◆無邪気な子供の想像力の中で命と物語を与えられ、その使命を果たすおもちゃたち。彼らの冒険と人間との関係のなかで、持ち主の思い出がしみついたおもちゃは心を持っていると思わせるほど、豊かな感情が描き込まれている。(70点)
見渡す限りの平原で列車強盗と闘う保安官が宇宙人に囚われる・・・。無邪気な子供の想像力の中で命と物語を与えられ、その使命を果たすおもちゃたち。持ち主が成長するにつれ役割を終えた彼らはゴミとなるか、物置に放り込まれるか、いずれにしてもおもちゃは持ち主が大人になったら必要とされなくなる。そんな、自分たちが「価値のないもの」のレッテルを張られてしまったと誤解するおもちゃたちが哀れだ。彼らの冒険と人間との関係のなかで、持ち主の思い出がしみついたおもちゃは心を持っているのではと思わせるほど、豊かな感情が描き込まれている。
大学に進学するアンディは子供のころ遊んだおもちゃを整理する。おもちゃたちはゴミ袋に入れられるが、捨てられるよりはマシと保育園行きの段ボールに忍び込む。そこはおもちゃたちにとっての地獄、一度は脱走に成功したウディは仲間を助けるために保育園に戻る。
保育園のおもちゃたちはロッツォというクマのぬいぐるみに支配されていて、新入りは幼児の相手をさせられるしきたりになっている。丁寧に扱ってほしいと願っても、投げられ踏みつけられ壊される。それでも誰かの役に立っていると思い込もうとするおもちゃたちの健気さが涙を誘う。一方でロッツォは持ち主に忘れられた過去から独裁者になったのだが、愛された記憶が強いゆえに裏切られた末に愛や希望を憎むという心理も共感を呼ぶ。
やがてウディたちは深夜に大脱走劇を繰り広げるが、そのシーンは手に汗握るスリルに満ち、特にクライマックスの焼却場では、子供向け作品にあるまじき残酷な最後を予感させるほど絶体絶命の危機に陥ったりする。なにより人目がないところではあれほど饒舌で活動的だったおもちゃたちが、人間の前では表情をなくし脱力する。映画を見ている観客は、その間もおもちゃたちの胸の中では喜怒哀楽が交差し身の回りの出来事を覚えていることを知っている。だからこそ、新しい持ち主に大切にされている姿を見ると、大いなる安ど感に包まれるのだ。
(福本次郎)