綾瀬はるかが女座頭市に(70点)
公開したばかりの『ICHI』が苦戦していると聞く。報じられたところによると、客層はやや高めとのこと。これには少々悔しい気持ちがした。私はこの映画を、「座頭市」など知らぬ若い人にこそ見てほしいと思っている。
一人旅を続ける盲目の旅芸人=瞽女(ごぜ)の市(綾瀬はるか)。彼女はあるとき、とばっちりで悪党の襲撃を受けるが、そこに十馬(大沢たかお)という名の侍が助けに入る。ところが十馬は、なぜか刀を抜こうとせず、二人は逆に窮地に陥る。
刀を抜けなくなった侍と、暗い過去を持つ盲目の女剣士。かつて勝新太郎が演じたヒーロー座頭市は、この男女二人のキャラクターに分かれ、受け継がれている。強き面は市に、どこかユーモラスな部分は十馬に。だからこの映画は二人のラブストーリーではなく、むしろ異色のバディムービーとして見るのが正しい。
綾瀬はるかは今まさに旬の女優で、本作でもたいした存在感を示す。とくに殺陣の美しさは近年まれにみるもので、スタントマンを使わなかったというのは驚きである。曽利文彦監督によれば、この映画のヒロインに吹き替えを使うつもりは最初からなかったそうだ。初めて時代劇を撮るにあたり、後姿だけカッコよくて、あとは顔のアップばかりという形にだけはしたくなかったという。なかなかの本格志向といえる。
この映画のアクションは、まるで2時間を2秒に凝縮したかのような濃密かつ贅沢なもので、一見に値する。綾瀬に通しで何度も殺陣をやらせ、その膨大な撮影素材の中からちょびっとずつ使ったという、まさに上質のコーヒーのような味わい。素人の動きをごまかすために、短く編集でつないだ粗悪品とはわけが違う。
もうひとつ私が感心したのは、誰もが内心考えていた「CGが得意な曽利文彦の座頭市だから、きっとワイヤーで飛び回るはずだ」との予想を完全に裏切ったこと。このジャンルが専門ではないはずの曽利監督としては意外なことに、『ICHI』は、かつて黒澤明監督が得意とした、時代考証にこだわらない"時代劇エンタテイメント"を髣髴とさせる、じつにまっとうな日本的作品となっている。
これを見て私は、この監督があくまで日本的なもので世界の映画界と対峙するつもりなのだと確信した。それは、いち観客の立場から、私が邦画界に対して長年願ってやまないことでもある。
アクションシーンは2時間を2秒に凝縮しているようだと書いたが、映画全体の流れは逆で、90分で描けそうな大筋に、あえて120分を費やしたという印象。これは冗長という意味ではなく、意図的にゆったりとした流れ(これもすなわち「日本的なもの」)を作っているように私は感じた。見せ場との抑揚が心地よいリズムを生んでいる。
惜しむらくは、この力作が「座頭市」の看板をつけているせいで、いらぬ誤解を生みかねない部分。考えてみれば、監督がせっかくこれだけ意欲的なチャレンジをして、かつ綾瀬はるかという素晴らしい女優を主演にすえながら、肝心の若者にとって「座頭市」はあまりにもアピール力に欠ける。逆に、素材に興味を持ってくれる(つまりそれぞれ座頭市に対して一家言ある)中年以降の客層には、この作品の情熱、画期的な部分がどれほど伝わるか疑問だ。
むしろ、まったくのオリジナル企画として実現できていたらと、いまさらながら思う次第である。
(前田有一)