果たしてこの演出でよかったのだろうか?(40点)
「自分探しの旅」が、ザックを背負って貧乏旅行をする沢木耕太郎の『深夜特急』のイメージだといえば、若い世代に“きょとん”とされるだろうか?
国が異なるからか、時代が異なるからか、はたまた性別のせいかなのか。ハリウッドの大物女優ジュリア・ロバーツを起用して描かれる「自分探しの旅」は、平穏な結婚生活を送り、お金も十分にあるキャリアウーマンが主人公。家族や仕事を投げ出して旅に出る主人公のメンタリティは、なんとも理解に苦しむ。ハタチ前後の小娘でもなかろうに。とはいえ、物質的にも環境的にも満たされている彼女が、説明のつかない「虚しさ」に襲われる心理は、意外に少なくない「満たされない症候群」を病む女性にはピンとくるかもしれない。
ニューヨークでジャーナリストとして活躍するエリザベス(ジュリア・ロバーツ)は、8年におよぶ結婚生活にピリオドを打ち、1年間で世界3カ国を巡る旅する。イタリアでは「自由に食べる喜び」を堪能し、インドでは「自分自身を見つめ直す内省」を会得し、バリでは「自然と共にある調和」の気持ち良さを知った。ところが旅の最後に訪れたのは、ある男との運命的な出会いであった……。
「旅」とはいえ、その実は「滞在」である。その土地での暮らしを受け入れて、ありのままに生きる。それがエリザベスが自分に課したミッション。「旅の間は恋をしない」という唯一のルールは、惰性で恋愛をすることで「自分探し」の機会を損なうことのへの警戒心が生み出したものだ。そうなると、一体どこが「ありのまま」なのかよく分からないが、当の本人は、異国の地でさまざまな文化や人間に触れながら、今まで経験したことのない充足感や癒しを味わう。
「ご覧の通り、エリザベスの成長を描いた物語です」とでも言いたいのだろう。映画制作者サイドとしては。しかし、果たして彼女が「自分探しの旅」で、「自分」を見つけられたかは疑問である。そもそも旅に発見があるのは当たり前の話である。肝心なのは、旅を通じて、彼女がニューヨークで感じていた「虚しさ」の原因を突き止められたか否かであろう。しかしながら、おそらく彼女は本質的に何も変わっていない。「自分探しの旅」に出た女性が、当初の目標を達成できずに終わった…。本作「食べて、祈って、恋をして」は、そういう映画である。彼女はきっとまた同じ過ちをくり返すのだろう。
第一、自由な旅に出ながらに「旅の間は恋をしない」というルールを設けることに何の意味があるのだろう? 心とは裏腹にムリして自然体を装おうとする彼女の行動から見えてくるのは、自意識とプライドの高さにほかならない。ましてや主人公が「空虚な自分もまた自分」と悟るなど夢のまた夢。重度の「満たされない症候群」を病む主人公の心理変化はどこまでも微量である。原作がある作品とはいえ、果たしてこの演出でよかったのだろうか? とよからぬ心配をしたくなる。
渡り歩く3カ国で、順番に別々の「大事なもの」を見つけるというご都合主義にもげんなりする。そんな厳格なフォーマットが「自分探しの旅」の価値を下げている。イタリア、インド、バリと渡り歩くなかで、各国のロケーションや人々の生活が垣間見られるのは楽しく、光に満ちた映像も“癒し系映画”らしいアドバンテージだ。しかしそれらを手放しで賞賛できるのは、主人公の心理描写にリアリティがあればこそ。鑑賞後に「イタリアンが食べたくなった!」「バリに行きくなった!」「自分探しの旅に出たくなった!」のいずれかで終わってしまう映画ってどうなのだろう? と首をひねるばかりだ。
お気に入り点数:40点/100点満点中
(山口拓朗)