映画が始まってすぐに、見ている人たちの嗚咽が聴こえてきて、それが最後まで続いた。涙なしに この映画は見られない。(点数 80点)
どの国にも暗い過去、あまり他人に触れられたくない過去の汚点といわれるものがある。
日本でいうと、関東大震災直後の朝鮮人狩り、宣戦布告なき開戦パールハーバー、南京大虐殺、アイヌ土人法、部落差別、日本軍による沖縄人集団自決の強要、ハンセン氏病患者の隔離、調査捕鯨、東電の放射能垂れ流し、などなど、、、。
この映画は イギリスとオーストラリア両国政府の歴史的汚点である、「忘れられた子供たち」を明るみに出した映画だ。
いまのところ 明確になった事実は、1920年代から1970年代までの間に、13万人の 3歳から14歳までのイギリスの子供たちがオーストラリアに送られて、多くは孤児施設や教会施設で強制労働を強いられた というものだ。
子供たちの移送はイギリス政府とオーストラリア政府間の合意のもとに行われた。
政府間の間にたって、斡旋したのは救世会、カトリック教会、大英教会、その他 慈善団体だった。
ボートに乗せられ、オーストラリアに送られた子供たちの、多くは孤児ではなかった。
母親が病気で預けられていた子供たちや、子供を欲しがっている家庭に養子に出した貧しい家庭の子供たちや、戦争中 安全なところに避難させられた子供たちが多数含まれていた。
【ネタバレ注意】
主に西オーストラリアと南オースチラリアに送られた子供たちは 私物やパスポートを取り上げられ、粗末な衣類と乏しい食料を与えられ、教育を受けることもなく、孤児院施設や教会施設の建設、灌漑事業の強制労働をさせられた。
施設では 子供たちへのレイプや虐待は日常茶飯事だった。
成人してからは、施設で過ごした年数分の食費を借金として返済させられた。
この子供たちを「忘れられた子供たち」と呼ぶ。
これらの両国間の恥ずべき事実は、長いこと当の子供達以外に知るものが無かった。
政府のスキャンダルが 明らかにされ、被害者起こしが始まる。
しかし、心にも体にも傷を負った当時の子供たちの口は重い。
成長した後も 教育を満足に受けられなかったため 良い職業につくことが出来ず また、性的奴隷にされ成長したために 大人になっても普通の結婚生活を送ることができず生活破綻する人が多い。
僅かだが幸運にも子供を欲しい家庭に養子として受け入れられて幸せに成長した子供も居る。
しかし、ほとんどは 施設で過酷な境遇にあった。
イギリスで孤児に掛る一日の経費は一人10ポンドだが、オーストラリアでは5シリングで済んだ、と言われている。
2009年11月、労働党ケビン ラッドが 首相になって 初めて政府として国会で「忘れられた子供たち」に謝罪が行われた。
続いて、2010年2月、英国政府として、ゴードン ブラウンが謝罪した。
しかし 両国による謝罪が済んだばかり。今後は具体的な 経済的保障、損害賠償などが課題になる。
まさに、「忘れられた子供たち」は、過去の汚点などではなく、現在進行形の事実なのだ。
現在キャンベルタウンの市長は この「忘れられた子供たち」のひとりで、インタビューに答えて、自分は生後2ヶ月で揺りかごの中から浚われて、最終的にはオーストラリアに送られてきた。
ボートが港に着いたときに、男女別々にされたため兄と妹、姉と弟が引き裂かれて泣き叫んでいた時の悲鳴が忘れられない、といっている。
当時の同じ仲間の多くは子供のときに頭を殴られて いまは耳が聞こえない、と語っている。
監督:ジム ローチ
原作:マーガレット ハンフリー著「EMPTY CRADLES」
キャスト
マーガレット ハンフリー:エミリー ワトソン
レン :デヴィッド ウエナム
ジャック ;ヒューゴ ウィービング
ストーリーは
英国 ノッチンガムでソーシャルワーカーとして働いているマーガレット ハンフリーは 1986年、ある日 オーストラリアから来たというシャーロッテと名乗る女性に呼び止められる。
彼女は ノッチンガムの孤児院から 4歳のときに オーストラリアに送られて成長した。
自分が誰なのか、探して欲しいと言われる。
しかし それがマーガレットには どういうことなのかわからない。
そんなことがあるわけがない。4歳の孤児がまさか、地球の果てのような外国にボートで送られるなんて。
その上、孤児施設で奴隷のように働かされたなんて。
しかし自分のグループセッションに参加している女性が 自分には身寄りがないと思っていたが ジャックという弟がオーストラリアにいることがわかった と言って喜んでいる。
ジャックは 8歳のときに船に乗せられてオーストラリアに送られたのだと、にわかには信じられない話がマーガレットのところに 再び舞い込む。
オーストラリア大使館に問い合わせても、わからない。何の記録も残っていない。
シャーロッテの戸籍を調べてみると、彼女の母親がまだ実在していることがわかった。
母親は 当時社会では許されない婚外関係で子供を産み 養子に出して、シャーロットを手放した。
まさか、その後 娘が外国に送られて過酷な生活をしたなどとは想像もしていなかった。
マーガレットは この母娘を引き合わせる。うりふたつのように似た顔の娘が母を初めて対面する。
捨てられた娘の母を見るぎこちない視線、、、。
マーガレットは、オーストラリアを訪ねて、ジャックと姉に引き合わせ、彼らの母親を探し出す。
しかし見つけたのは1年前に亡くなった母の墓石だった。
「ボクが かあさんを見つけるのが遅すぎたから、、」と 泣きながら自分を責めるジャック、、、。
レンは 西オーストラリアの砂漠の中で カトリックの巨大な殿堂を建設させられた。
重労働による怪我や栄養失調で 亡くなる仲間の子供たちがたくさん居た。
昼は労働、夜は牧師たちの性奴隷になった。成長してから借金を返済するまで拘束は続いた。
30年余り時がたって マーガレットが探し当てた母親に会いに、渡英したが、かつて自分を捨てた母親を受容することができずに、苦しんでいる。
マーガレットはオーストラリアの当時の子供たちを訪ね歩き、新聞社や放送局の協力を得て 当時の子供たちをカミングアウトするようにキャンペーンを始める。
それに対して これは済んだ過去のこと として教会関係者や当時の施設関係者たちの妨害が始まる。
マーガレットは死の脅迫を受け 暴力の恫喝を受ける。
しかし、ひるまず彼女はまた、「忘れられた子供たち財団」を組織して 当時の子供たちの 聞き取り調査を続ける。
という実際にあった ストーリー。
この映画は 社会派映画監督ケン ローチの息子 ジム ローチが製作した。
ジムはテレビ畑の人なので、ドキュメンタリーフイルムを作る予定で動き出していたが ドラマの方がインパクトがあると考えて映画にしたそうだ。
英国とオーストラリアで撮影され、両国の俳優を使っている。
レンを演じたデヴィッド ウェルナムは実際被害者たちと会い 彼らが建設したカトリック施設で 1週間過ごして役作りを考えたそうだ。
題名の「オレンジとサンシャインと」は、子供たちがオーストラリアに連れてこられる前に 言い聞かされていた言葉。
「オーストラリアでは手を伸ばせばオレンジの実が取れて それが朝ごはん。毎日太陽が輝いて カンガルーが学校に連れて行ってくれるよ。」と。
なんと罪つくりな大人たちだったことか。
映画が始まってすぐに、見ている人たちの嗚咽が聴こえてきて、それが最後まで続いた。
涙なしに この映画は見られない。
(テイラー 章子)