◆ペネロペ・クルスの脱ぎっぷりは健在(55点)
ゲイながら巨乳大好きなスペインの巨匠ペドロ・アルモドバルは、この最新作でもお気に入りのペネロペ・クルスの胸の谷間を追い掛け回す。『抱擁のかけら』は、そんな罪作りなおっぱいの物語である。
かつて優れた映画監督だったマテオ・ブランコ(ルイス・オマール)は、いまや盲目となりハリー・ケインと名乗っていた。彼はなぜ光を失ったのか。なぜ本名を捨てたのだろうか。その謎の謎は、14年前の映画撮影現場で、彼が愛をささげたレナ(ペネロペ・クルス)という女性が握っていた。マテオは、盲目の自分に新作を依頼しにきた怪しげな若者(ルーベン・オチャンディアーノ)の訪問を契機に、レナとの過去を振り返る……。
「罪作りなおっぱい」の意味は見ればわかるので割愛するが、相変わらずこの監督の映画はユニークなつくりになっている。
同性愛者だからということもあるのだろうが、彼の描く「愛」の焦点は、見る人によって違う場所に隠されていて、それぞれ楽しめるようになっている。私は異性愛者だから主人公とレナの関係を中心に見ているが、そうでない人の視線も、この監督は明らかに意識してドラマを作っている。
それはたとえば、主人公とライ・Xの関係だったり、レナと別の恋人のそれだったりするわけで、厳密な意味でこの映画の中心が「主人公とレナ」だと断言することは難しい。
最近のミニシアターにはオシャレ好きで、経済的にも自立している30代以上の女性しか来ないというが、そうした人たちは「アルモドバル映画っておしゃれだわ」という。だが別の男性などは「変態の映画だよ」という。どちらも間違っておらず、そう見えるように作られているからこの監督の映画はユニークというほかない。いずれにせよ共通するのは、これが「愛の映画」ということだ。
もっとも他人の愛なんてのは、見ていて退屈きわまりないもの。そこでこの監督は「盲目になった謎」「本名をすてた謎」で観客を引っ張り続け、ちょいと意外なラストでストーリー重視な向きをも満足させる。
相変わらず上手な映画作りだが、逆に言えばすべてが予想の範疇。個人的には、驚きも新発見もない平均的な作品となった。
(前田有一)