冴えない人生を送る人間が大きな夢にぶつかって信じる心を取り戻す“希望”についてのものがたり。(点数 88点)
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荒唐無稽な夢ほど人を惹きつける。
主人公である水産学者のジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)はイエメンで鮭を釣ることをよく「人類が火星へ行くことくらいの可能性」と喩えるのだが、迂回した言い方になるけれど、荒唐無稽な夢であっても、それこそが人間をまた前に進ませる原動力になっているのだと思う。
人間は希望を持たされなければ前へ進もうとしない生物だ。否、全ての動物にその原理は当て嵌まるといえるだろう。
イギリスでは釣りは貴族のスポーツ。
その昔、川の敷地を所有するのは貴族だったので、釣りが許されたのは一部の富裕層だけだったのである。
そのようなことから英国の川釣りには保守的なイメージが有る。
日本はその限りではないが、イギリスの釣り人に保守的な人が多いのは想像できる。英国での釣りは上流階級のスポーツだから英国の釣り人たちが鮭の輸出に強硬に反対したのも理解できる。
自国の鮭を砂漠の国の川にリリースするなんて感情的に許せないはずだ。
イエメンの川で鮭釣りをしたいという現実があまり見えていないと思うこのイエメンの富豪であるシャイフ・ムハンマド(アマール・ワケド)にドン・キホーテという夢想家を重ねてしまう。
小説『ドン・キホーテ』は通説では時代遅れとなった騎士道精神を風刺しているとされているのだが、作者のセルバンテスはこの作品に失われていく理想主義への愛惜の念も込めていたのではないのだろうか。
この『砂漠でサーモンフィッシング』はそんな夢想家たちへの賛辞と愛情が一杯込められているような気がするのである。
おそらく、これは人類の歴史の中で、志半ばで斃れていった名も無き理想主義者に捧げたレクイエムなのだ。
この映画では恋愛や政治風刺もこの物語を構成する要素ではあるが全部では無い。
ヤハウェを信じるというだけではなく、何かを信じる心こそが信仰であるとシャイフは語る。
そこには押し付けがましいものは無く、宗教という名のイデオロギーから解放された人間のプリミティブな信じるちからの大切さを説く。
今ここに無いものを信じること、未来にあるかもしれないものの到来を期待する人間を世間は夢想家と呼ぶ。
だがシャイフはイデアの世界を見つめるビジョナリーなのだ。
夢を見ることをとうに忘れたジョーンズ博士がシャイフの気宇壮大な夢に感化されて再び生きる意味を取り戻していく過程は胸のすく想いがする。
過去に理想主義者を描いた作品にテリー・ギリアム監督の「フィッシャー・キング」(1992年日本公開)が有るが、大人の寓話の趣が強かったのに比べ、今作ではナショナリズムに凝り固まったテロリストや小気味良い社会風刺が見て取れており、困難な現実と格闘する理想主義者の顛末を追っている。
(青森 学)