プレシャス - 岡本太陽

プレシャス

© PUSH PICTURES, LLC

◆アメリカ貧困層の子供への精神的・肉体的・性的虐待等、多くの問題が浮き彫りになる(85点)

 映画『プレシャス(原題:PRECIOUS: BASED ON THE NOVEL ‘PUSH’ BY SAPPHIRE)』の主人公クレアリース"プレシャス"ジョーンズ(ガボリー・シディベ)は16歳の女の子。彼女のミドルネームが映画のタイトルになっているが、それは日本語で“いとしい”や“貴い”という意味を持つ。親の子に対する愛情が名前から分かる様な特別な名前だ。しかし、彼女の生きる現実は素敵な名前とは裏腹に、彼女の事を虫けらの様に扱う残酷なものだった。

 物語の舞台は1987年のニューヨーク・ハーレム地区。読み書きが出来ない肥満のプレシャスは失踪してしまった父親カールに2度も妊娠させられ、失業中の母メアリー(モニーク)には身体的にも精神的にも虐待を受けるという痛みと孤独の中にいた。彼女の通う学校の校長(ニーラ・ゴードン)はプレシャスの2度目の妊娠を知り、彼女をオルタナティヴスクール(フリースクール)に通わせる。気の進まないままプレシャスだが、彼女はそこでレイン先生(ポーラ・パットン)という若い女性教師に出会い、読み書きを学び、閉ざされた世界に少しずつ希望を見出してゆく…。

 オプラ・ウィンフリーとタイラー・ペリーという大物2人を製作総指揮に迎えた本作の原作は1996年に出版された女流作家で詩人のサファイア著「プッシュ」。ハーレムで生まれ育った監督のリー・ダニエルズは自身の過去の体験が原作とあまりに酷似している事に衝撃を受け、映画化が難しいとされてきた”意識の流れ”という文体で書かれたその小説の映像化に、ジェフリー・フレッチャーが脚色した見事なまでの脚本を基に挑んだ。

 リー・ダニエルズは、特に日本では名はあまり知られていないが、ハル・ベリー主演の『チョコレート』、子供に性的いたずらをした罪で刑務所に入っていた男をケヴィン・ベーコンが演じた『THE WOODSMAN』と、問題作を世に送り出している意欲的なインディペンデント系映画のプロデューサーであり、彼はヘレン・ミレンとキューバ・グッティングJr.を主演に迎えた『サイレンサー』で2005年に映画監督デビューを果たした。前作同様、今回の監督作でも幻想的な映像を交えながら物語を語るスタイルが貫かれている。

 監督が感動した程リアルな物語に幻想的な映像が登場するとはどういう事か。主人公プレシャスは大きな体を持っているため(おそらく130キロ以上)、実は虐待を続ける母にも抵抗するのは可能。しかし、常にされるがままなのは、彼女は人を傷つける事が嫌いな為。だから彼女は父親に犯されている時も逃げ出したい時も頭の中で想像し、八方塞がりの状況に出口を作り出そうとする。リー・ダニエルズはそんな彼女のファンタジーの世界を映像として見せる。「現実は現実じゃない、頭の中にほんとうのわたしがいる」。悲惨な現実だから彼女思い描く華々しい世界が逆に切なく見えてしまう。

 ダニエルズ氏がプレシャス役をオファーしたガボリー・シディベは実は演技経験ゼロの全くの素人。ところが、彼女の自然な演技が”実際にいそう”という説得力あるキャラクターを作り上げている。またどんなシーンであっても、シディベの知性とユーモア溢れる性格が滲み出ているのが印象的だ。それから本作には2人のポップスターが思わぬ形で共演しており、レニー・クラヴィッツはトレードマークであるサングラスを外し看護士ジョンに扮し、マライア・キャリーはプレシャスを親身に気遣うソーシャルワーカー・ワイズ役にほぼノーメイクで挑んだ。特に『グリッターきらめきの向こうに』でラジー賞受賞経験のあるマライア・キャリーは、その汚名返上の「女優マライア・キャリー」と謳える程の素晴らしい演技を披露している。

 主にミュージシャンの役者としての才能を引き出すリー・ダニエルズ監督だが、中でも『サイレンサー』でジョセフ・ゴードン=レヴィットの愛人役でも出演していたコメディアンのモニークが本作で圧倒的な存在感を見せつけ映画を支配する。彼女扮するメアリーは悲しい女。実の娘を犯し続け失踪した夫への行き場の無い怒りは我が子へと向けられる。この難役は長年の友人であるダニエルズ監督とモニークの間に確かな信頼関係があったからこそやり遂げられたもの。実際彼女はプレシャスの第一子を放り投げるシーンで躊躇したという。彼女が登場するシーンでは観る側に次に何かとんでもない事が起こるのではないかという気持ちの悪いヒヤヒヤ感を抱かせる。彼女のこの演技は本年度の賞レースでの助演女優賞ノミネートは確実だろう。モニークは本作で女優として大きな跳躍を遂げた。

 意地悪であざとい性格、そしてプレシャスに思いのままに罵声を浴びせるメアリー像はショック以外何ものでもない。娘に不快感しか与えられない彼女はまるで悪魔の乗り移ったケダモノ。それでも彼女はプレシャスの血を分けた母であり、プレシャスがメアリーに対し反抗出来ないのも理解出来てしまうのが歯がゆい。プレシャスを例に見る黒人家庭での子供への虐待(性的虐待を含む)は年々減り続けてはいるが、今も多くの子供たちが虐待を受けているという。概して問題は、白黒はっきり解決されるものではなく、家庭の事情もその中にいるものにしか分からない事がたくさんあるだろう。しかし、家庭というものは守られるべき場所。生活力の無い子供にとってはそこが侵されれば、もうほとんど逃げ場はない。本作の意義、それは人々に虐待されている子供達の存在を認知させる事。彼らの辛い現状を分かち合う事で、彼らの中の闇に一寸の希望の光が差す事が出来たら…。

 低所得者の家庭問題やそれに対する政府の政策は1987年当時に比べればある程度改善されたに違いない。しかしそれはまだ十分であるとは言い難い。本作は現在虐待を受けている子供達に対しても、社会全体に対しても多くのメッセージを含んでいる。題材が題材なだけに、悲しい雰囲気の映画かと思われるかもしれないが、監督は主人公に同情する様な映画にはしたくなかったという。そのため、本作は実は多くのユーモアに溢れており、作品を観終わった後は意外にも感情的になる事はないだろう。読み書きを覚え、自分を表現する事を学ぶプレシャスは1人の人間として成長し、彼女自身もきっと悲しみをユーモアに昇華して生きて行くのだろう。まるで彼女の心の歌声が聴こえてくる様なエンディングだ。

岡本太陽

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