◆これは本年度の『レスラー』か、米軍の隠れた英雄達の姿を描く。(85点)
今日までに既にイラク戦争を扱った映画は多く作られている。そのジャンルの作品にもはや新鮮味を感じる事は出来ない人もいるはずだが、映画『ハート・ロッカー(原題:THE HURT LOCKER)』はそこに新風を吹き込む。イラク市内には駐屯するアメリカ兵を忌み嫌い、爆弾で兵士を誘き寄せ彼らを死に至らしめる事さえ厭わないという人々がいる。それに対しアメリカ軍は爆発物処理班を組織し、人々の安全を守る。本作では今までわたしたちが知り得なかった隠れた英雄であるアメリカ軍爆発物処理班の活動に注目し、戦地において最も危険な役割を担う男達の生き様を描く。
『ハートブルー』『K-19』のハリウッド女性アクション映画監督キャスリン・ビグローが監督を手掛ける本作は混沌とした戦地の状況をリアルに描き、手に汗握る展開で贈る驚きに満ち溢れた映画だ。ポール・ハギスの『告発のとき』でも知られるジャーナリストのマーク・ボールが脚本を手掛けており、物語は彼が2004年にバグダッドで爆発物処理班の取材をした経験を踏まえ、単に戦争反対を掲げるものではなく、兵士達の行動や内面に焦点を当て、彼らが日々命の危険に晒されている事への敬意が払われている。
イラク市内に駐屯しているアメリカ兵は、連日の様にそこに住む人々のゲームに巻き込まれている。中でも街の中に設置される爆弾が厄介で、市内の安全確保のためアメリカ陸軍は爆発物処理班を組織しているのだ。2004年夏のある日、二等軍曹ウィリアム・ジェームズが爆発物処理班のリーダーとして赴任して来る。その爆発物処理班にはJ.T.サンボーン(アンソニー・マッキー)やオーウェン・エルドリッジ(ブライアン・ジェラティ)もおり、彼らが帰国するまでに刻一刻と流れる時間がまるで、この男達の悲劇へのカウントダウンであるかの様だ。
ウィリアム・ジェームズという男は爆弾を恐れておらず、処理に対する心の持ち様も軽い。ビデオカメラで処理風景を撮影されたりと、まるで観客か何かの様に人々が見守る中での処理は緊張しそうなものだが、彼はそんな事も気にする様子は見せない。なぜなら彼は既に800以上もの爆弾を処理しているという幸運で凄腕の持ち主だからだ。おそらく爆弾処理を始めた当初は他の爆弾処理班のメンバー同様緊張感もあったのだろうが、今やその感覚が麻痺し、サンボーンとエルドリッジは彼の構えない気楽な姿勢にショックを覚えており、ジェームズと仲間との精神面でのズレが目立つ。
そのジェームズを演じるのはジェレミー・レンナーという俳優で、彼は時に冷淡でありながらも、米軍基地の前で海賊版DVDを売る少年に優しく接するという面もある男を正確に演じきっている。ジェームズに対し、サンボーンやエルドリッジは戦争映画によく出て来そうな人物だが、サンボーンは生真面目でノリの軽いジェームズをライバル視し、エルドリッジは自分のいる現状を受け入れる事が出来ず、ストレスを感じているというキャラクターで、彼らの心理描写もまた細かく描かれている。また、本作にレイフ・ファインズ、ガイ・ピアース、デヴィッド・モース、エヴァンジェリン・リリーがカメオ出演しているのも興味深い。
本作の冒頭で、ニューヨーク・タイムズ紙の記者であるクリス・ヘッジズ氏が言った「戦争は麻薬である」という文章が現れる。それは一体どういう事だろうか。戦争に行くと常に生と死の狭間に立たされ、生きるという事を噛み締める事が出来るからだろうか。いやそうではない。中毒は、最も脅迫観念からくる事が多い。脅迫観念とは馬鹿馬鹿しい、嫌だ、と感じていながらもやらざるを得ない状況を作り出し、自分自身を追いつめる事を言い、この事を念頭に置いた場合、確かに爆弾処理を好んでやりたいと思う人は1人もいないはずで、この作業は麻薬を使用する感覚に近いのかもしれない。なぜなら、誰しもが麻薬をやることは悪いと分かっているだろう、それでもやった後には開放感そして安心感を得る事が出来る。よって、戦争中毒者にとっては生きているという実感を得る事よりも安心感を得る事に意義があり、その安心感が中毒をもたらす原因となっているのだ。そして一日の爆弾処理が終わっても、数日後にはまたあの安心感が必要になってくる。
主人公ジェームズには幼い息子と別れた妻がいる。しかし、彼らがどうして別れてしまったのかは語られない。それでもその理由はジェームズの戦地での姿を観ていると自ずと分かるだろう。戦地では 800以上も爆弾処理した英雄の彼、しかしアメリカに戻ればただの人。それもまた彼を戦地へと向かわせる要因となっているのだ。この様に本作では彼を通してどうして戦争がドラッグであるか明確に描かれている。戦争は未だ止む事はない。戦争がある事によりわたしたちは更なる戦争中毒者を作りあげているのだろうか。
ジェームズは爆弾処理に生きるしかなく、家庭を持つ事が出来ない孤独な男。テーマは違うがなんとなく彼は『レスラー』でミッキー・ローク演じたランディと似た雰囲気を漂わせている。だから彼はこの先社会に溶け込む事が出来ないのが明らかで、ずっと孤独な彼の姿を安易に想像する事が出来る。彼はもはや戦地でしか生きて行く事が出来ないのだ。物語の中で、ジェームズは爆発から体を守る40キロも重さのあるボディスーツを着用する。これは実際に軍でも使用されており、あまりの頑丈さに呼吸するのも困難だという。ジェームズは炎天下の中をスーツを着て爆弾に向かって歩いてゆく。その姿はまるで『アイアンマン』等のヒーローのそれと同じである。
(岡本太陽)