◆悔しさと悲しみをにじませる後半の演技が圧巻(85点)
舞台は1948年の中国。人民解放軍と国民党軍の内戦は熾烈を極めていた。最前線にいた人民解放軍の第9連隊は、連隊長グー・ズーティ(チャン・ハンユー)を除く兵士47人が全員戦死。グーは、仲間を死なせたのは、自分が撤退命令の合図であるラッパを聞き逃したせいだと、自責の念にかられていた……。
中国発、戦争をモチーフにした骨太な人間ドラマだ。
前半1時間で費やされるのは、最前線における壮絶な戦争描写だ。戦争を簡略化することなく、ハリウッドも顔負けの凄惨極まりないリアルな描写をふんだんに盛り込む。目を背けたくなるシーンの連続は、観客に緊張とストレスを強いるが、もちろんそれは、戦争という愚行に対するストレートなメッセージでもある。
この一連の戦闘シーンを通じて、観客はグーという人間を知ることになる。少々粗暴ではあるが、忠誠心と情に厚く、人一倍仲間思い。そして、勇敢さと強力なリーダーシップを持ち合わせている。そんなグーの男気に魅了される人も少なくないだろう。
仲間を思うグーの気持ちには、いっさいの"不純物"が存在しない。戦後、死体が見つからなかったという理由から、戦死した兵士47人は、国から「烈士」ではなく、「失踪者」として扱われる。しかも、追い打ちをかけるように、第9連隊が実は捨て駒に使われていたことを知り、グーは激昴する。その後のグーの鬼気迫る一連の行動は、仲間に対する絶大な"愛"、その証左にほかならない。
グーの人間性が見えてくればくるほどに、彼が流す涙や、抑制の利かない怒りが、我がことのように感じられ、魂がふるえる。仲間を敬う気持ちや、真実に忠実であろうとするグーの姿勢は、戦争ウンヌンを超えて、人間の生き方そのものを問うているようでもある。個人的には、劇中の地雷にまつわるあるシーンに、この作品が踏み込もうとするテーマの深さを実感した。
グーを演じたチャン・ハンユー。彼の圧倒的な存在感が、この映画の屋台骨を支えている。とくに、悔しさと悲しみをにじませる後半の演技が圧巻だ。前半の動的な戦争描写と、後半の静的な内面描写。この落差の激しいコントラストが、本作「戦争のレクイエム」の真価を引き出しているともいえる。
これは、単に過激な戦闘描写だけが評価されるアクション映画でもなければ、批判性ありきの戦争映画でもない。戦争に身を捧げたひとりの人間を通じて、戦争の意味や、人間心理の複雑さ、人が背負うべき罪と責任、そして、死んでもなお心と心で通じ合う人間の絆ついて、多角的に考えさせられる作品である。
グーの"感傷"が強すぎると感じる人もいるかもしれないが、47人の部下の命を一度に失った人間の気持ちは、そもそも"感傷"などという言葉で片づけることはできない。それは、本作「戦争のレクイエム」を――例えば"戦争映画"などという――もっともそうなジャンルに、簡単にカテゴライズできない(したくない)のと同じことである。
(山口拓朗)