◆生真面目な初老の男が抱腹絶倒の冒険へ(80点)
「判で押したような人生」という表現は、どちらかといえば自嘲的なニュアンスで使われることが多いけど、雇用環境がこれだけ悪化してくると、「判で押したような人生」を送れる人はむしろ幸せなのではないかしらんと思えてくる。本作の主人公のホルテンさんも、ノルウェー鉄道の運転士として、つましくも規則正しい毎日を送っていた。ところが定年退職の前日になって、彼の人生は予想もしなかった脱線をし始めて……。
『キッチン・ストーリー』(03)のベント・ハーメル監督が、またまた独特のユーモアと暖かさをたたえた作品を生み出した。無骨な初老の男が、まるで三谷幸喜の戯曲のように、次から次へと予期せぬ窮地に追いこまれ、「人生初めての体験」を重ねていく。麻薬所持容疑で**の穴まで調べられるわ、赤いハイヒールで街を歩くハメになるわ、目隠しで運転する男の助手席に乗せられるわと、もう散々。いかにもまじめそうな主人公(ボード・オーヴェ)が、奇人ぞろいの脇役たちに翻弄され、困惑した顔を見せるのが、最高におかしい。
一見ランダムにちりばめられたようなホルテンさんの“冒険”だが、実はハーメル監督の周到な計算に従って配置されていることに、目ざとい方なら気づくはず。序盤の“冒険”は完全に巻きこまれ型だ。ホルテンさんは運命や他人に振り回されてばかり。珍しく自発的にヨットを売却しかけたかと思えば、契約直前に心変わりして逃げ出す始末。このあたりまでのホルテンさんは、いまだ「判で押した人生」から離れることができていない。
ところが行きつけのタバコ店で店主の死を知らされたり、何度マッチを買ってもそれを忘れてしまう老人の姿を見たりするうちに、ホルテンさんの中で何かが変わる。そして、それまでは尻込みしていたことに自ら挑むようになっていく。生まれて初めてスキージャンプを飛んだ後、67歳にして人生最大の冒険(それが何かはおわかりですね?)に乗り出していくホルテンさんを、誰が声援せずにいられようか。ある脇役の語った「人生は常に手遅れ。逆に考えれば何だって間に合う」というセリフが印象的な、チャーミングな一作だ。
(町田敦夫)