◆薄型テレビと携帯電話と宮崎あおいという小顔の女優が出てこなければ、40年前のホームドラマを見ているような錯覚を起こしかねない舞台設定。家族の絆と近隣同士の交流が盛んだったころの暮らしの原風景を見ている気にさせる。(70点)
同じ敷地内に母と娘が生活する家と大家のばあさんが住む古い木造家屋が庭を挟んで立っている。高度成長期以前に建てられたのか、時代から取り残された佇まいは、この3人の長く深く濃い人間関係を象徴している。訪れるのも近所の主婦だけの女の世界、薄型テレビと携帯電話と宮崎あおいという顔の小さな女優が出てこなければ、40年前のホームドラマを見ているような錯覚を起こしかねない舞台設定と交わされる会話の内容は、家族の絆と近隣同士の交流が盛んだったころの庶民の暮らしの原風景を見ている気にさせる。
月子の母の陽子はある夜、金髪の若い男・研二を家に連れて帰り、結婚すると言い出す。突然の展開に月子はショックを受け、研二のヘラヘラした態度にもいら立ちを募らせていく。さらに3年前から付き合っていたと聞かされ月子は大家のさくちゃんのもとに家出する。
生まれる前に父を亡くしていた月子は、OL時代にも同僚の男に付きまとわれた経験から、男の生態をよく知らないのか、研二に対しても過剰に身構えてしまう。母と娘の平和な日々が研二の闖入でバランスを崩していくプロセスはちぐはぐでかみ合わず、その微妙にズレたお互いへの気持ちがコミカルな中にも繊細に描かれる。母の本心を本人からではなく他人の口から聞かされる、ただ一人の肉親だからこそ気を使っているのに、相手は水臭いと感じている。すれ違いのもどかしさが軽妙なテンポの会話で浮き彫りにされていく過程は人情の機微に富んでいて、人が深刻に悩み人を真剣に心配する、そのつながりが懐かしくもうらやましい。
研二の抱える後悔、陽子の秘めた願い、月子はそれらを知っていくうちに彼らもまた心に重荷を背負いながらも表に出さないように努力しているのを知る。辛い過去や哀しい記憶は誰にもある、しかし人は生きていかなければならない。それでも日常の出来事にちょっとした笑いや幸せを見つけることで人生は豊かになる、そんな思いが込められた作品だった。
(福本次郎)