端々から感じられる不気味な違和感の正体とは?(60点)
アメリカで製作の話が進む『新世紀エヴァンゲリオン』実写版に先駆けて、オリジナルテレビアニメ版の主要スタッフ・キャストによる"リビルド"版3部作が作られることになった。その期待の一作目がこの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE(NOT) ALONE』。
テレビ版ダイジェストの劇場用Zガンダム3部作がヒットしたため、エヴァンゲリオンで二番煎じをするのかなと、正直こいつを私は見るまで思っていた。じっさい、普通にみればこの新劇場版は、「なんだよ、テレビん時と同じじゃん、見る価値無し」で終わってしまいかねないほど、ストーリーも絵柄もまったく同じである。
具体的には、第一話でシンジが召集される場面から、日本中の電力を戦略自衛隊の長距離砲に集中させ、使徒ラミエル(青いプリズム体みたいなヤツね)を狙撃するヤシマ作戦までが描かれる。
使徒迎撃のため設計された要塞都市である第三新東京市の変形シーン(重要な高層ビルはネルフ本部がある地下の巨大空間ジオフロントに収納できるようになっている)などは、3D-CGで描かれギミックとしての面白さ、描写の迫力が増している。また、シンジが乗る初号機のデザインも一部変更されているようだ。
しかし、本作を見てコアなエヴァファンならきっと感じるであろう違和感の正体は、そういう見た目からくるものではないはずだ。
そう、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は、一見テレビとまったく同じ。しかし、「なにかが違う」のである。
これは「序」であるから、まだその変化はとても小さく、注意しなければわからない。それはたとえば、カオルがこの段階から出てきて、しかもシンジをなぜか知っていたり、あるいは使徒の順序が狂っていたりといった、一見些細なことがらだ。
だが、それらは「破」「急」と続くこの先の展開を、とてつもなく大きく変えてしまうのではないかと予感させるに十分。だいたい、オリジナルでアニメ史の流れを変えてしまった庵野秀明(総監督)が、このまま平凡なダイジェスト、もしくはリメイクを作るはずがない。きっと今回も、こちらを仰天させるような流れを用意しているに違いない。
さて、映画としてこの第一作目を見た第一印象は、当時あれほど新鮮にみえたこの作品も、さすがに今見ると古典だな、というもの。
時代の流れはどんどん速くなっている。とりわけ本作はその後のアニメ制作に与えた影響がきわめて甚大で、あらゆるディテールが数え切れないほど真似されていった。だからこそ、そのように感じたに違いない。
少々気になったのは、綾波レイの扱いが小さいこと。とくに彼女が零号機で出撃する場面が無い上、シンジを命がけで守るヤシマ作戦でも爆煙でほとんど見えないので、活躍している印象がまったく無い。彼女が初めて笑うせっかくの名場面の味わいもやや薄い。彼女のファンはきっと不満であろう。なお、もう一人のヒロインであるアスカはまだ出てこない。
エンドロールの後には、ミサトのおなじみの決めセリフが楽しい次回作の予告編が入っているが、これはサービス映像としての役割以上に重要な情報源であるから、絶対に見逃さぬよう。短い時間に、次回以降大きく進行方向を変えていくであろうヱヴァンゲリヲン新劇場版のエッセンスが詰まっている。
なお、私はこれを都内の映画館で初日の初回に見たが、さすがはいちど庵野秀明に大きく騙されている老獪なエヴァファンたち。大きな劇場を埋めた彼らの誰一人として、エンドロールの途中で席を立つものはいなかった。また、上映後にはグッズ売り場に信じられないような長蛇の列を作っていたのも印象的であった。
もうひとつ、この映画にエヴァンゲリオン初心者の方を連れて行くのはあまりオススメしない。ためしに私は本シリーズを知らないスタッフを連れて行ったが「眠くなるけど(アクションシーンが)うるさくて眠れず、早く終わらないかとずっと思ってた」などと散々な評価であった。
確かにお話自体さほど面白くない上、ただでさえ説明不足な原版をさらに縮めているので相当わかりにくい。そもそもエヴァンゲリオンの面白さとは、一回の放映分にちりばめられた聖書用語やカバラの要素をああだこうだ解釈したり、次回以降の展開を予測したりすることだったのだから、それを一気に2時間で見るのは無理がある(そしてもったいない)というもの。
むしろ、先述したようにこれは「オリジナルから離れていく期待感」を楽しむべきであり、そうなるとやはり一見さんお断り、となるのはやむをえない。
なんにせよ、その期待感だけは十分に感じさせる。ただ、例によって最後がバタバタ、結局未完成で公開、なんて顛末にならぬよう、スタッフの皆さんには強くお願い申し上げたい。
(前田有一)