◆1967年製作のホラー・オムニバス大作は今も色褪せない幻想世界の極み。中でもフェリーニ作品は背筋が凍る。(75点)
仏と伊の3巨匠が、エドガー・アラン・ポーの怪奇文学を映像化、1967年に傑作ホラー・オムニバス「世にも怪奇な物語」が誕生した。このほどこの作品が、デジタル・リマスター版として美しくお色直しされることに。デジタル化は、画質と音声がクリアになるメリットの他に、過去の名作を若い世代に紹介できる絶好のチャンスとなる。ホラー・オムニバスは、映画、TVを問わず人気だが、3話構成の本作は、クオリティーの高さで群を抜く。
最も耽美なのは、美しい女伯爵の歪んだ愛をテーマに、ロジェ・バディムが監督した第1話「黒馬の哭く館」。当時の妻のジェーン・フォンダを美しく撮ることに全力を注いでいる。美貌で気まぐれな女伯爵フレデリックが唯一自分になびかないウィルヘルムへの復讐のため、彼の馬小屋に放火。愛馬を助けようとしたウィルヘルムは焼死する。彼女はその直後に現れた不気味な黒馬に魅せられ、やがて自ら破滅へと向かう。ジェーンの弟のピーターにウィルヘルムを演じさせ、姉弟共演で愛憎劇を演出する倒錯性が見所だ。ヴァデムは常に愛した女優の魅力を巧みに引き出すが、中世とSFをごちゃまぜにしたエロティックな衣装をまとったジェーンは、米映画とはまったく違う美しさがある。
最も残酷なのは、冷酷な美青年が出会う分身を描いた、ルイ・マル監督の第2話「影を殺した男」。サディスティックで狡猾な美男子ウィルソンには、自分と同姓同名の謎の男がつきまとっていて、ことごとく悪事の邪魔をしていた。賭博場で美女相手にイカサマを働き、彼女をいたぶっていたウィルソンのインチキを暴いたのもこの男だ。ついに彼はその男を短剣で刺し殺すのだが…。アラン・ドロンとブリジッド・バルドーの美男美女をSM風味で競演させるところがゾクッとするが、題材は、ドッペルゲンガー(自己像幻視)という内省的なもの。自己破壊というドライなアイロニーにルイ・マルらしさがある。
そして最も気味が悪いのは、フェデリコ・フェリーニの「悪魔の首飾り」。落ち目の俳優でアル中のトビーは、夜のローマを車で疾走するうちに道に迷う。彼の前に、霧の中で白いボールを抱える少女が現れ、甘美な死の世界へと招き入れる。狂気の淵を彷徨うテレンス・スタンプの鬼気迫る演技もさることながら、美少女にも老婆にも見える白いボールを持つ少女の顔は、悪魔的で恐怖そのものだ。私は初めてこれを見たときは少女の薄笑いを何日もひきずってしまい、今もって映画的トラウマになっているほど。それほどこの1編の悪夢的な恐ろしさは鮮烈だ。原作から大きく離れ、フェリーニらしいカリカチュアした業界人への風刺から、怪奇譚へもっていく見事な演出は、現実離れした色彩の映像も含めて、傑出した魅力を持っている。
オムニバスとは本来「乗合馬車」の意味。独立した物語が一つにまとまったとき、他作品とのバランスを保ちながら共通のコンセプトが立ち上ってくる。成功の鍵は、無駄のないストーリー、才能溢れる監督、インパクトのある俳優、の3つだ。これらは一般映画と同じだが、オムニバスは1本の時間が短いだけに、よりシャープな演出が必要となる。バディム、マル、フェリーニという60年代当時、ノリにノッていた名匠が集結して絶妙な化学反応を起こし、この贅沢な企画は大成功となった。後のホラー・オムニバス・ブームのはしりとなったのが納得の壮観な秀作。耽美と退廃に貫かれた恐怖の世界を堪能したい。
(渡まち子)