◆よくできた異例の低予算SF(70点)
デヴィッド・ボウイの息子、ダンカン・ジョーンズの映画監督デビュー作。月面を舞台にした近未来SFでありながら、最新のVFXなし、大がかりなセットなし、出演者は事実上サム・ロックウェルただひとりという特異な低予算映画として作られた。
月の裏側にある採掘基地でひとり勤務するサム・ベル。地球との交信設備が故障して以来、話し相手は人工知能のガーティのみとなっている。3年間の契約期間が満了するのを心待ちにしていたが、あと2週間で地球に帰れるという時期になって、体調不良や幻覚に悩まされ始め……。
小さな違和感を積み重ねていく序盤のストーリーテリングがうまい。基地の外で大事故に巻きこまれたサムが、なぜか基地内で目を覚ます。事故現場を調査しようとするサムを、ガーティはやんわりと制止。それを振り切って事故現場に出かけたサムは、大ケガをした「自分」を発見するも、不思議と取り乱すことがない。こうなると観客は本作のどこに定点を求めたらいいのかわからなくなり、シュールな不安にさいなまれる。サムが見つけた「サム」は何者なのか、いや、「サム」を見つけたサムは何者なのかと。
ネタを明かせば、この物語はクローン物だ。全編出ずっぱりのロックウェルは、抑制の利いた演技で、巧みに複数のサムを演じ分ける。自分が誰かのコピーに過ぎないと知った主人公がアイデンティティーの崩壊に苦悩するのは、クローン物の定番。しかしサムに関して本当に哀しいのは、たとえ自分がクローンであっても、3年働けば地球に戻れると信じていることだ。
終盤、ガーティに「プログラムどおり仕事をしよう」と言われ、「俺たちはプログラムなんかされていない」と答えるサム。だが観客はその時点で、3年間の「契約期間」が、実は「耐用期限」であることを知っている。そして経済合理性をとことん追求する雇い主(ルナ産業)の非情さに言い知れぬ戦慄を覚えるのだ。経費節減のために正社員を減らし、期間労働者を使い捨てにする昨今の企業は、ある意味、「現代のルナ産業」と言えるかもしれない。
傑作の誉れ高い『エイリアン』シリーズでは日系企業が隠れた悪役を演じていたが、こちらのルナ産業はどうやら韓国系企業であるらしい。月面基地の壁面には「サラン(愛)」という基地名がハングルで表示されているし、マシンが「アンニョンヒガセヨ(気をつけて行っていらっしゃい)」と韓国語の音声を出すシーンもあった。なにやら国際経済における日本の停滞と韓国の躍進を象徴しているかのようですね。日系企業が欧米から「手強い悪玉」と見られなくなってきたことを、私たちは喜ぶべきなのだろうか、それとも悔しがるべきなのだろうか。
(町田敦夫)