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ブタがいた教室 - 前田有一

クラスで飼った豚を最後に皆で食べる?!(55点)

© 2008「ブタがいた教室」製作委員会

 大阪の小学校の話。クラスでブタを数年間飼育し、最後にみんなで食べるという、ぶっとんだ授業を実践した教師がいた。「いのちの教育」というやつだが、手法がエキセントリックだったため、3年後の93年にはドキュメンタリーとして放映された。『ブタがいた教室』は、その実話をドラマ映画化したものだ。

 6年2組を担任することになった新任教師(妻夫木聡)は、1年間クラスで豚を飼育する授業を考えた。校長(原田美枝子)の許可を得てはじまったこの試み。子供たちも大喜びで、豚にPちゃんと名づけ、苦労しながら世話をはじめた。やがて彼らの卒業が近づいてくると、最後にPちゃんを本当に食べるべきか否か、クラスは真っ二つに割れるのだった。

 この映画の見所は一点、この最後の大激論である。そこをしっかり理解していると思われる妻夫木聡は、最初から撮影外でも妻夫木の名を一切子供たちに呼ばせないという、リーダーシップあふれる役作りをした。

 まるでドキュメンタリーのようなこの議論の場では、厳密な台本にこだわらず、子役には自分の言葉でセリフを言うよう演出したという。試写室では、このシーンで泣いている大人が続出していたと書けば、その出来栄えも想像できよう。

 大人が口を挟まず、子供たちに何でも決めさせる。これはいわゆる「子どもの意見表明権」というやつで、日本の教育現場では流行中だ。大人の指導も指揮も監督もない(この教師のようにただ議論を眺めているのを監督とは呼ばない)こうした教育は、保守派の論者からの批判の対象になりやすい。

 ちなみに私は別の観点からこの実験には反対だが、それについてはあえてここでは書かない。

 ところで、一度ドキュメンタリーになっているこのネタを、わざわざ今頃ドラマ化した意図は何なのか。前田哲監督には、そのあたりをしっかり伝えてほしいところであった。正直なところ、ドキュメンタリー版でなくこちらを見る意義というものが、私にはあまり感じられない。

 食の問題が多発する現在、タイムリーとは思うものの、わざわざ20年前の実験を劇映画にするならば、エンドロールの最中でもいいから当時の生徒たちが今どう育っているか、あの授業をどう考えているのか、その辺も伝えてほしかったという思いが強い。この映画は、こちらが一番知りたいところ、見たいところを伝えていない。監督は弱腰というか、映画作家としての踏み込みがやや足りないように思える。そこが残念だ。

 子供たちは豚を食べるのか、それともやめるのか。見た後には、必ず誰かと議論したくなる一本。……ということは、一人で見に行くのはあまりに寂しい作品ということだ。単独脳内討論会はあまりにもむなしい。ご注意あれ。

前田有一

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