© 2009 Twentieth Century Fox
◆漫然と日々を過ごす老境に差し掛かった主人公に突然降ってきた恋と復活のチャンス。長髪にジーンズ、バーを渡り歩く旧世代の残骸のような彼のライフスタイルが、砂漠と太陽に彩られた米国中西部の風景にとてもマッチしていた。(50点)
街から街をおんぼろSUVで旅し、酒とタバコを友に場末のステージに立つ男。若き日の栄光はすでになく、わずかなギャラでやる気のないライブをこなしている。そんなドサ回りのカントリー歌手の前に現れたシングルマザー。過去を忘れられない一方で漫然と日々を過ごしている老境に差し掛かった主人公が、突然降ってきた恋と復活のチャンスにもう一度賭けようとする。長髪にジーンズ、バーを渡り歩く旧世代の残骸のような彼のライフスタイルが、砂漠と太陽に彩られた米国中西部の風景にとてもマッチしていた。
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◆殻にこもっていたヒロインが、濃密な人間関係に心地よさを感じる過程は、米国南部の観光用広報フィルムのよう。ウミガメが産卵する海岸、ビーチバレーを楽しむ若者、水族館とショッピング、すべてが思い出作りの演出に見える。(40点)
家族と離れて暮らしていた父と過ごした夏の日々。固く閉ざしていた少女の心が徐々に明るさを取り戻していく。あらゆる大人はうざい、ナンパしてくる男も目障りなだけという自分の殻にこもっていたヒロインが、小さな街の濃密な人間関係に心地よさを感じていく過程は、舞台となった米国南部の観光用広報フィルムのよう。ウミガメが産卵する美しい海岸、ビーチバレーを楽しむ若者、水族館とショッピング、すべてが思い出作りのための演出に見えるほど安っぽい。
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◆ヒロインの感情を大きな窓から入る陽光で代弁する映像を見ていると、映画もまた光の恩恵に与るアートであることを改めて認識させられる。そしてそれは、朗読の響きと記された言葉によって補強され、官能の香りさえ帯びてくる。(50点)
まだ電気がなかった時代、人は窓辺で本を読み文をつづり服を縫っていた。そんなごくありふれた日常の風景なのに、ジェーン・カンピオンの感性を通すと人生における大切な1コマのごときかけがえのない美しさを放つ。ヒロインの喜怒哀楽を大きな窓から採り入れられた陽光が代弁するような映像を見ていると、映画もまた光の恩恵に与るアートであることを改めて認識させられる。そしてそれは、口に乗せた時の響きと手紙に記された言葉によって補強され、禁欲的な愛のはずが逆に官能の香りさえ帯びてくるのだ。
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◆ゾンビを殺すのは簡単だが、もしそれが愛する家族だったらためらわずに止めを刺せるか。その問いに即答できない人間たちがゾンビを調教しようとする。緊急事態にもかかわらず、自分のプライドにこだわる人間たちの姿が滑稽だ。(50点)
死人がよみがえって人間を襲うようになった世界、絶海の孤島では「ゾンビは殺すべき」派と「ゾンビを飼いならす派」の二派に分かれて壮絶な主導権争いが起きる。頭部を破壊しないと活動をやめないゾンビを殺すのは簡単だが、もしそれが愛する家族だったらためらわずに止めを刺せるか。その問いに即答できない人間たちがゾンビを鎖につないで調教しようとする。しかし、本筋はあくまで島で勢力を二分する男同士の確執、そこになんの思考や打算もないゾンビが敵味方を問わず歯をむき出しにしてくるからややこしい。そんな緊急事態にもかかわらず、自分のプライドにこだわる人間たちの姿が滑稽だ。
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◆1974年10月、アリ対フォアマン戦の前座として行われた音楽祭に携わった人々の当時の姿を通じて、時代の熱気を再現する。黒人による黒人のための音楽祭。公民権運動の総仕上げとして、ブラックパワーを世界に向けて誇示する。(50点)
米国の黒人ミュージシャンが、“故郷”アフリカで大規模な音楽祭を開催する。黒人の黒人による黒人のための音楽祭。公民権運動という第二の奴隷解放を目指すムーブメントの総仕上げとして、ブラックパワーを世界に向けて誇示しようとするのだ。映画は、1974年10月、アリ対フォアマン世紀の一戦の前座として行われたこの音楽祭に携わった人々の当時の姿を通じて、70年代の熱気を再現する。次々と独立の熱狂に沸いた60年代は過ぎ、独裁と政争と腐敗がいまだ表面化する以前のアフリカ、そのまだわずかに残っていた希望の光がむなしく光る。
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◆肉体は衰えても“闘魂”は燃え尽きていない。亡くしたものに心を痛める繊細な老人をアントニオ猪木が好演。息子に先立たれた老人と父に棄てられた少年が、喪失感を埋めるかのようにひかれあう姿を通じ、家族の絆とは何かを問う。(60点)
かつて研ぎ澄まされた日本刀のようなオーラを放っていた背中は、今やダボダボのシャツの中で小さくなっている。それでもアントニオ猪木は圧倒的な存在感となってスクリーンを支配する。肉体は衰えても“闘魂”はまだ燃え尽きておらず、しかも亡くしたものに心を痛める繊細な老人を好演。映画は息子に先立たれた老人と父に棄てられた少年が、喪失感を埋めるかのようにひかれあっていく姿を通じ、家族の絆とは何かを問う。
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© 2010「アウトレイジ」製作委員会
◆裏切りと駆け引き、ハッタリとだまし合い、銃弾と血がシュールなアートのように飛び交い、男たちの凄惨なバイオレンスがスクリーンを覆う。カネと権力というストレートな欲望をむき出しにしたヤクザの行動様式は潔さすら覚える。(60点)
子分から親分、その上の大親分まですべてが腹に一物をもつ。油断しているとハメられ、弱点を見せると付け入られる。あらゆる権謀術数が渦巻く中、任侠や男気といった義理人情は微塵もない。誰が悪党で、誰が本当の悪党で、誰が一番の悪党か。裏切りと駆け引き、ハッタリとだまし合い、銃弾と血がシュールなアートのように飛び交い、男たちの凄惨なバイオレンスがスクリーンを覆う。カネと権力をひとり占めにしたいというストレートな欲望をむき出しにしたヤクザの行動様式はある種の潔さすら覚える。
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◆電気鞭をしならせてレースカーをぶった斬るミッキー・ロークと、しなやかな身のこなしで屈強な男たちをぶちのめすスカーレット・ヨハンソン。魅力的な敵役と謎の美女という新たな登場人物を得て、主人公は追い詰められていく。(60点)
半裸の上半身にエネルギー発生装置を身につけた上に高圧電流が流れる鞭をしならせて、復讐を誓った男を演じるミッキー・ロークがいかにもロシアの荒くれ者の雰囲気を醸し出す。一方、黒いボディスーツに身を包み、打撃から関節技まで蛇のようなしなやかな身のこなしで屈強な男たちをぶちのめしていくスカーレット・ヨハンソンは、さながら高度に洗練された戦闘マシン。数多のスーパーヒーローものの続編の定石通り、魅力的な悪役と謎の美女という新たなキャラクターを得て、主人公は追い詰められていく。
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© 2010「孤高のメス」製作委員会
◆医学に対する真摯な使命感に支えられた主人公はまさに絵にかいたようなヒーローだ。彼の、患者の命を救うためには法を犯すことも厭わずあくまで自分の信念を曲げない誠実無私な生き方は、カッコよすぎて非の打ちどころがない。(70点)
抜群の腕前と知見を持つのに人当たりは柔らかい。難しい手術に率先して挑むのに功名心とは無縁。ただ、医学に対する真摯な使命感に支えられた主人公は、女だけでなく男も惚れる、まさに絵にかいたようなヒーローだ。さらに看護師・助手などの尊敬を一身に集めても絶対に謙虚な態度を崩さない一方で、患者の命を救うためには法を犯すことも厭わず、あくまで自分の信念を曲げない過程はカッコよすぎて非の打ちどころがない。映画は1人の看護婦の目を通して、医師の本分を貫き通した男の誠実無私な生き方に迫る。
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© 2009 Brothers Production, LLC. All Rights Reserved.
◆懊悩が深く静かに確実に胸の奥に巣食っていく姿を、トビー・マグワイヤは、大きく見開いた目で演じる。その上で頬がこけ指輪が回るくらいやつれた肉体をさらすという外見的な変化を見せ、言葉にできない苦悩を饒舌に表現する。(60点)
戦場での過酷な経験が帰還兵の精神を蝕んでいく。生きて妻子のもとに帰れた喜びよりも、自らの手を血で染めた記憶が重く彼の心にのしかかる。“国に命を捧げた英雄”が決して言えない秘密を抱え、懊悩が深く静かにかつ確実に胸の奥に巣食っていく姿を、トビー・マグワイヤは、大きく見開いた目で演じる。その上で主人公のトラウマを、げっそりと頬がこけ指輪が回るくらいまでやつれた肉体をさらすという実際に身を削った外見的な変化で見せ、言葉にできない苦悩を饒舌に表現する。
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告白 - 福本次郎
© 映画「告白」フィルムパートナーズ
◆あらゆる表現術を駆使して心理的リアリティを追求した映像は衝撃に満ち、一瞬の気の緩みを許さない緊張感を孕む。その強烈な磁力は、すでに原作を読んで物語を知っているものでさえスクリーンにくぎ付けにするほど圧倒的だ。(80点)
ブルーを基調にした無機質なトーンは人間の心の闇を象徴し、「罪を憎んで人を憎まず」の建前を徹底的に否定する。少年法によって罪に問われない年齢の少年であっても確実に邪悪の芽を成長させ、ちっぽけな自己顕示欲を満足させるという歪んだ理由で確信犯で他人を殺そうとする。様々な角度から撮影された短いカットを積み重ね、強調と省略、アップを遠景など、あらゆる表現術を駆使して心理的リアリティを追求した映像は衝撃に満ち、一瞬も気の緩みを許さない緊張感を孕む。その強烈な磁力は、すでに原作を読んで物語を知っているものでさえスクリーンにくぎ付けにするほど圧倒的だ。
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© 2010 New Line Productions, Inc. and Home Box Office, Inc.
◆華やかな消費を送ることが生きている証のようなヒロインが、欲望のおもむくままに暴走し、アブダビにまで飛んで傍若無人の限りを尽くす。人生を貪欲に迷いなく楽しもうとする突き抜けた哲学はもはや見事としか言いようがない。(40点)
どれほど景気が後退しようとも摩天楼の輝きはまったく色あせず、世界の中心としての魅力を放ち続けるニューヨーク。そこで、高級車に乗りコンドミニアムに住み華やかな消費を送ることが生きている証のヒロインが、欲望のおもむくままに暴走する。あまりにもバブリーなゲイカップルの結婚式に始まり、家事をまったくせずファッション誌のグラビアのような暮らし、さらに今回は中東・アブダビにまで飛んで傍若無人の限りを尽くす。わがままし放題なのに周りはひれ伏す、そんな彼女を見て同性の観客は日ごろのうっぷんを晴らし、溜飲を下げているのだろうか。
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◆平和な家族が運命に翻弄される過程で、北朝鮮の食糧難をリアルに再現。働けない者は見捨てられ、体制に不満を持つ者には収容所が待っている。その先にあるのは絶望と死、それでも生き延びようとする人間の強さには敬服する。(80点)
ロクに食べずに炭坑で働いているのに、成長期の子供の食事に事欠き病気の妻に薬も買ってやれない。決死の思いで国境を越えても公安の目に脅えて暮らす日々。いつか家に帰ろうという希望だけが男を支えている。しかし、彼の知らぬ間に息子は想像以上に過酷な環境で重労働を強制されている。映画は、平和な家族が運命に翻弄される過程で、国民を満足に食べさせられない北朝鮮の生活をリアルにあぶりだす。働けない者は見捨てられ、体制に不満を持つ者には収容所が待っている。その先にあるのは絶望と死、それでもなんとか生き延びようとする人間の強さには敬服する。
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殺人犯 - 福本次郎
◆主人公の不安定な精神を延々と再現するという、あまりに手垢のついた表現にウンザリしているときに突然投げ出される衝撃の真実。どんでん返しとはまさにこの展開、禁じ手スレスレのまったく予想外のオチに思わず膝を打った。(50点)
「もしかして」という疑念と「そんなはずはない」と否定する声が胸の奥で共鳴する。同僚が悲惨な目にあった現場で気を失っていた刑事が、捜査を続けるうちに犯人は自分ではないかという疑いを持ち始める。記憶喪失、妄想、悪夢…、謎が新たな謎を呼ぶ迷宮の中で立ち往生し、途方に暮れる彼の心理状態は壊れそうなほどデリケートに過剰反応していく。映画は、そんな主人公の不安定な精神を延々と再現し、今はやりのサイコホラーの様相を呈していく。そのあまりに手垢のついた表現にウンザリしているときに突然投げ出される衝撃の真実。どんでん返しとはまさにこの展開、禁じ手スレスレのまったく予想外のオチに思わず膝を打った。
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◆お笑い芸人を目指していたのに、周囲に流される主人公が殺人事件に巻き込まれる中で、少しだけ成長していく過程がもどかしくも共感を呼ぶ。真剣に生きるというのは、みっともなくても汗を流して働く態度であることを学んでいく。(50点)
何をやっても中途半端な青年が、命の危険にさらされたときに初めて決然とする。それは人生と真摯に対峙すること。お笑い芸人を目指していたはずなのに、周囲に流されてしまい、その一方で新しい道に進むのは不安で仕方がない。そんな主人公が殺人事件に巻き込まれる中で、少しだけ成長していく過程がもどかしくも共感を呼ぶ。一種のストックホルム症候群の中で、彼は真剣に生きるのはみっともなくても汗を流して働き、愛する者のために闘うことをいとわない態度であると学んでいく。
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