◆クリント・イーストウッド監督、モーガン・フリーマン主演で南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラを描いたドラマ。イーストウッドやフリーマンのメッセージは伝わってくるが、ドラマとしての面白みには欠ける(73点)
冒頭、マンデラ大統領(モーガン・フリーマン)がボディガードとともに朝の散歩に出る。まだ暗い中、官邸の近くを歩くが、いつ狙われるか分からない。ただならぬ緊張感が漂い、自動車の走る音が近づいてくると、それは頂点に達する。
結局、何もなかったのだが、ただマンデラ大統領の脇を車が通るだけで、これほど盛り上げるのだから、やはりイーストウッドの演出は抜群に上手い。傑作になるのではないかと胸が躍った。
だが、期待は次第に失望に変わっていく。イーストウッドは「ハラハラさせるが、結局何も起こらない」というパターンを繰り返しつつ、マンデラのエピソードを丁寧に積み重ねる。それがいつまでたっても、生き生きとしたドラマになっていかない。
もしイーストウッド監督作でなければ、よく出来た立派な映画として納得しただろう。だが、イーストウッドは「ミスティック・リバー」(2003)、「ミリオンダラー・ベイビー」(2004)、「チェンジリング」(2008)、「グラン・トリノ」(2008)とここ数年、傑作を連発してきた。これらと比較すると2006年の硫黄島2部作はやや劣るが、それでも十分に秀作と呼べるレベルだった。本作の前に撮った「グラン・トリノ」は、個人的にはここ10年のあらゆる映画の中でもベスト5に入ると思っている。今回も傑作を期待してしまった。それだけに失望は大きい。
マンデラは対立する黒人と白人を一つにするため、ラグビーの南ア代表チーム・スプリングボクスをワールドカップで勝利させようとする。ラグビーは白人のスポーツで、黒人たちからはアパルトヘイト(人種隔離政策)の象徴として嫌われていた。マンデラはチームの主将フランソワ・ピナール(マット・デイモン)をお茶に招待する。
このお茶の場面が見応えがある。政治的な目的を持って誘うマンデラと、その目的を探りつつ、マンデラに惹かれていくピナール。両者の心理の動きを2人の名優が巧みに演じていて、ただお茶を飲んで話しているだけなのに、張り詰めた緊張感があるのだ。
選手たちと観客、スタジアムの内と外を交互に描き、勝利に向かって南ア全体が次第に一つになっていく様子を見事に表現したワールドカップのシーンがいい。マンデラだけでなく、そのボディガードの心情も掬い取っているのも、「ザ・シークレット・サービス」(1993)に主演したイーストウッドらしい心配りだ。一つ一つは実にいい場面がある。なのに、全体として面白いと思えない。
本作はアパルトヘイトを扱った映画でありながら、人種差別主義者がほとんど出てこない。あえていえば、ピナールの父親がそうなのだが、すぐに善人になってしまう。悪役がいないのである。もちろん、イーストウッドは百も承知で、差別者―被差別者という単純な対立ではなく、実は被差別者である黒人たちの中にこそ、隔離の「壁」が存在するというテーマを描こうとしたのだろう。それは国を一つにまとめなければならないマンデラ大統領にとって、単なる差別よりも越え難い「壁」だったはずだ。
テーマは確実に伝わってくる。その一方、対立軸を欠くドラマは盛り上がっていかない。普通なら、マンデラが初の黒人大統領になる「前」までを描く方が、ドラマとして面白いのに、大統領になった「直後」、しかも被差別者の中にある対立というテーマを、ラグビーの試合で表現するという、難しいストーリーに挑戦しているからだ。普通のドラマが終わったところからドラマを始めているのである。実話なので、面白くするために事実にないエピソードを加えにくいという難しさもあっただろう。
イーストウッドはあえて、映画よりもメッセージを優先したのではないか、という気がする。それはとても立派なことだ。また、製作総指揮にも名前を連ねるフリーマンは、マンデラの生涯を映画化したいと、何年も考え続けていたという。今回の企画をイーストウッドに持ち込んだのはフリーマンだ。その熱い思いは、十分に伝わってきた。




























