◆その人間は生きるに値するか、誰を救い、誰を見捨てるか、そして選ぶ権利を与えられた者もまた、心を試される。肉体が苛まれる激痛と死の恐怖に押しつぶされそうな極限状態であらわになっていく姿は人間の本性そのものだ。(50点)
その人間は生きるに値するか、誰を救い、誰を見捨てるか、そして選ぶ権利を与えられた者もまた、心を試され、己の価値を値踏みされていく。力なき人々の運命を左右する立場にある男が権限を利益のためだけに行使するとき、ジグソウの怒りが爆発する。密室に閉じ込められた複数の男女、身をえぐり骨を断ち血しぶきがほとばしる残酷描写はここでも健在、ゲーム参加者たちのリアルな感情がスクリーンから伝わってくる。肉体が苛まれる激痛と死の恐怖に押しつぶされそうな極限状態であらわになっていくのは、人間の本性そのものだ。
ジグソウの遺品の中で次の指示を見つけたジルは、彼の後継者を自任するホフマン刑事に遺志を託す。今回の試験者・保険会社の査定員ウィリアムは保険金不払いの常習犯で、多くの客に恨みを買っていた。
自分の体の肉をどれだけ沢山切り取れるかを競わせる「ベニスの商人」を連想させるプロローグから、甘い勧誘で掛け金を払わせ請求があったときはほんのわずかな客の瑕疵に付け込んで支払いを拒否する保険会社社員のサバイバルまで、6作目のテーマは選択と自己犠牲。強欲の象徴のような査定人・ウィリアムは、同じくホフマンに捕らえられて監禁されている9人の部下の殺生与奪権を与えられる一方で、自らも命がけでゲームに臨まなければならない。ある時は涙をのんで部下を見殺しに、次のステージでは部下を生かすために痛みに耐える。この男にも他人を思いやる気持ちと良心が残っていたのに少しは安心する。
悪事は必ず報いを受ける、結局ジグソウは神に代わって天誅を下そうとしているのだろうか。彼のゲームに参加させられるメンバーは、わかりやすい犯罪者から合法的に大衆の懐をむさぼるような「道徳的な罪人」に変わりつつある。それは刑事であるホフマンにとっても、法で裁けない悪党に罰を与える意味では、真の正義を実践するチャンスなのだ。そんなホフマンも仲間を殺したことで制裁を受ける。因果応報という言葉が脳裏に焼きつく作品だった。
(福本次郎)