象には残らず(30点)
イタリア映画界の巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作『8 1/2(はっかにぶんのいち)』(63年、伊)をリアルタイムで見たものは、皆そのめくるめく映像美に圧倒されたと口をそろえる。
だが映像技術が果てしなく進歩した現在、後から見るものにとっては、もはや彼らと同じ感動を得る事は難しい。最初に見た版の画質が悪かった事もあって、それは私とて同じことだ。
そういう現代人にとって、『8 1/2』のミュージカル版の、これまた映画化であるこの『NINE』は、果たして代用になるだろうか?
新作「ITARIA」のクランクイン直前、映画監督グイド(ダニエル・デイ=ルイス)は完全に行き詰っていた。なにしろ脚本がいまだに書けず、それどころかアイデアも浮かばない。天才の名をほしいままにしてきた自らの輝かしい経歴がプレッシャーとなり、いまや彼は押しつぶされそうとしている。そんな現実から逃げるべく、グイドは数々の恋人たちのもとへ逃避するが……。
天才監督らしく、周りに集まる美女たちのラインナップ(?)がすごい。仏からはマリオン・コティヤール、スペインからはペネロペ・クルス、アメリカからはケイト・ハドソン、オーストラリアからはニコール・キッドマン、そしてイタリアからソフィア・ローレン。彼女たちが、これまたゴージャスな衣装に身を包み、歌って踊る大作ミュージカルというふれこみである。監督はアカデミー賞『シカゴ』(02年)のロブ・マーシャルだから、成功の方程式ふたたび、といったところか。
むろん、そのミュージカルシーンの数々は見ごたえがあるし、それなりに満足はできる。とくにメイン曲たるケイト・ハドソンの「シネマ・イタリアーノ」は華やかで耳にも残る。
……が、それ以外はどうだったのかといわれれば、思わずうなってしまうのであった。
そもそも『8 1/2』はとりわけ面白いストーリーがあるわけでなく、フェリーニほどの才能が地べたをはいつくばって悩みぬく姿を自虐的、自伝的に描いたから様になったのであって、それを赤の他人がミュージカルに仕立てたところでどうなのか。ましてそれを再び映画にすると。私はそこから、映画化への必然性や強い情熱のようなものをどうしても感じ取ることはできなかった。
ミュージカルを求める人には「シネマ・イタリアーノ」以外の楽曲の弱さが、映画を求める人には退屈なストーリーが、なんといっても邪魔をする。『NINE』をいったい誰におすすめすればいいのか、私は今のところ思いつかない。
(前田有一)