この映画の題名を紹介することはできません(45点)
この映画のタイトルは、主にアメリカを中心とした英語圏では最も低俗とされる4文字言葉で、公の場では通常口にするのもはばかられる。日本にも(主に差別に関するワードを中心とした)放送禁止用語なるものがありマスコミはその表記を自粛するが、それに近いものといえるだろう。
ただし決定的に違うのは、「Fuck」は使い方によって正反対の意味にもなる、すなわち他人を侮蔑する攻撃的な意図から単なる悪態、ギャグにまで姿を変えるという事。その幅広さ、オールマイティー性を含めた的確な訳語というと、なかなか思いつかない。
映画『FUCK』は、そんな不思議でお下劣な単語に関するドキュメンタリー。その語源、用法から実際の用例まで、あらゆる事例を打ち並べ、大勢の識者にインタビューした力作である。ハリウッド映画で初めて使ったのは70年の『M★A★S★H』だとか、過激アニメ『サウスパーク/無修正映画版』(99年)では227回も使っているとか、まったくもってどうでもいい知識が豊富に得られる。
インタビューを受けるのはコメディアンが多いので、その演説自体にユーモアがあり笑えるものが多い。アメリカのコメディアンは、ファック連発芸なんていうお下劣ネタがウリの人でも社会風刺を根底に置いているので、こういう問題を語らせると案外内容のあることを話してくれる。
逆に、無理やり言語学や社会学に結びつけてそれらしく論じるマジメな先生のほうが、妙にこっけいに見えたりして面白い。個人的には、単に発音しやすいから普及している面が大きいんじゃないかと思うが……。
一番笑えるのは、この映画のタイトル自体が放送禁止ワードなので、結局どの報道機関も表記できなかったという裏話。ニューヨークタイムスなどは、『****』と表記したというが、これではもはや何なのかすらわからない。挙句の果てには、各地の映画館も看板にタイトルをかけなかったというのだからマヌケである。亀有から自転車で行ける青砥という駅の近くに、看板の代わりに豚の骨をぶらさげている奇妙なラーメン屋があるが、それと同じでわかっている人しか入場できないというわけか。
ただ正直なところ、劇中で激論をかわす肯定派、否定派の論にはまったく興味がもてなかった。「我々はファックを認めるべきか」などといわれても、そんなもんどうでもいいよ、としか言いようがない。非英語圏で生まれ育ったものから見ればまさにどっちもどっち、一生やってろ、くらいなもんである。
スティーヴ・アンダーソン監督はリベラルな人だというから、不毛なこの議論を見せることで、言葉狩りの馬鹿馬鹿しさを見せたかったのかもしれない。そもそもこの監督は、「どうせ永遠にこのままだよ」と諦観しているふしがある。ドキュメンタリーにおいて、そういうクールな視点が功を奏する場合もあるが、本作は逆に「キミはそれで何が言いたいの?」としか思えぬ形になっている。マイケル・ムーア的とでもいうべき、熱い主張が恋しくなってしまうのである。
(前田有一)