◆絶え間なくゆらぐ画面は見る者の気持ちを不安定に揺さぶり、金属をこすり合わせるような音楽は不快感を増幅させる。短いカットをつないだシュールな映像と腹の底に響く重低音のサウンドは、我慢の限界を試しているかのようだ。(20点)
全編ハンディカメラで撮影され絶え間なくゆらぐ画面は見る者の気持ちを不安定に揺さぶり、金属をこすり合わせるような音楽は極限まで不快感を増幅させる。短いカットをつないだシュールな映像と腹の底に響く重低音のサウンドは、我慢の限界を探っているかのよう。この、恐ろしいまでに表現主義に走った作品には、もはや怒りしか覚えない。もしかして観客に怒りを味あわせることで、主人公が理性を失って暴走する感覚を体験させようとしているのなら、その試みは成功しているのだが。。。
東京でサラリーマンをしているアンソニーは妻のゆり子、息子のトムと暮らしている。ある日、トムが車にひき殺され、ゆり子に仇を取れと言われるうちに感情を抑制できなくなり、アンソニーの肉体が徐々に鉄の細胞で覆われていく。
アンソニーの体表が鉄化していく様子など、CGを使えばもっとリアルにできたはず。だが、あえて過去の「鉄男」を踏襲し、サイレント時代のドイツ映画のようなコマ送りで徐々に鉄の部分を増やしていく。学生やアマチュアの作品なら、わかりやすさよりもセンスを優先させた描き方もアリなのだが、カネを取って一般公開するプロの“商品”としては首をかしげる。そもそものストーリー自体があまりにも稚拙な上、登場人物の苦悩や葛藤をやたらうるさい効果音でごまかしているだけのシロモノを一般映画として公開するのはいかがなものか。
やがてアンソニーの鉄の体は、父親の研究と彼に協力して命をささげた母親の成果ということが明らかになっていく。そこに父の研究を援助していた会社が証拠を消すために暗殺部隊を送り込んでくる。ゆり子を人質に取られるが、壮絶な銃撃戦の末、暗殺部隊を撃退、ゆり子を救出する。しかし、クライマックスともいえるこのアクションシーンも単調極まりなく、カメラを激しく揺らして目の前で繰り広げられている出来事を詳しく見せない。それは想像力を刺激するというよりは、ただ見づらくしているだけだ。いずれにせよ上映時間が短かったのは救いだった。
(福本次郎)