離婚のコストがいかに高く付くのか東慶寺に暮らす女性たちを見て窺える(点数 88点)
(C)2015「駆込み女と駆出し男」製作委員会
巷ではもっとも高くつく買いものが「離婚」であると言う人もいる。
それでも離縁を求めて東慶寺に駆け込む女性も少なからず居た。
人生最大の難題である「離婚」をテーマにした映画は幾多もあるが、江戸時代に人権が特に制限されていた女性を救済する東慶寺等の縁切り寺を舞台にした作品とあらば興味を抱く人も少なくないだろう。
「離婚」というからにはのっぴきならない事情は付きもので、劇中でも女たちのやむにやまれぬ事情により夫から逃げ出して縁切り寺として知られる東慶寺へ駆け込む。
東慶寺には隣接するいくつかの旅籠があり、離縁を求める女性を一時的に保護する役目を負っている。
そのなかのひとつである「柏屋」ももう一つの舞台になっている。
主人公である中村信次郎が江戸の街から逐電したのは、天保の改革による奢侈禁止令への反発であったという動機付けもよりドラマチックになっている。
また、映画の中で東慶寺の代表者である院代が散歩する際に、洋傘を日傘に使っていたのだが、これが大きな秘密の伏線だったりする。
映画は原作とはまた違う作品として観た方が良いのかもしれない。
換骨奪胎というのか、原作と似て非なるのが本作。
1985年にNHKで放映された『國語元年』の原作者で知られるように井上ひさしは日本語のエキスパート。
本編は原作を大胆に脚色しており、原作と大きく異なっている。
登場人物の性格や来歴を変更しエピソードをシャッフルしている。
どちらが良いのかの甲乙つけ難いが、映画は映画用にストーリーが最適化されていると感じられた。
これは脚本の仕事も兼ねた監督の厚労に依るところが多いだろう。
快調な台詞まわしも原作には無い凝らした趣向で、監督の日本語へのこだわりは物故した井上ひさしへのオマージュとも挑戦状とも受け止められる。どちらにせよ本作の原作への大胆な改変は監督の原作者へのリスペクトがあってこそ、なのだと思う。
井上ひさしは草葉の陰で苦虫を噛み潰しているかもしれないが、クリエイターが居れば、その数だけの個性や考え方がある。
只原作のストーリーだけを映像にしてなぞるだけでは面白くない。
また、クリエイター同士のプライドの掛け合いというのも消費者にとっては歓迎すべき対立であるように思う。
駆け出しの医者でも切った張ったの啖呵を切ればこわもてのヤクザも逃げ出す威勢の良さ。
いなせで粋な作中の調子にまさに身を乗り出して観ること請け合い。
痛快至極、人情ほろり。
教条主義に陥りがちな封建制度の中で女性、ひいてはより良く生きる人間のことを思う東慶寺の思想は多くの現代人の共感を呼ぶことだろう。
(青森 学)