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米映画批評

カールじいさんの空飛ぶ家

◆傑作『ウォーリー』から早1年、ピクサースタジオ待望の新作(80点)

カールじいさんの空飛ぶ家

© WALT DISNEY PICTURES/PIXAR ANIMATION STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED.

 今年のカンヌ映画祭のオープニングを飾ったピクサーアニメーション映画『カールじいさんの空飛ぶ家(原題:UP)』の主人公はあるアメリカに住む 1人のおじいさん。そう、本作はピクサー映画史上初、人間が主人公なのだ。彼が風船に乗って冒険するという物語で、これを観ると日本人なら10数年前に話題を呼んだ「風船おじさん」を連想するかもしれない。また本作はピクサー史上初3D映画でもあり、ピクサーの新境地を観る事の出来る作品だ。

 カール・フレデリクセン(カールじいさん)は現在78歳の元風船売り。最愛の妻エリーの死後、彼は孤独に暮らしていたが、妻と必ず一緒に行こうと約束した南アメリカはベネズエラにある秘境パラダイスフォール(楽園の滝)に旅立つ。しかも風船を1万もつけた家で。しかし、カールじいさんはその家が空高く舞い上がった時に気付く、同乗者がいる事を。それは8歳の少年探検家ラッセル。もう後戻りは出来ない彼らは共に冒険を続けるが…。

 この映画の企画は監督ピート・ドクター(『モンスターズ・インク』)の描いた1枚のイラストから始まった。それは風船の付いた家が宙に浮いているというもので、ドクターはそれに何か突き動かされるものを感じた。また、この世界から逃げ出して、誰もいない土地に行く事が出来たら…、という生きる上で彼自身が感じたもどかしさを基本的な本作のアイデアとし、ボブ・ピーターソン、ロニー・デル・カーメン、そして『扉をたたく人』のトム・マッカーシーが普遍的な物語を書き上げた。

 この物語はまずはじめの10分が非常に印象的だ。カールじいさんの少年時代が描かれ、冒険家チャールズ・ムンツに憧れる消極的で風船好きな男の子が強引で冒険好きな女の子とある空家で運命的な出会を果たす。その女の子こそが後にカールの妻となるエリーだ。そして彼らはその時に南アメリカにあるパラダイスフォールに行く事を誓い合う。結婚後、彼らにはある悲劇が降り掛かる。エリーは子供が産めない体である事が判明してしまう。それでも夢を叶えるために歩幅を合わせながら仲睦まじく生きる彼らの姿はとてつもなくエモーショナルだ。そして年を重ねるに連れ、元気だったエリーはどんどん弱ってしまい、前まではエリーがカールをひっぱっていたが、その立場が逆になり、ついにはエリーは亡くなってしまう。これは今までのどんなピクサー映画よりも心に触れるオープニングだ。

 そして現代、カールじいさんの住む地域は新しいビルがどんどん作られている最中で、彼の昔からの家だけがそこにぽつんとある状態。そんな時に頑固な彼は建設業者とトラブルを起こしたことで警察沙汰になり、老人ホーム行きがやむを得ない状態に。このちょっと険しい顔をしているカールじいさんのモデルとなったのはあの名優スペンサー・トレイシーやウォルター・マッソーで、古い切り株の様な雰囲気を醸し出しているのが面白い。そして老人ホーム行き当日、カールじいさんは風船と共に空へ飛ぶ。

 運が良かったのか悪かったのか、カールじいさんの家に同乗する小太りな少年ラッセルは運動は得意ではなさそうだが、カールじいさんの冒険には興味津々で彼の助手となり活躍する。ただ彼の家庭にはちょっとした事情があり、カールじいさんはそんな孤独な少年と祖父と孫にも似た不思議な関係を築いてゆく。また、この少年の声を担当するのはジョーダン・ナガイという素人君。彼はオーディションの時に超自然体な事をピクサーに買われ起用が決まり、彼のオーガニックな演技がピュアなラッセルの心情をリアルに表しているかの様だ。

 空飛ぶ家がベネズエラに到着し、カールじいさんとラッセルは、ジャングルの中で誰も見た事のない幻の鳥や、不思議な首輪を付けた犬達に遭遇する。彼らもまた本作では映画を彩る重要なキャラクター達。ベネズエラのテプイに実際にある世界最長の滝エンジェルズフォールをモデルとしたパラダイスフォールへの道のりは険しく、本作はまさに冒険映画の様相を呈する。小ネタ満載で笑いを取り、エンターテイメント性も十分だ。

 まるで映画『フィッツカラルド』のクラウス・キンスキー演じる主人公の様に無謀とも思えるカールじいさん。旅の途中、彼に壁にぶつかる瞬間が訪れる。冒険の先には行き止りしかない事を悟り、失意と虚無感に駆られる彼はエリーの残したノートを読み返しながら、ずっと前に彼女が言っていたある事に初めて気付く。古い荷物(思い出)を捨て、彼は新たな冒険への一歩を踏み出すカールじいさん。ここから物語も新たな展開を迎える。

 本作はカールじいさんの人生再出発の物語で、同じテーマを持つ『カサブランカ』や『クリスマス・キャロル』を思い起こさせる。生きていく中で、時にわたしたちは生きる目的を失った様に感じる事があるだろう。それからは暗いトンネルを手探りで進む様な日々。しかし、何らかの形で再び生きる目的を見つけた時、わたしたちはまた生きる力を得る事が出来るのだ。カールじいさんにはパラダイスフォールへの冒険の中で、時には鬱陶しくも思えるが、ラッセルという素敵な少年と貴重な時間を過ごす。そして彼が掛け替えのない存在になってゆく。しばしば彼らの姿がオビ=ワン・ケノービとルーク・スカイウォーカーに見えるのが微笑ましい。

 カールじいさんの子供時代は言うなればちょっとしたオタク。またラッセルも典型的なオタク少年であり、この映画はまるでピクサーで働いている人達の夢の冒険物語だ。きっとピクサーで働いている男性には彼らをひっぱていく様なエリーの様な彼女や妻がおり、彼らの現実が物語に随分反映されているのではないだろうか。しかしながらそんなパーソナルな作風であるにも関わらず、観客をどう楽しませるかを意識したピクサーの娯楽大作映画である事には間違いない。昨年のアカデミー長編アニメ映画賞受賞作『ウォーリー』の完璧さには及ばないかもしれないが、本作は親しみやすく心に残る美しい物語だ。

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