というか、ゾンビハンターの存在理由はあったのか?(10点)
今週は沈黙シリーズ最新作「沈黙の逆襲」も同日公開されるという、ファン大喜びのセガール祭り。この『斬撃 ZANGEKI』の配給会社も、同様に男性向けアクション作品でウェズリー・スナイプス主演の「アート・オブ・ウォー2」をペアにして、さかんに宣伝している。ただ、彼らほどのアクションスターが、いまや抱き合わせ販売のようになっているとは、どうにもさびしい。
ある街で感染者がゾンビとなるウィルスが蔓延、パニックとなる。政府は打つ手がなく、街の空爆を決定。だがそこにはいまだ生存者がおり、元特殊部隊のタオ(スティーヴン・セガール)率いるゾンビハンター数名が、決死の救出作業を行っていた。
なんと今回、セガールが戦うのはゾンビである。
考えてみればテロリストだろうがギャングだろうが、セガールにかかれば一夜で壊滅。もはや地上に敵なしの彼にとって、不死の怪物なら相手に不足はない。映画史上、幾多の勇士たちが挑み、かみ殺されてきたこの最強の怪物たちを前に、セガールはどう戦うのか?!
企画100点、結果赤点というべき、残念な一本である。
いや、確かにアイデアはいいのだ。しかし、この監督は撮影監督としても3回セガール作品にかかわっていながら、彼をどう生かせばいいかまったくわかっていない。
たとえばゾンビハンターのサブリーダー的存在を、タノアイ・リードというスタントマン俳優が演じている。彼はドゥエイン・ジョンソンの従兄弟で、運動能力もきわめて高い。ものすごくいい動きをするし、役柄としても強い、頼もしい。
だが、はっきりいってそんなキャラクターは不要だ。もともと劇場公開用の企画じゃないから予算もぎりぎり。なのに、セガール以外に観客の視線を引くようなヒーローを描いている暇などあるまい。
また、不死の怪物相手だからか、セガールに日本刀のような剣を持たせているがこれもあまりよろしくない。狭い屋内戦に、この長い刀はいかにも邪魔そう。見ていてとてもストレスがたまる。おまけにセガールの動きも鈍重で、彼が振り回しているのが日本刀なのか棍棒なのか、途中でわからなくなってくる。
そもそもゾンビが弱すぎる。むろん、セガールがゾンビごときに苦戦するはずがないのは当然だが、それにしてもセガールの強さを演出するためには、ゾンビがいかに恐ろしい存在かを先に示す必要があろう。
もし私なら、銃も毒ガスも効かぬ、最強のゾンビによる殺戮シーンを冒頭に配置する。たとえバンカーバスターで空爆しても死なないのではないかというほどの強さだ。ところが、セガールが登場するやいなや、いともたやすく次々と瞬殺。これくらいやらないと、観客の鬱憤は晴れまい。
その後は、テキトーな理由でセガールを別行動させ、その合間に最強のゾンビ王が登場、仲間は奮戦むなしく次々戦死、やがておもむろに現れたセガールがそれを粉砕と、こういうベタな流れがいい。
もちろん、伝説のゾンビソードは最後の戦いで壊れるが、結局ゾンビ王は素手でぶち殺して終わり。考えてみればゾンビソードなど不要でした、そもそも最初からセガール一人で行けば誰も死なずにすみました。……と、そういうセガール映画を作れと、何年も言い続けているのだがいまだ実現しないのは残念至極である。
それにしても本作の、脚本面の行き届かなさは特筆に価する。街からの救出劇とはいうが、舞台はひとつのビル内だけ。しかも94分間、その中を全員でうろうろするのみだ。脱出口はなかなか見つからない。いったいどれだけ広いビルなんだと、誰もが突っ込みを入れたくなるだろう。
だいたい、セガールが合流したら、彼を先頭に全員で正面玄関から堂々と出て行けばいいではないか。完全武装のセガールがいながら、こそこそ逃げ回るのはコメディ以外のなにものでもない。
ほかにもたくさんツッコミどころはあるが、それはこれから鑑賞する皆様に残しておくのが礼儀というもの。なんだかんだ書いたが、こういう映画はあとで見たもの同士、あれやこれやいいながら爆笑するのもひとつの楽しみ方。そのためには、これくらいのアホさ加減がちょうどいいのかもしれない。
(前田有一)