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コレラの時代の愛 - 福本次郎

あまりにも純粋かつ破天荒な愛と性の両極端の狭間で「恋に生きる」と公言する主人公の人生はなんと豊穣なのか。遠く乖離した心と下半身がひとつの肉体に納まっているという奇跡をハビエル・バルデムが圧倒的な存在感で演じる。(70点)

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 南米文学と日本の価値観の違いなのだろう。恐るべき執念で初恋の女性を射止めた主人公の思考回路と行動様式は、あまりにも純粋かつ破天荒でまったく理解の及ばない世界。しかし、愛と性の両極端の狭間で「恋に生きる」と公言してはばからない彼の人生はなんと豊穣なのか。一途に思い続ける一方で、600人を超える女性との交わりを克明に記録する。遠く乖離してしまった心と下半身が、ひとつの肉体に納まっているという奇跡をハビエル・バルデムが圧倒的な存在感で演じる。

 フェルミーナという美しい女性に一目ぼれしたフロレンティーノは手紙で交際を迫る。フェルミーナも彼のプロポーズを一度は受け入れるが父親の反対で破局、フェルミーナはウルビーノという医師と結婚する。

 若いうちだけでなく中年になっても自分の恋愛を母親に聞かせたり、ビジネスレターをラブレターのように書いたりと、実社会でのフロレンティーノは大人としての機能を持っていない。それでも、恋文の代筆でカップルを結び付けたりするなど、男女の駆け引きに関してはいつの間にか権威になっている。そのあたり、彼に共感できる点はほとんどないが、映像から漂ってくる強烈なラテンアメリカのにおいがスクリーンから目をそらすことを許さない。

 フェルミーナが言うようにフロレンティーノは幻影なのだろう。フロレンティーノ自身もフェルミーナのいない毎日など幻に過ぎず、生きた実感が希薄だったに違いない。だからこそ女漁りを続け、やっと愛を感じる女性にめぐり合っても、自壊行為に走ってしまう。それはフェルミーナを一瞬でも忘れそうになったことへの戒め。やがて53年余りの時を経て、ついにフロレンティーノはフェルミーナという「夢」を手に入れる。そこで初めて彼の人生がリアリティを持つが、果たして彼は幸せになれたのだろうか。映画はここで終わってしまうが、それまではフェルミーナという幻想に逃避できたフロレンティーノが、今度は生身の彼女を前にして、抱いていた理想が壊れることもあったはず。現実と対峙し、乗り越える余力がフロレンティーノにあればいいのだが。。。

福本次郎

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