◆数々の映画祭で大絶賛を浴びた感動の名作(85点)
『リード・マイ・リップス』『真夜中のピアニスト』のジャック・オーディアール監督最新作『A PROPHET (原題:UN PROPHETE)』の主人公マリック(タハール・ラヒム)は6年の刑を受けた19歳のアラブ系の青年。外の世界でも塀の中でも独ぼっちの彼だが、刑務所内を操るセザール・ルチアーニ(ニエル・アレストリュプ)率いるコルシカ系マフィアグループに、入所早々殺しを強要される。そして鏡の前で1人、殺しの練習をするマリック。通常刑務所が舞台の映画やマフィアものとなると主人公はタフガイな場合が多い。ところが本作の主人公マリクは黒いピュアな眼差を持つストリート育ちの普通の青年。これは彼が刑務所にいる間に成長し、マフィアの新しいタイプのリーダーとなる物語だ。
塀の外でも中でも結局権力抗争はあり、刑務所の中では昔から存在するコルシカ人マフィアグループと、彼らに比べれば新しいイスラム教徒のアラブ人マフィアが火花を散らしている。そんな中では一匹狼を貫こうとするマリックは隙だらけの存在。すぐに足を掬われてしまう。殺しの経験のない彼がルチアーニの依頼を渋々引き受けたのは生きるか死ぬかの選択を彼に迫られたため。断る事は出来ない。しかし、殺しが成功すれば、ルチアーニに守られる保障が付くという。無防備なマリックは、誰かの保護が無ければ遅かれ早かれ殺されてしまうだろう。
フランスには現在多くの移民がいるが、中でも特にアラブ系が多く、その多くはフランスの植民地であったアルジェリアやモロッコやチュニジアから来ている。マリックもアルジェリア移民の子で、コルシカ人らが「アラブ人め!」等と差別的ニュアンスを含む言葉を吐く様に、フランスでは肩身の狭い思いをして来た事が伺える。2005年10月にフランスで移民達による暴動事件が起きた。これは本作の背景を知る上で不可欠であろう。なぜなら、マイノリティの立場である移民達が力を持ち始めたという証拠であるからだ。オーディアール監督は本作に政治的な要素は特に含めていないというが、アラブ系移民の立場や、今後のフランスが辿る道筋が本作に反映されているように見受けられる。
殺しも、運び屋業も、服役中に学んでゆくマリック。殺人というものがどういう事なのかも身をもって体験するシーンは生々しく、観る側には少々凝視困難だ。殺そうと意を決するものの、初めての殺人はもちろん思った通りに行かず、狭い部屋で揉み合いになる肉体と肉体。マリックはとにかく必死でその場を乗り切ろうとするが、事がきれいにはいかないどころか滅茶苦茶。そんな混乱した様子をカメラは映し出し、殺しはやはり恐ろしい犯罪として、そのシーンが私たちの脳裏に焼き付いてしまう。
マリックは犯罪と学業の両面で教養がなく、読み書きが出来なかった彼は刑務所の中で勉強を始める。マリックは教師に「読み書きを覚えたいか?」と問われ、とりあえず頷いてはみるものの複雑な表情をする。読み書きが出来るという事がどんな事か分からない彼の素直な表情を、新星タハール・ラヒムが見事に表してみせる。教科書をめくり一語一語言葉を覚えてゆく様に、徐々に知恵を身に付け、また犯罪の経験を重ね、マリックはルチアーニから信用を得てゆく。そしてマリックの信頼が厚くなる毎に、刑務所内での勢力の変動も生じる。
「予言者」の意味を持つタイトルは、マリクがイスラム信者で神のお告げを聞く事が出来る等、宗教的見地からではなく、彼がマフィアの異種である事を指す。また監督のオーディアールは本作同様、主人公が徐々にマフィアのボスの力を超えてゆく『スカーフェイス』のトニー・モンタナの様なクレイジーな人物としてではなく、感情移入しやすいリアルな人物としてマリックを描きたかったという。彼は刑務所の中でも夢や悪夢を見たり、ミッション中にも関わらず初めて乗る飛行機に感動したり、銃を懐に抱え、人を殺そうという時でも靴屋のウインドウに飾られている美しい靴に目を奪われる。そんな人間的な心が本作の主人公には宿っており、また彼がある時ビーチに行った際には、感慨深げに水に足を浸す。彼は海の水の心地良さを心で感じる事が出来るのだ。
オーディアール監督の見せる世界は、殺伐としているが、どこか神秘的で、素直で嘘がない。酷い事が起きても、そこには不思議と人間性がある。わたしたちの住む世界の何気ないものが崇高で美しく映される瞬間、純粋な青年を通して、監督自身の純粋な心の眼の映す世界を目撃した気がした。