◆落ち目のヴァン・ダムが自分を演じてみせるけど、ただのキワモノ映画じゃない!(70点)
90年代のジャン=クロード・ヴァン・ダムは輝いていた。アクションスターの範疇を超えることはなかったが、チャック・ノリスやスティーブン・セガールのようなアクションだけのスターとはどこか違った存在だった。ところが今世紀に入ってヴァン・ダムのキャリアは急降下する。大作への出演がパタリと途絶え、私生活でもトラブル続き。『その男ヴァン・ダム』は、そんなトホホなヴァン・ダムが、トホホな自分を虚実の境目も曖昧に演じた作品だ。
劇中のヴァン・ダムもまた、アクションスターとしての盛りを過ぎ、低予算映画で食いつなぎながら、娘の親権を別れた妻と争っている。俳優が実名で登場する映画といえば『マルコヴィッチの穴』(99)を思い出すが、同作のジョン・マルコヴィッチが単なる物語の“舞台装置”だったのに比べ、こちらのヴァン・ダムは逃げも隠れもできない主役だ。五輪の舞台で転倒したフィギュアスケート選手をCMに引っぱり出して、本人に「みどりさんが転んだ」と言わせる類の悪趣味な企画だったらイヤだなあと危惧しつつ、筆者は試写室に入ったのだが……。
あにはからんや、監督・脚本のマブルク・エル・メクリは、ヴァン・ダムを笑いものにすることも、逆に腰巾着のように持ち上げることもなく、あくまでフェアな立ち位置を保ちながら、しかも抜群に面白い映画を作っていた。わがままな一般人に時に振り回されながらも、リアルな自然体で周囲と接するヴァン・ダムの言動は、巧まざる笑いを醸し出す。郵便局強盗に巻きこまれたヴァン・ダムが、犯人や人質たちと交わすジョン・ウー談義はことのほか傑作だった。
オープニングのタイトルバックからして秀逸だ。敵地に乗りこんだヴァン・ダムが、数十人の敵を倒しながら人質を救い出す連続アクションを、1カットで撮っている。その劇中劇の1シーンが最後の瞬間にNGになった後、激しく息を切らしつつ、「俺はもう47歳だ。これを1カットで演じるなんて無理だ」と泣きを入れるヴァン・ダム。“終わったアクションスターの悲劇”という作品のコンセプトを、これほど端的に表すシーンはない。
オープニングが秀逸なら、エンディングもまた印象的。あれこれあって投獄されたヴァン・ダムに、引き離された娘が突然面会にやって来る。予期せぬ再会に言葉を失うヴァン・ダム。直後に彼がどんな仕草を見せるかは、ぜひ劇場で確認していただこう。高ぶる感情の中で、自分をコントロールできずに取った(かのような)その行動は、おそらく脚本に指定されたものではなかったはずだ。そうだった。ヴァン・ダムと、ノリスやセガールとの決定的な違いは、貴族的な姓でも、甘いルックスでもなく、この繊細な表現力だったのだ。
(町田敦夫)