アン・ハサウェイが「ファック!」を連発!(80点)
誰がアン・ハサウェイがこんな事になると予想しただろうか。『プリティ・プリンセス』で華々しく銀幕デビューを果たし、元気でキュートなイメージが定着していた彼女。『ブロークバック・マウンテン』では乳房を曝け出すシーンもあり、イメージ払拭を図るが、『プラダを着た悪魔』ではまた可愛らしい主人公を演じた。しかし、ハサウェイの新作『レイチェルの結婚』では彼女に異変が。彼女はなんと元麻薬中毒者を演じるのだ。
元モデルのキムは過去10年、麻薬中毒者の更生施設の入退院を繰り返していた。そんな折、姉のレイチェルの結婚式のためにキムは施設から実家に帰ることに。家族や新郎新婦の友人等が集い、音楽と愛が満ち溢れる温かいムードの中、レイチェルの存在が家族の衝突を引き起こす…。
最近のインデペンデント映画の傾向にネオリアリズムが見受けられる。それらは主にリアリティを追求するため、フィクションの物語にプロではない俳優を起用し、ドキュメンタリータッチの描き方をしているのだが、ジョナサン・デミ監督の『レイチェルの結婚』ではそれとは逆にプロの俳優を起用し、彼らに即興で演技をさせ、映画はデジタルカメラで撮るという手法が用いられいている。これがうまくドキュメンタリー映画の様な雰囲気を醸し出しており、これもネオリアリズムと呼べる種の作品だろう。
シドニー・ルメットの娘のジェニー・ルメットが脚本を手掛け、ジョナサン・デミはデンマーク映画の『アフター・ウェディング』にインスパイアされ、本作を作り上げていった。まず本作は物語の 95%がアドリブ。その自由な空間の中でカメラは俳優たちの動きを追っているため、これは俳優の演技に一番注目が集まる作品と言えるだろう。自由である故に、俳優にはプレッシャーも多く掛かったはずだ。
この映画は『レイチェルの結婚』というタイトルだが、アン・ハサウェイ扮するキムを中心に物語は展開する。目の周りに黒いアイラインを塗り、煙草をスパスパ吸い、「ファック」を連発するハサウェイの姿は衝撃的で、今までの彼女の役との相違を楽しむ事が出来る。キムは自分の事を家族の不協和音と思っており、彼女は孤独感や消えない心の痛みのせいで家族とぶつかってしまう。キムがどうして現在この様になってしまったのかは物語の中で説明される。
ローズマリー・デウィット扮するレイチェルはキムの事は愛しているが、時々彼女の存在が疎ましく思うこともある。ビル・アーウィン扮する父ポールはキムにやさしく振る舞うが、彼女が引き起こした出来事から完全に立ち直っていない。デブラ・ウィンガー扮する母アビーは今はポールとは離婚し、他の相手と再婚している。この物語はキムの出現で家族の中の触れてはいけない部分がどんどんえぐられていく。家族1人1人がキムと接する事で、見たくなかった問題に直面する。
『レイチェルの結婚』は登場人物が多く、まるでデジタルカメラで撮られたロバート・アルトマンの作品の様だ。また、本作はドキュメンタリー風の雰囲気もあり、登場人物達に非常に密接した、観る者が彼らに共感しやすい映画だ。故に登場人物達の痛みはより鋭く、温かい場面では温かみも増す。その決して快適とは言えない感情の波が観る者に大きな感動をもたらすと言っても良いだろう。
この映画には白人、黒人、アジア人と様々な人種が大勢結婚という場に立ち会う。音楽は止む事がなく、人々は踊る。なんとなくこれは理想の世界なのではないかと思わされる。そしてそれはすぐそこにあるのではないかと。この映画はそんな和やかなムードの中、キムの家族は緊張に包まれる。この家族は張りつめた糸。ちょっと触れただけでそれが切れてしまう。この映画の中では彼らが抱える痛みは何も解消されない。しかし、家族という見えない不思議な絆が切れそうな糸をずっと守っているのだ。
ジョナサン・デミはアン・ハサウェイにキムとレイチェルの役をオファーした。そしてハサウェイはキムを選んだ。ジョナサン・デミにとってもこの映画はデジタル撮影の低予算映画で、ハサウェイにとってもキムは今までにない役で、『レイチェルの結婚』は監督、主演女優両者共に挑戦というべき作品になった。そしてジョナサン・デミは『羊たちの沈黙』以降初めて、人々の記憶に残る印象的な女性が主人公の映画を作り上げた。女優アン・ハサウェイの今年の賞レースでの活躍が期待される。
(岡本太陽)