ボローニャの夕暮れ - 小梶勝男

◆第2次世界大戦下、イタリア・ボローニャの一家族の崩壊と再生を描いた秀作。過去と未来を一瞬で肯定するラストの奇跡に感動させられた(85点)

 ボローニャはイタリア北部。長靴でいえば、脚の付根の下ぐらいか。井上ひさしが「ボローニャ紀行」で書いた、職人の町、庶民の町だ。スパゲッティー・ボロネーゼは、ボローニャ風スパゲッティーの意味。日本ではミートソース・スパゲッティーの方が一般的だろう。ボロネーゼとミートソースは別物という説もあるが、トマトの量が違うくらいである(と理解している)。

 本作はタイトル通り、第2次世界大戦下のボローニャが舞台だ。平凡な教師と、美人の妻、17歳の娘。一家の運命が、女子高生の殺人事件をきっかけに大きく変わっていく。

 ハイデガーの哲学は難解で歯が立たないのだが、時間性についての考察だけは、非常に胸を打つ。ハイデガーは、時間は過去、現在、未来が同列ではなく、常に現在から、過去や未来の意味を与え直すことが出来る、というようなことを語っている。過去も未来も、現在から捉え直すことが出来るとしたら、人間はどんなに惨めな人生を送っていても、一瞬で自分の人生を肯定出来る可能性を持っているということだろう。

 ハイデガーを思い出したのは、本作のラストに、主人公たち一家がそのように、過去と未来を取り戻す、奇跡的な瞬間が訪れるからだ。

 運命にも時代にも翻弄され続ける主人公は、映画の最後に、すべてを受け入れることで、過去も未来も取り戻す。それが家族の再生として、見事に描かれている。

 未来に重きを置きすぎるハイデガーの時間論は、結果的にナチズムに利用されてしまった面も否定出来ない。だが、本作では、個人としてムッソリーニのファシズムを乗り超え、戦後イタリアの未来を開く希望になっているのが、とても感動的なのだ。

 セピア色の画面の中、第2次世界大戦中のイタリア庶民の暮らしが、実に丁寧に、ドラマチックに描写されている。役者たちもいい。教師役のシルヴィオ・オルランドは、表情に暮らしの澱が染み付いているようだし、妻役のフランチェスカ・ネリは、そこから少し逸脱した中年女のエロチシズムを感じさせる。アルバ・ロルヴァケルの思春期の狂気も素晴らしい。

 ハイデガーとともに思い出したのが、森一生監督、勝新太郎、田宮二郎主演の「新悪名」(1962)だ。ストーリーはまるで違うが、主人公が第2次世界大戦を経て、以前の妻に会うという部分が同じなのだ。「新悪名」の主人公でヤクザの朝吉は、妻とやり直すことが出来ず、心に喪失感を抱えたまま生きることになる。もちろん、教師とヤクザの違いはあるが、実はもっと深いところに、原因があるような気がする。同じ戦争の負け組でありながら、一方は家族の再生を果たし、もう一方が果たせなかったのは、ムッソリーニのファシズムと、天皇制と、両者に対する、国民の受け入れ方の違いなのではないか。我々は未だ、現在から過去を捉え直すことが出来ず、自己を投企出来ていないのかも知れない。

 そんないろんなことを考えさせるが、少しも難解な映画ではない。プーピ・アヴァーティ監督の演出は娯楽色豊かで、むしろエンタティンメントとしてよく出来ている。女子高生殺人事件をめぐるサスペンス、意外な犯人とその動機。娘や妻の性。戦争によって次第に壊されていく日常。それらがボロネーゼソースのように混じり合い、酸味も甘みも苦みも旨みも、様々に感じさせてくれるのである。オルランドは本作で、ベネチア国際映画祭の主演男優賞を受賞している。

小梶勝男

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