◆ディアブロ・コディ脚本にキレがない(30点)
アメリカという国は個人主義なので個性を尊重、人と違った事をやっていても認める気風があり、だから日本のような陰惨ないじめなどはあまりない。
──などと誤解されていた時期もあった。上記は一部正しいが、少なくとも現在では結末は明らかに間違っている。実際のところ、自由と民主主義の国にも一皮向けば差別意識渦巻く厳しい競争社会の本質があり、ときにそれは多人種国家ならではの残酷さで人々を苦しめる。
『ジェニファーズ・ボディ』は、中西部の田舎の女子高校生の暮らしを舞台に、とくに女の子同士の間に生まれる「残忍性」を主題に描くホラー映画。
学園の女王蜂的存在のイケてる女子高生ジェニファー(ミーガン・フォックス)と、地味で男っ気のないニーディ(アマンダ・セイフライド)は、はたから見ればまったく共通点もなく釣り合わない存在だが長年の親友同士。地元にやってきたおしゃれなインディーバンドを見に出かけた二人だが、早速ジェニファーがヴォーカルの男からナンパされる。適当にやり過ごすものの、その後、店でショッキングな出来事が起こり、ショックで放心状態のジェニファーはニーディの制止も聞かず、バンドの車に乗り込み連れ去られてしまう。
この映画は10代少女の妊娠騒動をコミカルに描いて大ヒットした「JUNO/ジュノ」でアカデミー脚本賞を受賞したディアブロ・コディの脚本最新作だから、なによりもストーリーに期待して見た。彼女は今回プロデューサーもつとめていて、監督も若い世代(68年生まれ)の日米ハーフ女流監督カリン・クサマ。キャストには今が旬の人気女優が二人、仲良く名前を並べている。つまり女性による、女性のためのサスペンス映画というわけである。女性を何より愛する恋愛至上主義の映画批評家としては、おのずと期待が高まるというほかない。
しかしどうだろう、私の期待はあっさり裏切られてしまった。ホラーの類は見尽くしたほど見ているディアブロ・コディが一番怖いと思うもの、すなわち「若いオンナならではの残酷さ」など、ほとんど描かれてはいない。あふれるホルモンに精神をのっとられ、右往左往するティーン女子の「怖さ」など、せいぜい隠し味程度の扱いである。
その代わりに何が出てくるかといえば、「超常的なバケモノ」。こんなものが一番怖いとはコディさん、怖がりにもほどがある。
導入部はよかったのだ。仲良し少女二人を写しながらも「こいつら本当は仲悪いんでないか?」と思わせる不穏な映像を見ると、観客は「何かおかしい」と違和感を感じて引き込まれる。
だが、その主人公少女がヤリチンのバンドマンに連れて行かれた先の真相が明らかになった瞬間、一気に興醒めする。このジャンルのホラーは、「見せたら終わり」が鉄則である。それこそイケてるヒロインのはいてるパンツよろしく、「見えそで見えない」から観客のスケベ心、いや恐怖をあおることが出来るわけだ。
もっとも、オカルトが好きな人はこれでも喜ぶかもしれないが。
最終的にそのあたりは好みの問題とはいえ、やはりディアブロ・コディが書くとなれば、この人特有の現代的で生々しい筆致で、少女たちの「リアル」を暴き出す日常の裏側のようなものを見せてほしかった。それとホラーまたはサスペンスジャンルの融合となれば、相当面白いものを期待できるではないか。
今回は字幕の表現もずいぶん平凡で、この脚本家らしい言い回し(ギャル語みたいなもの?)も表現してはいない。この点も残念。
結末に至る流れも、どこにでもあるバケモノホラーそのもので、まるで新味なし。
唯一面白い点といえば、いわゆる学園ヒエラルキーの実態というか空気を、そこそこ伝えてくれる点。ミーガン・フォックスはその頂点に君臨する女王蜂のキャラクターにぴったりだ。ただでさえ美人な上に、肉体改造をいとわぬ女優魂により、ハリウッドでも一二を争うセクシーかつナイスバディを身に着けた、まさに旬の女優である。
その親友役アマンダ・セイフライドも、この手の役柄はお手の物。どんくさいダウングレードメイクの力もあって地味少女を好演。もっとも、さえない彼氏とのメイクラブ場面では横乳公開という嬉しいオプションサービスもあり、この女優が本当はミーガンにさえ匹敵する超美少女だと知るファンを喜ばせる。
期待すべき方向を間違うと、少々ハズレ感が強くなってしまう本作。こういうのを地雷というのだろう。読者の皆さんが被害者とならぬよう、大事なポイントは本文に書いたつもりだが、なんといっても脚本家より女優に注目してみたほうが、爆死する可能性は低いといえる。
(前田有一)