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『レ・ミゼラブル』の”Misery”とは当時の貧困の厳しさに起因するみじめさだ。
現代社会は完全ではないが徐々に貧困を世界から追放しようとしている。
だからこそ、往時の社会情勢に関心を持って今の時代について考える良い機会になると思う。
ただ生きることに懸命だった時代に社会的使命を見いだし果敢に生きた男の生きざまは生きる目標を見失いがちの現代人には人生の羅針盤となるだろう。
ジャン・バルジャンはマドレーヌと名を変え市長兼工場主として成功するが、この労働者の生活を守るという観点で工場経営を行っているのは、空想社会主義といわれたロバート・オーウェンの思想の薫陶を受けたからではないだろうか。
ミュージカルで脚色されたのか、原作にあったのかは分からないが、原作者であるビクトル・ユゴーが影響を受けていたというのならさもありなんと思ってしまう。
生きたくても生きられなかった人が多くいたあの時代と生きることに倦んだ人が増え続けるこの国と、どちらが幸せなのか、どちらが不幸なのか。
極論をいえば、いずれ世界からは仕事が無くなる。フランス革命の時代では仕事をすることは有閑階級を除いて生活を支える唯一の術だった。
無産階級と経営者の間では不平等な労働契約が結ばれてプロレタリアートは搾取されていたが、時が下るにつれ法が整備され、労働条件が改善されてあの時代に比べれば現代は生き易い時代にはなった。
失業が即刻死に繋がっていた時代に対して未だ安心は出来ないが直ちに路頭に迷うということも少なくなってきた。フランス革命当時は仕事の有無は死活問題だったが、現代、さらに未来に目を向けると仕事の総数は減少していく。
企業は利益を上げるために当然のことながら効率化を目指して、例えば2人の労働者で対応させていた仕事を1人でも出来るようにしてコストを削減していく。
カイゼンというのも企業にとっては利益を追求する以上当然の方針なのだが、余剰人員と勘定されてしまう労働者にとっては歓迎されない事態である。
しかも現代社会では企業もグローバル化しているので、単純作業くらいだったら人件費の安い国へアウトソーシングしてしまう。そして、余剰人員とカウントされた労働者は失業者に繰り込まれてしまう。
失業者は物価の安い国の労働力に負けないくらいの高スキルを身に付けて社会復帰を試みなくてはならない。
だが、誰もが高パフォーマンスを要求される仕事をこなせる訳ではない。
そうではない人は失業者になるしかないのだ。現在では企業から要請されるスキルに労働者がキャッチアップできない事態が続いている。
仕事をする能力が無いのではなく自分に合った仕事が無いのが現状なのだ。
効率化が進めば更なる市場の開拓がない限りいずれ社会から仕事が無くなり、生きること自体が仕事であると看做されるようになる。
これはベーシックインカムの理念と思想を共有するので詳細な説明は割愛するが、150年前の世界情勢とは異なる未来が我々の行く先に待っている。
そんな未来がやってくれば、生活のための労働から解放されてカネのためではない労働に意味を見出す必要に迫られることになる。
だからこそジャン・バルジャンの生き方は宗教という前時代的な動機であったにせよ、人生を賭してまで捧げる目的を見出した彼に強く惹かれていくのである。
ジャン・バルジャンが改心するのも神の御心を知ったからではない。人間の神性に触れたからだ。ユゴーの素晴らしさは神を讃えることよりも、神父が施した善意に人間の神性を託した点にある。
ユゴーの作品が世紀を超えて今もなお人の心を打つのは彼のヒューマニズムにあるといえる。
(青森 学)