◆「ありのままの自分」を肯定したディズニーの歴史的転換点(70点)
ティンカー・ベルといえば、本来はピーター・パン物語のかき回し役。いたずら好きで嫉妬深いこの妖精は、アニメ作品はもとより、ジュリア・ロバーツやリュディヴィーヌ・サニエが演じた実写版でも、かなりエキセントリックに描かれてきた。その“ティンク”が、脇役から主役に格上げされた本作ではぐっと感情移入しやすいキャラに生まれ変わった。人間の言葉(というか、観客が聞いてわかる言葉)だって初めて口にしちゃうのである。
もの作りの妖精ティンカー・ベルは、人間界に春を届けに行く仕事がしたいあまりに、水や植物を司る妖精に“転職”しようと奮闘する。ところが大失敗を重ねたあげく、妖精たちが進めてきた春の準備を台無しにする始末。タイムリミットが迫る中、ティンクが失地挽回のためにフル稼働させたのは、本来与えられた、もの作りの才能だった……。
いの一番に目を奪われるのは、妖精たちが住むピクシー・ホローの美しさだ。その色彩、陰影、明暗は、どこか2Dアニメの暖かさを残しつつも独創的。3Dアニメもここまで来たかと感動さえ覚えるほどだ。半透明の羽根の羽ばたきや水滴の表現、妖精たちの衣装や植物のデザインも秀逸。ティンクの愛すべきドジぶりにも我知らず頬が緩む。ただ、大人の目で本作を観た場合、最も注目される点は別にある。この『ティンカー・ベル』、もしかしたらディズニー映画の歴史的な転換点になるかもしれない。
従来のディズニー映画は、常に成長・進歩・変化を肯定してきた。それは「明日が今日よりよくなること」を無邪気に信じられたアメリカ社会の反映だった。だからプリンセスたちは、ガラスの靴を履いたり、王子様のキスを受けたりすることで、「よりよい自分」に変わることができたのだ(そのナイーブな変身礼賛主義を鋭く茶化してみせたのが、ドリームワークス製作の『シュレック』だった)。この春日本で公開された『魔法にかけられて』でも、ヒロインは「あるがままの自分」をある程度までは肯定しながら、最後はやっぱり成長や変化を求めた。彼女がそれを王子様のキスではなく、自らの意志と選択でつかんだ点は画期的だったが、「よりよい自分」を希求するディズニー映画の基本線は揺るがなかった。
ところがこの『ティンカー・ベル』で、ディズニーは「あるがままの自分」に対する完全肯定に転じている。人は本来自分に合った役回りや取り得があるもの、無い物ねだりはやめようよという発想だ。言葉を変えれば、(マリナーズのイチロー選手が毛嫌いしている)「ナンバーワンよりオンリーワンを目指そうよ」という発想ですね。変化を肯定してきたディズニーが、変化を否定することで、自らの変化を鮮明にするという構図。4部作になることが予定されている『ティンカー・ベル』シリーズで、ディズニーの姿勢が今後どのように推移していくのかが興味深い。
(町田敦夫)