サバイバル・オブ・ザ・デッド - 小梶勝男

◆モダン・ゾンビの祖、ジョージ・A・ロメロのゾンビ・サーガ最新作。これまでの作品に比べ、緊迫感は薄れたが、人間同士の戦いをメーンに新しい切り口に挑戦している(79点)

 すでに70歳を超えるジョージ・A・ロメロの新作を見ることが出来るのはとても嬉しい。「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の製作は1968年。それから42年がたち、ロメロの生んだ(ブードゥーではない)モダン・ゾンビは世界中で様々に進化し、増殖してきた。その間、ロメロも常に新しいゾンビ映画を、一種のサーガとして作り続けてきた。本作はロメロの6本目のゾンビ映画だ。これまでの作品と大きく違うのは、人間とゾンビの戦いではなく、人間同士の戦いがメーンとなっていることだろう。人間もゾンビも、「攻撃してくる者」「戦う相手」として、同じように描かれている。

 舞台は前作「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」(2007)の4週間後。「ダイアリー~」でドキュメンタリーを撮影する若者たちを襲った州兵が、今度は主人公だ。サージ(アラン・ヴァン・スプラング)らは仲間たちと隊を離れ、強盗を繰り返して安全な場所を探している。そんなとき、少年と出会う。少年はある映像を見せる。老人が、安全な島の存在を語る映像だった。サージら一行は、少年を連れて島へ向かう。一方、島では2つの「一家」が対立し、争っている。ゾンビの扱いを巡り、一方は手懐けようとし、もう一方は壊滅させようとしていた。サージら一行は2つの「一家」の対立に巻き込まれていく。

 こう書くと非難を浴びるかも知れないが、ロメロは本質的には、ホラー作家ではないのではと、以前から思っていた。ホラーの巨匠であることは十分認めている。だが、傑作「ゾンビ」(1978)にしても、ホラーというよりはアクション・スプラッターの印象がある。理解不能なもの、理由の分からないものへの恐怖がホラーの本質であるとすれば、ロメロのホラーは余りに政治的で、ジャーナリスティックに過ぎるような気がする。よく「ナイト・オブ~」がベトナム戦争を連想させ、「ゾンビ」が消費社会への批判だといわれるように、どの作品も分かりやすいメッセージを含んでいるのだ。

 一方で、密室での人間とゾンビとの攻防をスリリングに描く演出力や、トム・サヴィーニらによる残酷な特殊メークアップは、メッセージを超えて、ホラー映画としての醍醐味を伝えてきたのも確かだ。

 「ダイアリー~」で地上にゾンビが現れる最初の時代に立ち返ったロメロは、今度は米国の歴史の最初の時代に立ち返ったのだろう。本作の印象はまるで西部劇だった。西部開拓時代のように、人々は所属する「一家」に分かれて銃を構え、余所者に対しては、たとえ人間であっても、ゾンビに対するのと全く同じように銃口を向ける。人間同士の争いにも、ロメロの演出力は生かされ、対ゾンビの場合と同じようにスリリングだ。人体が破壊される残酷描写もゾンビであれ、人間であれ、全く変わらない。

 「ダイヤリー~」でPOV(主観映像)に挑戦したロメロには、メディアに対する非常な敏感さを感じたが、今回は一転、ごく普通のドラマにゾンビを絡ませたような印象だ。「人間に飼いならされたゾンビ」というテーマも、今ひとつ伝わってこない。もちろんドラマとしての面白さはあるが、これまでの作品にあったような、絶望的な終末感や切迫した緊張感は薄まってしまった。登場人物たちも余りゾンビを怖れていないように感じられた。

 しかし、ゾンビの首だけが生きたまま杭に刺さって並んでいる場面や、ゾンビたちに生きながら食われ体がバラバラになる場面など、ロメロらしい過激な描写は存分にあって楽しめた。これまでの繰り返しに満足せず、ゾンビ・サーガの中で新しい切り口を求めたロメロの意欲には、敬意を払いたい。

小梶勝男

【おすすめサイト】