◆人気コラムが原作の実話は音楽を通して綴る友情の物語。モダンな映像感覚に注目したい。(75点)
ロサンゼルス・タイムズの記者ロペスは、ある日、路上生活者で天才音楽家のナサニエルと知り合い、彼を素材にコラムを書こうと取材を始める。だが優れたチェリストであるナサニエルは幼少期のつらい過去から心を病んでいた…。
天才チェリストが路上で“発見”され、善意と偶然に恵まれる話は、実話である。だがその感動は、不幸な境遇の音楽家のサクセスストーリーには推移しない。 二人の男の関係性を通し、相手の自由と尊厳を慮(おもんばか)るプロセスが描かれる。映像化したのは、友情と音楽という形を持たないものだ。舞台はLA。 俯瞰で捉えた街は、建物の屋根の幾何学模様の集合体で、まるで抽象絵画のよう。神の視点で見れば、大都会の成功も挫折も大差ない点描に映る。
ロペスは、ナサニエルがかつて名門音楽院に在籍し将来を嘱望されたチェリストだと知って、何とか彼を助けようとする。その思いの中にワケありのホームレス の人生を調べ、コラムの素材にするという“下心”があったにせよ、家と楽器を与え、病気の治療を手助けしたいと願う気持ちに嘘はなかった。仕事の枠を越え てまで彼を助け、音楽家としての道を開いてやりたいと奔走する姿は、世間では善行に映る。だがそれは本当に相手が望むことなのか。
映画が 描きたいのはまさにここである。統合失調症という心の病を抱えたナサニエルは、家や仕事、家族まで失っても音楽だけは捨てなかった。神聖な宝物である音の 空間は、どんなに親しい間柄の人間も勝手に踏み込んではいけない領域なのだ。ロペスがそのことに気付かず、一方的な親切を彼に与えて音楽を強要するたび に、ナサニエルの精神はバランスを崩してしまう。ロペスは、自分の尺度の幸せを押しつけたことを知り、ナサニエルとの関わりを見つめ直すことに。本作には 心の病というフィルターがかかっているが、人間関係の本質を探るストーリーは普遍的なものだ。そこにこの作品の尊さがある。
物語には音楽 的な成功という華々しさはないが、音が大きな魅力であることは確かだ。ミュージシャンを演じさせて無類の上手さを見せるジェイミー・フォックスの存在感は 言うまでもない。加えてジョー・ライト監督の音に対する独特のセンスが光る。トンネルに響く車の騒音とチェロの音色の不思議な調和。飛び立つ鳩の羽音。夜 の街の危険なざわめき。華やかなコンサートの場面より、何気ない日常空間にある音にこそ輝きを感じるだろう。何より、オーケストラのリハーサルを遠くから 聴くナサニエルの至福の表情はどうだ。音楽の神に愛された者だけが享受できる高揚感。それを、映像アートのような抽象的な色彩と動きで表現したモダンな感 覚が素晴らしい。そのイメージの乱舞は、聴覚を失った楽聖ベートーベンの脳裏に浮かんだであろう音にも重なっていく。
誰かのために行なう 行為に、世間一般の幸福観や自身の成功論を当てはめてはいけない。何よりも尊重すべきなのは相手の尊厳だ。大都会の片隅で出会ったロペスとナサニエルの友 情の道は、交差点で交わった後にそれぞれの方向へ走る大通りではない。少し離れた距離を保ちながら共にゆっくりと歩き続ける、穏やかな遊歩道なのである。





























