◆無人島が備える「極限状態」というアドバンテージをどぶに捨てたような作品(35点)
簡単に筋を説明すると、無人島に漂着した22人の男と1人の女。さてこのあとどうなるでしょう? という映画である。「22人VS.1人」という確信犯的な設定からも察しがつく通り、ドラマのキーマンは、紅一点の主人公、清子(木村多江)である。もし桐野夏生の原作を未読の方であれば、鑑賞前に、彼女がこの過酷な状況下でどのように生き抜くのか、予測してみるといいかもしれない(ただしその場合、この批評は読まないほうが賢明です)。
◆無人島が備える「極限状態」というアドバンテージをどぶに捨てたような作品(35点)
簡単に筋を説明すると、無人島に漂着した22人の男と1人の女。さてこのあとどうなるでしょう? という映画である。「22人VS.1人」という確信犯的な設定からも察しがつく通り、ドラマのキーマンは、紅一点の主人公、清子(木村多江)である。もし桐野夏生の原作を未読の方であれば、鑑賞前に、彼女がこの過酷な状況下でどのように生き抜くのか、予測してみるといいかもしれない(ただしその場合、この批評は読まないほうが賢明です)。
◆絶海の孤島で特別な地位を手に入れた女が、それを楽しみつつも何とか助かろうとエゴをむき出しにしていく。女だからとあがめられ、女だからとさげすまれ、それでも女だからこそ生き延びようとする強烈な決意が浮き彫りになる。(40点)
絶海の孤島、10数人の男の中のたった一人の女。彼女はその立場を利用して女王のごとく振舞い、男たちを操っていく。水も食料も豊富にあり、贅沢をいわなければ結構快適に暮らしていける環境で、いつしか男たちは島の日常になじんでいる。脱出の機会をうかがう女にはそんな男たちが不満でたまらない。映画は図らずも特別な地位を手に入れた女が、それを楽しみつつも何とかわが身だけでも助かろうとエゴをむき出しにしていく過程を描く。女だからとあがめられ、女だからとさげすまれ、それでも女だからこそ生き延びなければならない強烈な決意が浮き彫りにされていく。
◆男たちの間を渡り歩いて、まるで柳の枝のしなやかさとしぶとさで生き抜く清子というキャラクターが素晴らしい(60点)
人間の生存本能と社会性を問う、桐野夏生の同名小説の映画化だが、ヒロイン役の木村多江が絶妙にフィットしている。夫婦二人旅の途中で嵐に遭った清子と夫は、無人島に漂着。意外なほどたくましくサバイバルする清子に対し、夫はたちまち衰弱する。その島に、16人の若いフリーターの日本人の男たち、さらに6人の中国人密航者の男たちが流れ着き、男23人に女は清子1人という奇妙な共同生活が始まった。その島は東京島と名付けられ、清子はただ1人の女性として女王のように君臨するが、次第に島のバランスが崩れていく…。
◆現代的でユニークな無人島映画ではあるが(40点)
映画の中で無人島が出てくる場合、65パーセント程度の確率でセクシー美女が漂流してくる。その美人はたいてい作品の中で不自然に大きなおっぱいを晒すので、男たちは無人島ものが大好きである。12チャンネル(東京の場合)や深夜帯にこの手の映画が多いのも、需要と供給の経済原則からみれば当然であろう。