荒唐無稽さに目をつむれば結構楽しめる作品。ノリの良い人向け。(点数 82点)
(C)2014 Universal Pictures
人間の脳が100%活動したにせよ、電波が可視化することは現実的にありそうも無いのだが、誰も経験したことが無い領域なので完全否定も出来ない。
だが、主人公の脳が覚醒するにつれ念動力が使えるようになるほか、テレポーテーションが出来るようになるのは、元々が、脳が活性化するだけの理由なのでリアリティがかなり希薄な感じがした。
人間は物事を単純化して考えると覚醒したルーシーが指摘するのだがまさにそうだと思う。
付け加えると物事を単純化して考える過程で生まれるのが偏見であり差別である。ルーシーはそこまでは言及していなかったが、人間の思考のボトルネックを鋭く指摘している。
また、時間こそがものの存在を担保する唯一の証明であるとも言っているがこれはなんのことか解らなかった。現代物理学者のコンセンサスを得た見解なのだと思うのだけれど、奇想に満ちたルーシーの能力の非科学性を補填するかのような後半の科学的考察は蛇足のようで実は話が引き締まったように思える。
荒唐無稽と科学考証のバランスが取れていたと云うべきか。
ベッソンのファンシーな想像力は『フィフス・エレメント』あたりから嗅ぎ取られたのだけれど、今作もその傾向が顕著に見られる映画だった。時々本当に『グレート・ブルー』を撮った監督だったのかにわかに信じられなくなるのだが、昨今の作品もベッソンの撮りたかった作品であるようには思う。
ただ、どうもその事実を受け入れ難い。
覚醒した人間の深遠さを表現するために要所要所で火山の噴火や地球創生のイメージがカットインされるのだけれど、その手法はテレンス・マリック監督の『ツリー・オブ・ライフ』に似ているような気がしたが、挿入されるカット毎に意味を持たせているので、それほど違和感は感じなかった。
生命の使命とは知識と経験を伝えることだと脳科学者のノーマン博士(モーガン・フリーマン)が解説するのだが、だからルーシーは最後にあのような手段を選んだのだろう。
科学考証は素人目からしても胡散臭いのだが、ストーリーとしては辻褄が合っているように見えた。
荒唐無稽なのにテンポの良い展開と簡潔なストーリーで妙な説得力があるのだが、理詰めで考える人には不向きな作品なのかも知れない。”Don’t think. Feel !”である。
本作において国外では日本に先んじて封切られている地域が多いのだが、現地の友人(といってもフィリピン人と中国人だけ)の話を聞くとなかなかの評判だった。ティーザーを見たら本編が観たくなったという人がほとんどであった。
(青森 学)