2007年のトロント映画祭でプレミア上映され、人々を驚愕させたあるゾンビ映画がある。そのタイトルは『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』。もちろんジョージ・A・ロメロが監督を務める作品で、この作品は2005年に公開された『ランド・オブ・ザ・デッド』等と並び、「デッド・シリーズ」と称されているシリーズの最新作である。
ある晩、とある森の中で八人の映画科の生徒と一人の教授、合わせて九人による自主制作映画のクルーが、そのうちの一人ジェイソン・クリードが監督を務めるホラー映画『Dead of the Dead』の撮影をしていた。しかし彼らは撮影の最中にあるラジオ放送を聞く。そのラジオ放送によると、なんと死体が蘇り始めているという。中にはそれを信じない者もいるものの、一行は動揺し、ジェイソンのガールフレンド、デブラのいる寮に一時戻る事にする。デブラは怯えながら部屋に籠り無事だったが、デブラのパソコンで死人が蘇り人々を襲っている映像を見て、ジェイソンはとんでもない事が起こっているのだと確信する。そして現在起こっている事を逃さず記録し、ドキュメンタリー映画『Dead of the Dead』を撮る事を決意するのだった…。
2005年にヒーローゾンビを誕生させた『ランド・オブ・ザ・デッド』から3年、ホラー映画の巨匠ジョージ・A・ロメロが制作した作品は、ゾンビ映画をドキュメンタリータッチで撮るという手法。それは先月公開し大ヒットしている『クローバーフィールド/HAKAISHA』を連想させる。1968年の『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』以降、ロメロは幅広いファン層を持ち、常にわたしたちに新しいかたちのホラー映画を提示し続ける貴重な映画監督である。
前作『ランド・オブ・ザ・デッド』では9/11テロ以降の社会を描いていた。今回もまた現代社会を寓話的に描いているのだが、それはテロであり、災害でもあり、情報操作される社会でもあり、と様々な視点から現代社会を見つめている。何の前触れもなくゾンビ化が始まる所はまさにテロそのものであるし、ゾンビを見たら殺すという行為は戦争における麻痺した人間の心理でもある。またゾンビ化が進み、もはや人間にはなす術が無くなる状況はハリケーン・カトリーナ等の自然災害を連想させるだろう。
物語の中に登場するジェイソン・クリードという『Dead of the Dead』というドキュメンタリー映画を完成させようとする男子学生は、ありえない状況下ですらカメラを手放さない。彼はこう信じる、「今起こっている事をそのまま報道する事で、人々は解決方法を探し出す事ができるかもしれない」と。そしてMyspaceに自分が撮影した映像をアップロードし、誰しもが見ることができるようにする。ロメロは報道されるコントロールされた情報に対し抗議しつつも、誰しもが簡単にアップロードできるシステムの危険性をも同時に訴えている。
ここまで聞くと、これは非常にシリアスな作品と思われそうだが、この映画は素晴らしいユーモアに満ち溢れている。シリアスなのはあくまで映画のアイデアであり、演出はロメロ監督のユーモアのセンス満載だ。ところどころで大爆笑が起こる事は間違いない。特に今作ではサミュエルという老人に注目である。大鎌でゾンビに応戦するこのキャラクターは最高だ。
本作『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』は『ランド・オブ・ザ・デッド』とは違い、有名な俳優陣は起用していない。それはロメロ自身の原点に戻るという意向によるものだそうだ。もちろん低予算、撮影期間も20日程度という短さで、徹底したインディペンデント作品となっている。この『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』の物語は夜に始まる。すべてが夜に始まるというストーリーは1968年のロメロのデビュー作『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』のそれを思い起こさせる。
ジョージ・A・ロメロという人は続編を作らない。今回の作品『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』も「デッド・シリーズ」の1つではあるものの、『ランド・オブ・ザ・デッド』と内容においてはかぶっていない。『ランド・オブ・ザ・デッド』では進化したゾンビが登場したが、『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』では皆が知っている様なゾンビしか登場しない。これは良い意味でロメロファンの期待を裏切った事になるだろう。それでも『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』のラストは、続編を臭わすものとなっている。監督曰く、続編も考えた、との事。続編でも続編でなくとも「デッド・シリーズ」の次回作に期待だ。
(岡本太陽)
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