ゾンビランド - 小梶勝男

◆笑いもスプラッターもきっちり楽しめるホラー・コメディー(72点)

 ゾンビは元々、ブードゥー教の呪術師によって魂を抜かれ、奴隷化された人々だった。このブードゥー・ゾンビは、早くからベラ・ルゴシ主演の「恐怖城」(「ホワイト・ゾンビ」)(1932)などでスクリーンに登場している。ゾンビ自体は自分の欲望を持たず、「支配者」の言いなりになって働くという点で、我々が悪い意味での「共産主義」をイメージするときの、「人民」に近いといえるだろう。

 これを「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968)で、180度転換したのが、モダン・ゾンビの祖、ジョージ・A・ロメロだ。当時はベトナム戦争下。「人肉を食べたい」という、自らの欲望のままに動くゾンビは、共産主義的なブードゥー・ゾンビに対し、資本主義的なキャラクターと言えるのではないだろうか。「人が人を食べる」というのも、資本主義の競争社会を象徴しているように思える。そこに、リチャード・マシスン原作の「地球最後の男」やハマー・プロの「吸血ゾンビ」(1965)の要素が加わって、モダン・ゾンビが完成した。マシスンが描いたのはゾンビではなく吸血鬼なのだが、吸血鬼=他人の血(金)を吸い取る鬼という、金貸しのイメージからも、資本主義的キャラクターにはぴったりだった。

 ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、米国同時多発テロとリーマン・ショックを経た今、御大ロメロは米国の再生を意識して、新作「サバイバル・オブ・ザ・デッド」(2009)では米国の歴史の出発点である西部劇まで遡っている。本作「ゾンビランド」もまた、「再生」の物語だ。人間の殆どがゾンビ化してしまった世界で、生き残った人々は他人を一切信じず、「自分のルールにだけこだわって」生きている。それは引きこもりの主人公だけではない。マッチョなゾンビ・ハンターも、詐欺師の姉妹も、「他人を信じない」というルールを課している点では同じだ。それは資本主義が行き着くところまで行った末の、不信の荒野だ。行き着くところまで行って、また出発点に戻ったのである。彼らが他人のために自らのルールを破ったとき、荒野に最初の「家族」が生まれる。ある意味それは、西部劇に登場する「一家」のようでもある。

 冒頭、人間の殆どがゾンビ化した世界が、スーパースローで描かれる。人が人を食う残酷場面だが、スーパースローで描かれると、奇妙におかしい。ゾンビと人間との戦いを描いてはいるが、これはコメディーなのである。ゾンビのコメディーといえば、「ショーン・オブ・ザ・デッド」(2004)や「ゾンビーノ」(2007)を思い出すが、見た印象はむしろ、「ビッグ・バグズ・パニック」(2009)と似ている。

 主人公は引きこもり気味の青年(ジェシー・アイゼンバーグ)だ。ゾンビの世界で生き残るため、32のルールを作り、それを頑なに守っている。両親の住むコロンバス州へ向かう途中、ゾンビ退治の達人で、トゥインキーというスポンジケーキを探すことを生き甲斐にしているタラハシー(ウディ・ハレルソン)や、ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)という詐欺師の姉妹と出会い、一緒に旅をすることになる。姉妹はロサンゼルス郊外にあるゾンビがいないという遊園地「パシフィックランド」を目指していた。

 コメディーだが、ゾンビの食人場面は残酷で、スプラッター度はかなり高い。ゾンビたちが内蔵や手足をかじる場面も、ゾンビの頭や手足がちぎれて飛び散る場面もちゃんとある。スプラッターが見たい人も満足できるだろう。本作のゾンビたちは結構走る。走るのが遅いデブは逃げ遅れてゾンビになるため、デブのゾンビが多い、というのが笑える。デブにならないための「有酸素運動」は、主人公のルールの一つにもなっている。

 主人公の決めた「ルール」は、画面に字幕で登場する。最初は失笑だが、繰り返されるうちにだんだん可笑しく思えてくる。主人公だけでなく、タラハシーも、詐欺師の姉妹も、それぞれ自分にルールを課している。ルールだから、当然破られる。自分を守るためのルールを、他人を守るために破ったときに、主人公たちは友情や愛情を取り戻し、「ゾンビ同然」の(資本主義的に欲望に特化した)人間から、人間らしい人間になる。実に健全なテーマが、グロテスクなスプラッターと悪趣味な笑いの中に描かれている。童貞のダメ青年のビルドゥングスロマンにもなっている。

 ウィチタ役のエマ・ストーンは、グリーンがかった瞳の色がとてもきれいで、実にかわいい。主人公が夢中になる気持ちもよくわかる。主人公と同じマンションの住民で、ゾンビになってしまう美女をアンバー・ハードが演じている。「ステップファーザー/殺人鬼の棲む家」でも水着姿を見せてくれたが、ゾンビになってもセクシーなのはさすが。2人の美女がとても魅力的で、見ているだけで楽しい。

 ビル・マーレイが本人役で出演しているのも面白い。ちょっとやり過ぎで安っぽいコントみたいになってしまっているが、マーレイだから笑って許せる。

 ラスト、遊園地で繰り広げられるゾンビと主人公たちとの戦いは、乗り物や施設がうまく使われて、アイデアたっぷりだ。ウディ・ハレルソンが様々なアトラクションに乗りながら、ゾンビを撃ちまくる場面が痛快だ。ここはなかなか、カッコいいのである。全てが軽めではあるが、笑いもアクションも、スプラッターもセクシーな魅力も楽しめる、贅沢なゾンビ映画。本作が初の劇場用長編映画となるルーベン・フライシャーは、新人らしくない手腕を見せてくれた。

小梶勝男

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