“ハッカー”という一般的に映画向きではない職業を分かりやすいソーシャルエンジニアリングの技法にプロットした潔さを評価したい。(点数 83点)
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『スティング』(1974年公開)で最後の大掛かりな騙しのテクニックは”ワイヤード”という手口だった。
コンゲームにはターゲットの意表を突いて出し抜く面白さがあり、それがカタルシスを生む。
観客が爽快さを得るには敵を出し抜く騙しのテクニックが必要で、それがソフトウェア技術に拠るハッキングの手口になると内容を理解することが困難でカタルシスを得難い。
映画的に面白い騙しのテクニックとしてソーシャルエンジニアリングというローテクの騙し方があり、これは、あまり親密でない得意客に成りすまし電話を掛けるなどしてターゲットから個人情報などを盗み出す方法である。
監督はハッキングの中でも映画的に面白いものは何かを心得ており、作品の中では主にソーシャルエンジニアリングに焦点を当てて紹介している。
また、主役に肉体派のクリス・ヘムズワースを起用していることから判るように、ハッカーの話しであっても結局は肉弾戦がものをいうマッチョなスタイルを選んだのは、映画的に無難だったといえそうだ。
只、主人公がコンピュータを使用してマルウェアを分析する際にバイナリエディタを使って解読を試みているのだが、エディタに表示される16進数の連なりを易々と解読していくのは彼がいかに凄腕のハッカーといえどもやり過ぎのような気はした。
主人公がNSAの幹部にPDFファイルに仕込んだキーロガーをメールで送信するシーンがあるのだが、NSAが秘蔵の解析用スーパーコンピュータを持っていたにせよ、そのスパコンがインターネット経由でアクセス出来るというのはあまり考えられない。
普通はそんな重要なコンピュータはネットワークから隔離されていると思う。
それと主人公の相棒がジャカルタにあるメガバンクのエントランスで鮮やかなソーシャルエンジニアリングでメガバンクのイントラネットにコンピュータウィルスを仕掛けるのだが、これもちょっと現実的にはありそうもない。顧客情報を格納したサーバーに繋がるネットワークは外部ネットワークとは隔離されているのが普通で、受付窓口にあるコンピュータにマルウェアを仕掛けてもたぶん内部のネットワークにはアクセス出来ない。
そこは映画的御都合主義とは言えるのだが、そこかしこに使われるソーシャルエンジニアリングの手口は映画的で面白い。
そもそも映画というものは登場人物の苦悩や問題を個人の力や周囲の助けによって乗り越える”極めて個人的”な話しが映画のテーマになるのが普通である。
無論その世界観を支えるための”設定”にリアリティを持たせるのは重要なことなのだけれど、それはあくまでも枝葉末節なものであり、あまり重箱の隅を突くような評論は野暮である。
リアリティはほどほどに登場人物の決断、心の動きこそが観客の最大の関心事なのだ。
マイケル・マンが拘る”闘う男”という一貫したテーマは今回も健在で、 ヒロインの援けを借りながらも黒幕を追う主人公の孤独の影は濃く、マイケル・マンが拘る男の美学を体現している。
(青森 学)