◆古き良きスポーツ界への惜別の歌が聞こえる(70点)
ジョージ・クルーニーが往年のスクリューボール・コメディにオマージュを捧げた軽妙な一編。「恋愛劇」「スポーツ映画」「人間ドラマ」の3つの味が楽しめるお得な秀作だ。
クルーニーが扮するドッジ・コネリーは、1920年代の中年プロ・フットボール選手。日本の野球界にも東京六大学リーグがプロ以上の人気を誇っていた時代があったと聞くが、当時のアメフトも状況は似たようなものだったらしい。カレッジリーグが大観衆を集める一方で、プロのスタンドには閑古鳥が鳴き、試合後はクリーニング代を節約するためにユニホームを着たままシャワーを浴びたとか。移動はもちろん列車で、濡れたユニホームは車窓で乾かした。ビッグビジネスとなった現在のNFLからは想像もできない、そんな貧乏エピソードが楽しい。
所属チームの破産に瀕したドッジは、カレッジリーグのスターだったカーター(ジョン・クラシンスキー)をスカウトする。カーターには第1次世界大戦の英雄という顔もあったが、その英雄談の真偽を暴くために乗りこんできたのが、敏腕女性記者のレクシー(レニー・ゼルウィガー)だ。古風な顔立ちのレニーが古き良き時代の役柄にハマるのは『恋は邪魔者』(03)で証明済み。当然ドッジとカーターも、男勝りのレクシーを巡って恋の鞘当てを繰り広げることになる。
テンポの早いしゃれた会話と、禁酒法を背景にした抱腹絶倒のプロットを、監督も兼ねるクルーニーは手際よく処理。互いに素直になれないドッジとレクシーの間に、愛すべきロマンスを醸成した。一方で、カーターの偽りの英雄談に絡めて語られる人間ドラマは、誠実さや忠誠といった徳目について、多くのことを考えさせる。
アメフトにせよ、野球にせよ、サッカーにせよ、相撲にせよ、プロスポーツはかつて谷町的な金持ちの道楽だった。それが利潤目当てのビジネスへと変化するに連れて、競技の公平性や安全性が格段に向上したことは間違いない。八百長やラフプレーは厳しく罰せられるようになったし、観客がスタンドで圧死するような事件も起きなくなった。だが、それで失われたものも少なくはないというのが、本作の作り手からのメッセージだ。クライマックスとなる泥の中の一戦で、ドッジのチームは管理の進んだ現在のプロスポーツに中指を突き立てるような、おそろしく破天荒な作戦を繰り出す。それは貧しくとも自由があった黎明期のプロスポーツへの、惜別の雄叫びであったに違いない。
(町田敦夫)
スポンサードリンク

















