タマラ・ジェンキンズ監督作品そしてトラジックコメディの傑作(85点)
『Fカップの憂鬱』というとんでもない邦題の付けられた映画がある。原題は『SLUMS OF BEVERLY HILLS』、Fカップとはなんら関係ないタイトルだ。きっと内容に起因するのだろうが、邦題だけ見ると、ポルノ映画かと思ってしまう。しかしこの『Fカップの憂鬱』は列記としたインディペンデント映画で、アラン・アーキン、マリサ・トメイ、ナターシャ・リオンが出演するコメディ。そしてロバート・レッドフォード製作総指揮。どうしてこんな邦題を付けたのだろう…。
この『Fカップの憂鬱』を監督したのはタマラ・ジェンキンズという女性映画監督。ニューヨーク大学で映画を学んだ彼女は1991年に『FUGITIVE LOVE』というショートフィルムで監督デビューしている。アメリカ1998年公開の『Fカップの憂鬱』は監督3作目で、9年を経て今年彼女の新しい映画が公開になった。『THE SAVAGES』というタイトルだ。ローラ・リニー、フィリップ・シーモア・ホフマン、フィリップ・ボスコが出演している。タイトルから想像して、どんな野蛮人達の映画なのかと思いきや、ここでの SAVAGE の意味はただの名字。ローラ・リニー、フィリップ・シーモア・ホフマンは兄妹、そしてフィリップ・ボスコは彼らの父、この3人は家族なのである。彼ら1人1人の名字 SAVAGE に複数形のSを付けて『THE SAVAGES』というタイトルになったわけである。そしてそれ故にこれは家族の物語でもある。
ニューヨークに住むウェンディ・サヴェッジ(ローラ・リニー)はフリーランスの演劇の脚本家だが、なかなか良い本が書けない。また彼女は普段はとあるオフィスで働いているが、人の目を盗んでは、本の為の資金を援助してくれる団体宛のメールの「執筆」に勤しみ、オフィスの備品を大量に持ち帰る日々。私生活では近所のラリーという男と不倫の関係にある。一方、ウェンディの兄ジョン(フィリップ・シーモア・ホフマン)はニューヨーク市から車で数時間かかるバッファローに住む大学教授だ。彼は本の執筆もしているが、いつも曖昧な題材のものばかり。ある日、ウェンディはある電話を受ける。父レニー(フィリップ・ボスコ)の住むアリゾナからの電話だった。なんと父が自分の糞でバスルームの壁に落書きをしたというのだ。気が狂ったと思ったウェンディは直ぐさまジョンに電話するが、ジョンはこの時点ではまだただの警告だと言って取り合わない。しばらく経って、父が20年連れ添った恋人が突然亡くなる。お悔やみにアリゾナへ向かうウェンディとジョンだったが、父は病院にいた。久々に対面した親子だったが、父はボケ始めており、ウェンディとジョンは父を引き取る事にする、その後バッファロー近郊の介護施設に父を入れるが、家族としての葛藤や現実との葛藤が待っていた。
ローラ・リニーもライターの役であるし、『THE SAVAGES』の全体的な雰囲気は少々ノア・バームバックの『イカとクジラ』に似ているかもしれない。しかしながら同じ悲喜劇であっても作品のクオリティは『THE SAVAGES』の方が『イカとクジラ』より高い。タマラ・ジェンキンズはこの作品のストーリーにリアリティは追求しているものの幻想的な映像を見せる。ヌーベルバーグの女性監督だ。そして音楽も印象的だ。古い音楽が映像と共に効果的に使用されており、観客は現実と幻想の間を行き来する。
ウェンディとジョンは共に中年期。共に未婚、そして共に内面に問題を抱えている。しかしこの映画は何故彼らがそうなったかを呈さない。おそらくこの映画で観客が1番知りたい事はウェンディ、ジョン、レニーの家族の関係。父のどういったところが子に影響を及ぼしたか等、皆知りたいに違いない。しかし、それをあえて省く事で、観客に多くの疑問を与える。ウェンディやジョンの行動から認識していくしかないのである。まさにヌーベルバーグ映画の神髄といったところだ。多くの疑問を感じるもののヒントは映像の中に散りばめられている。
そして中年期の兄妹、特にウェンディだが、彼女はなかなかやりたいことが成就せず、恋人はいるものの、彼には妻がおり、不満だらけだ。彼女は欲求不満なのだ。そこに今まで避けて来た父の問題が降り掛かってきたものだから、兄とは喧嘩ばかり。これが示唆することは、プライベートの問題や父の問題を通してこの兄妹が子供に戻っているということだ。大人であれば、冷静に問題を解決できるはずだが、特に父の問題を前にしてはなかなか成長できない2人。さらには父の痴呆症ということもあり、家族3人ともが子供に見えてくる。彼らが大人に戻るにはもう父が死ぬしかないのではと思わされる。
死、痴呆症、欲求不満等、ネガティブなキーワードの多いこの映画だが、前でも述べた様にこの作品は悲喜劇(トラジックコメディ)。家族の問題は時に残酷である。しかしおかしい。それが小さく爆発したような映画だ。その爆発が優れた監督と俳優によってわたしたちに届けられる。そしてその爆発はわたしたちにとって言い表せない喜びに変わるのだ。
(岡本太陽)