サッカーを通してより人間性の豊かな人材を育成していく。教育改革者の視線はいつも遠い未来を見据えている。(点数 83点)
(C)2011 DEUTSCHFILM/CUCKOO CLOCK ENTERTAINMENT/SENATOR FILM PRODUKTION.
英語教師のコンラート・コッホが母校に招かれ教鞭をとるうちにサッカーを通して自立した人間を育成すること目指していく。
コッホはドイツサッカー界のパイオニアと呼ばれている。
ヨーロッパのパワーバランスの中でサッカーの有用性が重要視されるも富国強兵の観点から奨励されてコッホ先生が伝えたい気持ちとは温度差がある。
しかし、その願いとは別にサッカーは熱病のように生徒を魅了していく。
イギリスに偏見を持つドイツの学校の生徒たちを嗤っていると、いつの間にか自分を映す巧妙な鏡にすり変わっている。
映画で描かれるドイツ人のイギリスに対する偏見は今の日本人のアジア観の縮図であるといってよい。
気持ちよく笑って、ほのぼのとしていれば良いという表層的な映画の見方が出来る一方で、どうしてももう一つの面について言及したくなる。
当時、ドイツの学校で教えていた反英感情は 体制側から一方的に伝えられるものであって、イギリス人と実際に交流して得られた知見ではない。
こういう憎しみは第三者を経由して広まるばかりで、実体が無い。
実体が無くても流通するので憎悪のインフレーションが起きてしまう。
人はもっと憎しみに対して警戒感を持つべきだ。
イギリスというドイツから距離を置いた国への憎悪が増大するのは、そこに住む人々の普通の生活をリアルに感じられないからである。
実際に膝を突き合わせて語り合えば同じ人間であることが解るはずなのに、この反英感情ももはや身体性が担保されなくなった「雰囲気」だけが流通し始める。
これは今、何処かの国でも同じようになりつつあるのは偶然ではない。歴史の轍に学ばなくてはならない。
後援会の会長がコッホを共産主義にかぶれた人間として吹聴するがコッホの存命期間とマルクスが社会主義運動をしていた時期が重なる。
マルクスが「共産党宣言」を起草した1846年はコッホが生まれた年でもある。
階級闘争が激しかった19世紀にコッホはスポーツによって階級の垣根を越えようとした。
階級間の交流が殆ど断絶していた時代にこの進歩的な学校でブルジョアとプロレタリアの子弟が席を同じくするというのは現代人には想像しにくいほど、抵抗感のあることだったように思う。
武士の子供が藩校で学んでいるところに商人の子供が寺子屋から転校してくるようなものである。
そのような非常に進歩的な試みをコッホの母校はしていたのだ。
帝国主義という搾取する者とされる者に分かれていた価値観の時代に、搾取される者が国家の主体であるという思想がいかにラジカルなものであったのか当時のヨーロッパを覆う空気を考慮すれば想像に難くない。
コッホはそのようなパラダイムをスポーツによって起こそうとしていた。
映画では社会主義とコッホの思想に直接の関係が有るのか、本人の告白は無いのだけれど、イギリスの自由な気風を取り入れたというよりも、やはり社会主義の思想に影響されていると見た方がまだすんなりと説明がつく。
当時はイギリスもまた帝国主義を金科玉条にして諸国と覇権を争ったライバルだったからである。
この映画の芯になっているのは、階級間の闘争を超えて対等になるために自立心・平等意識・メンバーシップを育てるサッカーが手本にされたことである。
隷属とは自分で考えることを放棄した心理状態であり、服従は責任の所在が支配者に有ると宣言することである。
それでは階級差は永遠に固定されるだけで、真の平等は実現しない。だからコッホは「不服従」を訴えたのだ。
この映画は”サッカー”というスポーツを呼び水にしながらも本当に描きたかったものは差別や偏見を乗り越える人間のちからについてである。
だからサッカーの競技だけに関心があるひとには裏切られたような気分になるかも知れない。
サッカーとはかくも奥が深いものなのだ。
(青森 学)