◆“パラレルライフ”という強引な理論をテーマにするのはよいのだが、説得力を持たせるディテールに乏しく、謎が謎を呼ぶような展開になっていない。もう少し緻密な構成で脚本を組み立てないと、この手のサスペンスは苦しい。(40点)
リンカーンとケネディ、2人の米国大統領の経歴と死亡状況の共通点から、映画は見る者を“パラレルライフ”に導こうとする。そして現在、殺人犯として取り調べを受ける老教授もまたその存在を数学的に証明しようとする。強引な理論をテーマにするのはよいのだが、この作品は説得力を持たせるディテールに乏しく、謎が謎を呼ぶような展開にしたつもりなのだろうが、結局辻褄が合わずストーリーが破たんしている。もう少しリンカーン=ケネディ以外にも例をあげ、緻密な構成で脚本を組み立てないとこの手のサスペンスは成立しない。
この映画の批評を読む »
◆仕事とはなにか、父親・母親の役割とはなにかという問いの答えを模索しつつ、映画は人生に本当に大切なものを探していく。江戸時代の侍が作るスイーツの数々がうっとりするほど美しく、その甘さが視覚を通じて伝わってくる。(60点)
ピンと伸びた背筋、鋭い眼光と変わらない表情で、行儀の悪い子供を一喝し、男はやたら涙を見せぬものと諭す。そんな絵にかいたような古風な精神を持つ侍が現代の東京にタイムスリップし、変わり果てた江戸の風景に唖然としながらも、シングルマザーとその子供と触れ合ううちに次第に自分の生きる道を見つけていく。映画は、仕事とはなにか、父親・母親の役割とはなにかという問いの答えを模索しつつ、人生に本当に大切なものを探す。主人公が作るスイーツの数々がうっとりするほど美しく、その甘さが視覚を通じて伝わってくるようだ。
この映画の批評を読む »
◆親友は大切、その裏腹に親友だからこそ相手を憎く思う、ティーンエージャーにありがちな繊細な心の揺れが甘酸っぱい。そんな学園青春ドラマと思いきや、物語は一転ホラーの様相を帯び、展開が予想できない驚きに満ちている。(50点)
イケてる女子とサエない友人、ふたりは親友同士と誓い合っているのに実際の立場は一方的で、表面上の付き合い以上にお互いに対して複雑な想いを抱いている。「この子といれば私が目立つ」とばかりに連れまわす美女と、「内気な私と子供の時から遊んでくれた」という気持ちからいつも強引に押し切られてしまうメガネ女子。親友は大切、その裏腹に親友だからこそ相手を憎く思う、ティーンエージャーにありがちな繊細な心の揺れが甘酸っぱい。そんな学園青春ドラマと思いきや、物語は一転ホラーの様相を帯び、展開が予想できない驚きに満ちている。
この映画の批評を読む »
ソルト - 福本次郎
◆北朝鮮での拷問、情報機関ビルからの脱出、トラックの屋根を飛び移っての逃走、厳重警備をかいくぐっての暗殺劇。物語は二転三転する一方、過激なアクションの連続で、ヒロインの行動原理が謎に満ちたまま最後まで突っ走る。(40点)
どんなに追い詰められてもヒロインの強靭な心を支えているのは夫との愛。鋼鉄の意思と明晰な頭脳、そして卓越した身体能力であらゆる危機を乗り越える。北朝鮮での拷問、情報機関ビルからの脱出、トラックやトレーラーの屋根を飛び移っての逃走、厳重警備をかいくぐっての暗殺劇。二転三転する一方、過激なアクションと汗握るシーンの連続で、彼女の行動原理が謎に満ちたまま最後まで突っ走る。その来歴とスパイとしてのポテンシャルの高さは表現できているが、結局この物語を通じて何がしたかったのかよく理解できなかった。
この映画の批評を読む »
◆疲弊した体制に嫌気がさした政府高官の、祖国を刷新させるために自ら捨て石となって国家を裏切る過程がリアリティたっぷりに描かれる。1980年代の歴史的変革は、こんな地味な人間の行為から生まれたことに驚嘆せざるを得ない。(50点)
キャビネットに収められた書類や机の上に放置されたフォルダから最高機密を盗み出す。そこにはハリウッド作品でおなじみの手に汗握る緊張や大掛かりなアクションはなく、主人公はさりげなさを装って同僚の目をごまかそうとするだけ。物語は、疲弊した体制に嫌気がさした政府高官が、祖国を刷新させるために自ら捨て石となって国家を裏切る過程をリアリティたっぷりに描く。ここで語られるのは安易なヒロイズムなどではなく、息子の世代はもう少しましな世の中になってほしいという願い。1980年代の共産圏の崩壊は、こんな地味な人々の行動から生まれたことに驚嘆する。
この映画の批評を読む »
◆沖縄のさらに南方、日本最西端の島で、漁業で生計を立てる老人の姿を追い、カジキマグロに対する執念を描く。ヤマ場の乏しい退屈な展開は都会から遠く離れた島で暮らす人々の、のんびりとした生き方を反映させているようだ。(40点)
サバニと呼ばれる小さなボートで沖に出る年老いた漁師。自分で研いだ釣針と銛を積み込んで、早朝から夕方まで魚がかかるのを待つ。狙っているのは長く鋭い吻を持つカジキマグロ、だが40~50センチの小物しか獲れない。カメラは沖縄のさらに南方、日本の最西端に位置する島で、漁業で生計を立てる老人の姿を追い、彼のカジキマグロに対する執念を描く。静かな島の生活、若者が少ない活気のない漁港、ヤマ場の乏しい退屈な展開、それらはすべて都会から遠く離れた島で暮らす人々の、のんびりとした生き方を反映させているようだ。
この映画の批評を読む »
◆ゾンビに支配される世界に順応しようという開き直りが映画を明るい印象にする。もちろん、残酷描写はゾンビ映画の王道を行くのだが、主人公のある種間抜けなキャラクターが、かつてないコミカルでユニークな雰囲気を醸し出す。(50点)
ゾンビに脅えて暮らすより、積極的にゾンビ殺しを楽しもう。国中いたるところでゾンビが群れをなし人間の肉を求めてさまようようになった世界、安全な場所が少ないのならばその境遇に順応しようという開き直りが映画を明るい印象にする。もちろん、血しぶきが舞い脳漿が吹き出し内臓が引きちぎられる残酷な描写はゾンビ映画の王道を行くのだが、主人公のある種間抜けなキャラクターと相まって、かつてないコミカルでユニークな雰囲気を醸し出す。
この映画の批評を読む »
◆不治の病のヒロインが想いを実らせようとする手垢のついたパターンに、キャラの濃いコメディアンで意外性を出そうとする。「生きる」とは他人と関わり相手の嫌なところを受け入れ己をさらけ出すこと、という主張は素晴らしい。(40点)
憧れの男子に心ときめかせる少女が頭の中に描く世界は、3センチ浮いているような地に足のつかない感覚に満ち、そこにいる間だけは幸せな気分に浸っていられる。だが、なぜかいつも臭くてウザい先輩に付きまとわれて現実に引き戻されてしまう。映画は、不治の病に冒されたヒロインが残り短い時間の中で想いを実らせようとする手垢のついたパターンから脱却するために、キャラの濃いコメディアンを使って意外性を出そうとする。「生きる」とは他人と関わり相手の嫌なところを受け入れ己をさらけ出すこと、という主張は素晴らしいのだが、伝わってきたのは暑苦しさだけだった。
この映画の批評を読む »
◆いわゆる難病モノなのだが、病魔と闘う子供たちではなく、ある意味本人たちより心を痛めている彼らの父親にスポットを当てる。感情に訴える湿っぽさよりもアクティブさを強調し、サクセスストーリーとしての爽快感が得られた。(60点)
愛する子供たちが死の病に冒されたとき、両親はその運命を受け入れられるか。担当医も匙を投げる症状なのに、父親はすがるような思いで最先端理論の実用化を目指す。いわゆる難病モノなのだが、映画は病魔と闘う子供たちではなく、ある意味本人たちより心を痛めている彼らの父親にスポットを当て、愛情の深さを行動で示す姿を描く。主人公がパートナーを見つけ、カネを借り、起業して新薬を開発する一面と、なんとか子供たちの命を救いたいという願いが一体となる様子は、感情に訴える湿っぽさよりもアクティブさを強調し、ビジネスにおけるサクセスストーリーとしての爽快感が得られた。
この映画の批評を読む »
◆若い主人公が信頼できる仲間とともに冒険を続けるという、ありきたりな成長物語であるにもかかわらず、へんてこりんなカンフー映画を見た気分。しかし、その珍妙さもこれほどまで極めれば高尚なジョークように感じられる。(40点)
中国武術の達人のごとき流麗な体術で気を操る少年が、乱れた世界を正すために運命を受け入れる。その他にも土を操る部族や水を操る部族もなぜかその動きは中国風。彼らが一団となって修行に励む様は、少林寺を舞台にした数々の映画を彷彿させる。また、武装した軍団同士が激突する戦闘シーンでは、干戈を交えるものの血や肉が飛び散るリアルな残酷さとは程遠く、ほとんど死人が出ない。そもそも物語の世界観が曖昧で、若い主人公が信頼できる仲間とともに冒険を続けるうちに使命に目覚めるという、ある意味ありきたりな成長物語であるにもかかわらず、へんてこりんなカンフー映画を見た気分になる。しかし、その珍妙さもこれほどまで極めれば高尚なジョークように感じられ、結果として不思議な味わいを残す作品となった。
この映画の批評を読む »
© 2010 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.
◆複雑な構成は主人公が軸足を置いている現実も夢なのではという疑問にさらされる。時間も空間も歪み重力さえなくなる夢の世界は細部にまでリアリティが宿り、圧倒的な情報量は視覚的表現の可能性のさらなる進化を実感させる。(80点)
夢の中では夢こそがリアル。他人の潜在意識に侵入し、同じ夢をみることで秘密を盗み出す技術を生業にしている男が、ターゲットの頭の中にアイデアを植え付ける=インセプションに挑む。もはや夢と覚醒の境界線は曖昧になり、夢の中の夢の中の夢の中の夢という恐ろしく複雑で壮大な構成に、主人公が軸足を置いている現実でさえ夢なのではという疑問にさらされる。時間も空間も歪み重力さえなくなる夢の情景を描いた映像は細部にまでリアリティが宿り、圧倒的な情報量は視覚的表現の可能性のさらなる進化を実感させる。
この映画の批評を読む »
© 2010GNDHDDTW
◆小人という、閉じられた世界の住人が人間と出会った時の恐れと驚き、そして心の交流を通じて、“信じること”とは何かを問う。サイズは人間の1/10以下なのに日々の生活は人間とかわらない、そんな彼らの日常に親しみを覚える。(50点)
床下から壁の隙間に入り、釘の階段を登ってロープを伝い食器棚の裏にある秘密の扉からキッチンに入る。ありふれた古い家の内部を動き回るのは小人たちにはスリルに満ちた大冒険。特に好奇心旺盛な少女にとって、人間の暮らしは刺激にあふれ目にするモノすべてが新しい。映画は閉じられた世界の住人が外界の人間と出会った時の恐れと驚き、そして心の交流を通じて、“信じること”とは何かを問う。サイズは人間の1/10以下なのに日々の生活は人間とかわらず、妖精のように空を飛べるわけでもなく魔法を使えるわけでもない、そんな彼らの日常に親しみを覚える。
この映画の批評を読む »
◆鬱積したエネルギーを爆発させるようなテンションと躍動感がスクリーンを彩り、荒削りでパワフルな映像は小栗旬の熱き感性がほとばしる。目標なく生きる若者たちが仲間に対する信頼を再構築していく姿は熱い一方でほろ苦い。(60点)
若気の至りで高校中退、青春を棒に振った若者たちが失われた時間を取り返すかのように疾走する。大金強奪事件に偶然遭遇してしまった彼らが、ヤクザに追われ謎の女の消息をたどるうちに、明かされていく子供時代の強烈な思い出と3年前の後悔。映画は鬱積したエネルギーを爆発させるかのごときテンションと躍動感でスクリーンを彩り、荒削りながらもパワフルな映像からは小栗旬の熱き感性がほとばしる。失うものがない者の強さと、まだまだ走ることができる喜び、目標なく生きる彼らがそれらを最大の武器にして暴れまわる中で仲間に対する信頼を再構築していく姿は熱い一方でほろ苦い。
この映画の批評を読む »
◆いかに残酷に倒しまくるかを競うかつてのゾンビ映画と比較して、ゾンビに素手の格闘を挑むところが目新しい。ゾンビ相手に洗練されたマーシャルアーツを見せる登場人物の身のこなしには、格闘ゲームのような爽快感を覚える。(50点)
十数発の銃弾を撃ち込んでもひるまないゾンビに対して、パンチやキックを見舞った上に関節技で首をへし折ろうとする。いかに残酷に倒しまくるかを競うかつてのゾンビ映画と比較して、ゾンビに素手の格闘を挑むところが目新しい。ゾンビたちも昔ながらの動きの鈍い種族とは違い、格闘技こそ身につけていないもののいくら殴られても蹴られてもすぐに反撃する打たれ強さと敏捷さを発揮する。対ゾンビ戦法としては無駄の多い闘い方だが、数体のゾンビ相手に洗練されたマーシャルアーツを見せるギャングの用心棒や女刑事の身のこなしには、格闘ゲームのような爽快感を覚える。
この映画の批評を読む »
◆深夜、立ち入り禁止区域に高価な機材を密かに運び込み、ペンライトだけを頼りに、岩に偽装したカメラやマイクを仕掛けていく。その様子をサーモカメラでとらえたシーンはサスペンスに満ち溢れ、スパイ映画を見ているようだ。(60点)
住民が寝静まった深夜、尾行に注意を払いながらミニバンを走らせ、フェンスを乗り越え立ち入り禁止の入り江に潜入する撮影クルー。特注した高価な機材を密かに運び込み、ペンライトだけを頼りに、岩に偽装したカメラやマイクを仕掛けていく。その様子をサーモカメラでとらえたシーンはサスペンスに満ち溢れ、スパイ映画を見ているかのよう。隠し撮りをする過程を記録する行為がこれほどまでにスリリングとは思わなかった。米国的な「正義の押し売り」的な方法論は別にして、地元漁師をすべて敵に回したスタッフが監視の目をかいくぐって“真実”を告発しようとする姿勢はあくまで戦闘的で、危険を顧みない勇気と行動力は称賛に値する。
この映画の批評を読む »