◆戦後の日本の価値観の変遷を一気に説明するパートが印象的(60点)
どう見ても姉弟に見えない吉永小百合と笑福亭鶴瓶の二人が人情味たっぷりに演じる家族ドラマ。東京で暮らす吟子は、女手一つで娘の小春を育てあげ、小さな薬局を営んで慎ましく暮らしている。一方、大阪で芸人の真似事をする弟の鉄郎は、いい年をして問題ばかり起こし落ち着く気配もない。吟子はいつも鉄郎をかばってきたが、ある出来事がきっかけで「もう、うんざり」と弟に絶縁を言い放つ。鉄郎は行方をくらますが、あるとき大阪の施設から連絡が入る…。
家族とは、何て厄介でいとおしいものだろうか。出来の悪い弟・鉄郎に嫌気がさしながらも結局は大きな優しさで“帰る場所”になる吟子の姿は、そのまま寅さんの故郷であり続けた妹・さくらの姿に重なっていく。愚かな弟は、迷惑をかけることだけが自己主張の方法なのだ。必ずしも擁護できないキャラの鉄郎は、自ら望むかのように破天荒な生活を続けるが、彼が最期を迎えるホスピスという存在は無視できない。孤独死や無縁死が静かに増殖する現代社会。血の繋がっていない人間が看取る最期のあり方とは? と考えさせられた。危篤状態の弟のもとに駆けつけた吟子が手首に結ぶリボンは、市川崑監督の「おとうと」にオマージュを捧げた演出だ。市川作品で、若くして逝く弟に結んだリボンは姉と弟を直接つないだが、中年を過ぎても面倒をかける弟の手に結んだ本作のそれは、油断すると切れてしまう現代の家族の絆をターミナルケア(終末期ケア)という“他人”がそっとつないでくれているように感じた。
映画冒頭に山田洋次監督自らの作品の映像を巧みに使って、戦後の日本の価値観の変遷を一気に説明するパートが印象的。山田監督のテーマは、一貫して家族とは何かを問うものだが、彼のフィルモグラフィーを見れば、日本人が失くしてしまった大切なもののリストが出来てしまいそうでやるせない。劇中に出てくる「ごんたくれ」とは、困った人、いたずら者の意味の言葉。この映画からは、愛すべきごんたくれの存在を許し、彼らにもう一度チャンスを与える世の中こそ、よき社会だというメッセージが聞こえてくる。




























