映画批評なら映画ジャッジ! http://www.cinemaonline.jp 最新映画の批評が満載!批評家による映画批評を参考にされて、良い映画を見て頂く為のサイトです。 Fri, 30 Jul 2010 23:46:30 +0000 http://wordpress.org/?v=2.9 ja hourly 1 ソルト - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12551.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12551.html#comments Sat, 31 Jul 2010 08:00:22 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12551  CIAの敏腕分析官イヴリン・ソルトは、何者かの企てによってロシアの二重スパイの嫌疑をかけられる。自分の無実をはらすため逃亡を図り、CIAの追跡をかわしながら陰謀の真相を探ろうとするが…。

 映画界では主役のキャスティングが紆余曲折するのは日常茶飯事だ。「ティファニーで朝食を」のヒロインは、最初はマリリン・モンローを念頭に置いていたという。モンロー版ホリー・ゴライトリーを見てみたかった気もするが、今ではオードリー・ヘプバーンで誰も文句はないだろう。主人公のイメージは脚本次第でどうにでも対応できるのだ。そうはいっても、本作はかなりムチャである。何しろ、もともとはトム・クルーズ主演で作られるはずだったという本作、男性でもかなりハードなアクションをそのまま女性に換算してしまうとは。現在の映画界で最もアクションがさまになる女優アンジェリーナ・ジョリーといえども、この展開は“いくらなんでも”だ。

 スパイの疑いをかけられたソルトが、お手製の即席爆弾を作り、周囲の小道具を利用しながら逃げる展開は、同じく“逃げるCIA”ジェイソン・ボーンのようで面白い。だが、高速道路を走るトラックの屋根から屋根へと飛び移り、暴走する地下鉄からジャンプ、エレベータシャフトを降下、屈強な男たちを殴り倒すとなると、いくらアンジーでもフィジカル的に納得しがたい。しかも、ソルトの謎めいた行動で物語は二転三転。米国内でテロを遂行するのはロシア側である証拠だが、ロシア人たちにも平気で銃を向ける。自分を本当に愛してくれる優しい夫をみつめるまなざしはどうやら本物のようだ。謎めくというよりバランスが悪くて落ち着かない。こうなると映画の見方を変えるしかない。

 そこで提案だが、ハリウッドで最もタフで美しい女優アンジェリーナ・ジョリーに焦点を合わせて楽しむというのはどうだろう。金髪から黒髪へ。タイトなグレーのスーツからクールな黒装束、ファー付きのマントへ。瞳の色も変え、ついには顔にラバーを張り付けた男装の変装まで。さしずめアンジー七変化だ。なんだか可笑しなコスプレ映画の様相を呈し始めたところで、意外な人物の正体がわかりクライマックスへと突入する。まったく命がいくつあっても足りないのだが、アンジーだからと居直ってしまえば、ムチャな活劇を楽しむ余裕も生まれよう。逃げるだけでは物足りない、攻めてこそアンジーだ!とテンションを上げてしまえばもうこっちのものだ。ちなみにアクションは、イスラエル生まれの武道“クラヴ・マガ”の技が基本だそう。攻撃や殺人ではなく護身がベースのこの動きは接近戦に向いているので、女性は要チェックである。

 ヒロインの超絶タフネスぶりが際立つこの物語、そもそも特殊機関で教育を受け、何十年も敵国に潜伏して要人暗殺の機会を待つという背景に気が遠くなるが、まるっきり絵空事ではないらしい。つい最近でもスパイ同士の引渡し劇という、まるで映画のような事件が起こったばかりだ。完全に信頼していた人物が実は…というプロットは、スパイものでは定番。こんな荒唐無稽な作品が、計らずも現実とリンクしてしまうところが、映画の面白さであり不確定要素だ。やっぱり映画は“生きもの”なのかもしれない、思ったりするのである。

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ゾンビランド - 佐々木貴之 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12550.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12550.html#comments Fri, 30 Jul 2010 12:00:25 +0000 佐々木貴之 http://www.cinemaonline.jp/?p=12550  ルーベン・フライシャーがメガホンを取ったゾンビ・アクション・コメディー。

 新型ウイルスの感染拡大が原因で人喰いゾンビばかりの世界となったアメリカ。引きこもり大学生コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、自身が定めたルールに従ってこの世界で生き延びている。故郷へ帰る途中、ゾンビを心底憎んでいるタフガイのタラハシー(ウディ・ハレルソン)や元詐欺師の姉妹ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)に出会い、ゾンビがいないとされるロサンゼルス郊外の遊園地“パシフィックランド”を目指して旅をするのだが……。

 ゾンビ・ホラーをはじめ、ロードムービー、青春モノ、恋愛モノ、アクション、コメディーと多様なジャンルの要素が盛り込まれたことによって娯楽性は高まり、誰もが楽しめるような作風に仕上がったことが最高に良いポイントなのである。しかも、ゾンビ・ホラーならではのグロいシーンもしっかりと描かれているのだから実に素晴らしい。

 また、ビル・マーレイが本人役で出演しているのも要注目ポイントだ。コロンバスとウィチタがビルの豪邸で主演作『ゴーストバスターズ』を鑑賞するシーンをはじめ、レイ・パーカー.Jr歌唱の有名な主題歌も流れ、さらにはパロディーまでも観られる。しかも、ビルの役どころも面白可笑しいため、爆笑させられること間違いなしだ。このような遊び心を活かした演出も高く評価したい。

 クライマックスの夜の遊園地を舞台にしたアクションは、とにかく見応え抜群だ。走ってくるゾンビ軍団を銃で蹴散らすのだが、遊園地を舞台にしているだけにアトラクションのような面白さと『バイオハザード』等のようなゲーム感覚の面白さが融合しているかのように思え、存分に楽しめた。あとは、オバケ屋敷を利用したシーンも微笑ましい。

 最初から最後の最後まで楽しませてくれる本作。ルーベン監督の初監督作品とは思えないほどの腕前は脱帽モノだ!!

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ザ・ホード 死霊の大群 - 佐々木貴之 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12549.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12549.html#comments Fri, 30 Jul 2010 10:00:43 +0000 佐々木貴之 http://www.cinemaonline.jp/?p=12549  ヤニック・ダアンとバンジャマン・ロシェが共同で監督を務めたフランス製ゾンビホラー・アクション。両監督ともに本作がデビュー作となる。

 同僚を殺害されたため、ウィセム刑事(ジャン=ピエール・マルタンス)たちが復讐するべくギャングたちが潜伏する古びた高層ビルに乗り込む。刑事たちとギャングたちが争っている最中に突如一匹の強力なゾンビが現れ、噛みついて来たりと暴走する。ゾンビの数はさらに増え、ビルからの脱出は困難となったため刑事たちは憎きギャングたちとやむをえずに手を組むこととなり、この死霊の大群に挑む。

 監督は「ゾンビ映画を撮りたかったのではなく、アクション映画を目指した」という。確かにゾンビが出没する前から刑事とギャングの争いは、フランス製ギャング・アクションさながらの痛々しい残酷バイオレンス描写が観られるし、ゾンビ登場後も殴る蹴るの暴行を加えて徹底的にゾンビを痛めつけるシーンが観られたり、ショットガンやマシンガンを駆使してゾンビ軍団を蹴散らしたりといったアクションシーンもかなり気合が入っている。とにかくアクションを強化していることは明らかなのである。しかも、テンポはすこぶる良い上に見応え抜群のシーンに仕上がっているので面白さは十分に味わえる。中でも紅一点であるクロード・ペロン扮する女刑事オロールが女ゾンビをボコボコにするシーンは、観る者に強烈なインパクトを与えてくれること間違いなしだ!!

 しかも、本作のメインディッシュであるゾンビをネタにしたスプラッター描写もしっかりとツボが押さえられている。人を喰らいつくシーンからは残酷スプラッターならではの面白さを味わえるが、血みどろ満載の悪趣味残酷描写を全面に押し出して面白さを醸し出すようなことはしていない。本作に登場するゾンビは、近年のゾンビ系ホラーで観られるような走るゾンビであり、一発や二発の銃弾を喰らっただけで簡単にはくたばらない、しかもかなり凶暴。そんな最凶ゾンビの数は、とにかくハンパないのだ。言ってみれば、スプラッター描写を押さえつつも、ゾンビの数を多くして威勢良く描くことに力を注いだことによってゾンビ系スプラッターとしての面白さと過激さを発揮することに成功したのである。

 本作のようにフランス映画で本格的なゾンビ、スプラッターは珍しいと言われているが、それ以上にここまで面白く仕上がったということが何よりもスゴいことだ。

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ジェニファーズ・ボディ - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12548.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12548.html#comments Fri, 30 Jul 2010 08:00:46 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12548  才人ディアブロ・コディの脚本と聞いて大いに期待したが、蓋を開けてみればトホホの出来ばえで、脱力した。とある田舎町に住む、学園一の美女ジェニファーと内気で地味なニーディは幼馴染。正反対の2人はなぜか親友だが、ニーディはジェニファーに振り回されてばかりだ。ある日、2人でライブに出かけるが、そこで火事が勃発。その騒動の最中にバンドのメンバーに連れ去られたジェニファーが戻ってきて以来、街では凄惨な殺人事件が続発する…。

 ホラー映画なのに怖くない。青春映画なのに楽しくない。エロくもなければグロくもない。清純度もビッチ度もあいまいな、あえて言えばキワモノ系ガールズ・ムービーのこの映画を、どう楽しめばいいというのか。対照的な女の子2人のそれぞれの心に潜む残虐性という素材はいい。だが、それをホラーとして料理するためのプロットがあまりにもお粗末だ。売れないバンドが行う謎の儀式によって、ジェニファーは恐ろしい“何か”に変貌する。この闇の儀式やその背景をきちんと描いていれば、せめてホラーとしての軸が出来ただろうに。田舎町で起こる凄惨な殺人事件、ジェニファーの豹変とニーディの覚醒、ついには二人の対決との流れだが、何もかもが言葉足らずだ。若手セクシー女優の筆頭ミーガン・フォックスが、小悪魔ならぬ悪魔のキャラを演じるのは適役かもしれないが、ストーリーがこれでは話にならない。「JUNO/ジュノ」でアカデミー賞脚本賞を受賞したディアブロ・コディは、個性的で魅力的な女の子を独特の筆致で描いたが、本作に“ジュノ”は見当たらない。監督、脚本、ヒロインと、女性パワーが集結したが、期待した化学反応は、生まれなかった。ティーン向け映画ならではのイキが良くてポップな音楽に、こだわりが感じられるのがせめてもの救いかもしれない。

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トイ・ストーリー3 - 山口拓朗 http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12547.html http://www.cinemaonline.jp/review/kan/12547.html#comments Thu, 29 Jul 2010 12:00:39 +0000 山口拓朗 http://www.cinemaonline.jp/?p=12547  おもちゃにとびきり魅力的な個性を与え、彼らの日常(人間の目が行き届かない時間帯)をユーモアたっぷりに描くピクサー製作の「トイ・ストーリー」(第1作は1995年/第2作は1999年)。そんな人気アニメシリーズが11年ぶりに送り出した第3弾は、持ち主アンディとおもちゃ、双方向の「卒業」を描いた物語だ。

 大学に入学する17歳のアンディは、あと数日で自宅を出て寮に引っ越すことになっていた。アンディは、小さいころから大事にしてきたおもちゃを屋根裏部屋にしまおうとするが、勘違いをした母親が、おもちゃの入った袋をゴミ捨て場に出してしまう。ゴミ処理場行きは免れたものの、おもちゃは凶暴な園児が大勢いる託児所に寄付されてしまい……。

 おもちゃとアンディ。両者の相思相愛ぶりを知る私たち(観客)にとって、感情移入できる対象は、おもちゃかアンディのどちらか一方ではなく、その両方である。冒頭で「卒業」という言葉を使ったが、おもちゃが使命を果たし終えるという意味では「引退」でもあるし、大好きな人と別れるという意味では「失恋」でもある。「卒業」に「引退」に「失恋」。こうした分岐点を用意することで、映画は、人(モノ)にとって価値ある生き方とはどういうものかを考えさせる。

 本作を鑑賞して「モノを大事にしよう」というメッセージが心に響かない人はそうはいないだろう。がしかし、そのメッセージはどちらかというと表向きのものだ。作品の根底に流れているのは、私たち人間はすべてのモノに生命を吹き込む想像力を持っている、というメッセージではないだろうか。アンディのおもちゃへの「愛」の原点も「想像力」なら、おもちゃ同士の「絆」の原点も「想像力」にほかならない。

 「卒業」「引退」「失恋」のシナジー効果はてきめんで、号泣必至のエンディングはこちらの想像をはるかに超えるレベルであった。相思相愛にもかかわらず、お互いの未来のために価値ある別れを選択する彼ら(アンディ&おもちゃ)の生き方は、ほとんど「自利利他」の美学であり、私などは、単に寂しいという思いを通り越して、愛し愛される歓びの極致へと誘われた。人もモノも愛されたように育つ。それは一つの真実だろう。

 綿密にドラマを練り上げた脚本家には、最大級の賛辞を送りたい。「信頼」と「誤解」、「絆」と「裏切り」、「愛」と「嫉妬」、「希望」と「不安」、「歓び」と「寂しさ」――相対する要素を縦横に編み込んだドラマは、本流からいくつかに枝分かれした支流が、劇的な変化を見せながら再び本流に集約していく巧妙な展開。しかも、終盤には実写映画顔負けの脱出アクションまで用意する豪華サービス特典付きだ。表層的な「お涙ちょうだい」話ばかり書いている脚本家諸氏は、真に人の胸を打つ物語がどのようにして作られているのか、当代随一のストーリーテラーたるピクサーが放ったこの最高傑作で勉強するといいだろう。

 アンディがウッディらおもちゃに別れを告げるとき、ピクサーも、そして私たち観客も「トイ・ストーリー」という作品に別れを告げることになる。現実と虚構は表裏一体。あるいはピクサーが「トイ・ストーリー」という作品に、ウッディの姿を重ねあわせていたとしてもなんら不思議な話ではない。

 とことんエンターテインメントでありながらも、一つひとつのシーンには、ヘタな哲学書を凌駕するほどの示唆やメッセージがこめられている。この種の涙を流させてくれる作品はそうない。アメリカ産アニメ映画の金字塔といっても言い過ぎではないだろう。

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ボローニャの夕暮れ - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12546.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12546.html#comments Thu, 29 Jul 2010 08:00:06 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12546  ファシズムの時代を背景に、ある家族に起こった悲劇からそれぞれの愛情の形を描く人間ドラマだ。名もない家族が主人公の、ささやかな物語だが、イタリア映画の底力を感じさせる秀作である。1938年、イタリア・ボローニャで慎ましく暮らすカサーリ家は、美術教師の父ミケーレ、美しい母デリア、地味な外見と内気な性格の17歳の娘ジョヴァンナの3人家族。ミケーレは娘を溺愛するあまり、学校で人気の男子生徒ダマストリに娘に好意を示すようにやんわりと強要する。そうとは知らず喜ぶジョヴァンナの姿を見て冷静な母はミケーレを非難する。やがて学校で女子生徒の殺害事件が。それはジョヴァンナの犯行によるものだった…。

 イタリア映画は家族を描いた秀作が多いが、その愛情の中心には母親がいることが多い。だがこの物語はちょっと冴えない父親が、たとえ娘がどんな罪を犯そうとも献身的に支え続けて母親の役割まで果たしているところが珍しい。精神的に不安定だったジョヴァンナは、ダマストリが実は自分の親友とつきあっていることを知って逆上、さらには自分の罪を自覚できないほど心を病んでしまう。母のデリアがそんな娘と常に一定の距離を置くのとは対照的に、父ミケーレはどんな犠牲をはらっても娘に無償の愛を捧げている。その愛情の形は単純なものではなく、自分が犯行の引き金になったことへの後悔、美しすぎる妻への負い目などが、複雑に混じり合ったものなのだ。父、母、娘、それぞれに深く傷つき、一度はバラバラになるかに見えたが、名匠プーピ・アヴァーティは、イタリアの家族愛をそんなひ弱なものとは考えていない。ファシズムが日常的にさらりと描かれるのは、この暗い時代が庶民の価値観や生き方をじわじわと歪めていったという静かなメッセージなのだろう。父親役シルヴィオ・オルランドがさすがの名演だが、ジョヴァンナ役のアルバ・ロルヴァケルの演技は絶品だ。時を経て母と再会するラストの「良かったら母さんも来ない?」と言うときの表情が特に素晴らしい。これは、哀しみを共有しながらしっかりと生き抜く、したたかな庶民のハッピーエンドなのだ。

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シスタースマイル ドミニクの歌 - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12545.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12545.html#comments Wed, 28 Jul 2010 10:00:31 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12545  60年代に誕生し今でも愛される名曲「ドミニク」を作って歌った女性ジャニーヌ・デッケルスを描くが、彼女の生き方と顛末は、自由の意味を考えさせられる。1950年代終わりのベルギー。生き方を模索するジャニーヌは、ギターを手に修道院に入る。厳格な規律に反発しながら大好きな音楽の才能に導かれるように、修道会の聖人ドミニコを讃える歌「ドミニク」を作詞作曲する。美しい歌声とメロディーは評判を呼び、彼女は「シスタースマイル」としてレコードデビューを果たして一躍スターになるのだが…。

 「ドミニク、ニクニク…♪」のメロディーは一度聞けばすぐに覚えて思わず口ずさんでしまう、明るくて親しみやすい曲だ。だが、この曲を歌った人物がこんなにも直情型の女性だったとは意外だった。彼女の生き方は穏やかな修道女のそれとは程遠い波乱万丈の人生である。60年代にデビー・レイノルズ主演で作られた映画「歌え!ドミニク」の物語が、いかにハリウッドお得意のご都合主義のフィクションだったかが分かる。それはさておき、当のシスタースマイルことジャニーヌ・デッケルスの人間形成には、母親から抑圧されて愛されなかったことが大きなトラウマになっているようだ。そもそも自由を求めて修道院に入るという発想が間違っている気がするのだが、信仰というより安らぎを得たい気持ちが強かったのだろう。美術、アフリカへの救援活動、歌手としての成功。自分の望みもコロコロと変わる。歌を愛する気持ちは本物だろうが、実際のところジャニーヌが本当に何をしたかったのかはあまり見えてこなかった。独善的な生き方を押し付ける母から逃れ、修道院の厳格な規律を拒み、世間の荒波から逃れた先にあるのは、あまりにもやるせない運命だ。ヒット曲「ドミニク」は教会や音楽業界の思惑に利用されてしまう。結局彼女は、自分が自由になれる場所を探して人生と格闘したチャレンジャーだったと言えようか。謎に満ちたシスターの真実を描いたこの作品は、改めて時代の犠牲となった一人の女性の生涯を思わせ、ため息が出る思いだ。今も歌われ続ける名曲「ドミニク」がどこまでも明るいだけに、なおさらやるせなさが残る。

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ソルト - 町田敦夫 http://www.cinemaonline.jp/review/raku/12544.html http://www.cinemaonline.jp/review/raku/12544.html#comments Tue, 27 Jul 2010 14:00:13 +0000 町田敦夫 http://www.cinemaonline.jp/?p=12544  アンジェリーナ・ジョリーは(あるいは彼女のスタントマンは)この映画で何度、高所から飛び降りたことか。高架道路から飛び、トラックの屋根から飛び、地下鉄から飛び、エレベーターシャフトから飛び、その間に格闘、射撃、爆破、暗殺。ついでに目の色や髪の色を変え、人相を変え、服装を替え、ついには男装まで披露してくれた。

 CIA分析官のソルト(ジョリー)は、尋問中のロシアのスパイ、オルロフから、二重スパイとして名を挙げられる。誤解だと訴え、拘束しようとする上司のウィンター(リーヴ・シュレイバー)や防諜部のピーボディ(キウェテル・イジョフォー)から逃げ出したソルトは、しかしオルロフの言葉どおりに訪米中のロシア大統領を暗殺。さらにホワイトハウスに潜入して米国大統領の命を狙うのだが……。

 冒頭の30分間の吸引力は強烈だ。思わぬ運命の渦に呑みこまれたヒロインが、ストッキングを脱いで監視カメラを覆い、消火器を改造して迫撃砲を作り、武装集団が固めるCIAのビルから単身、脱出。さらにはワシントンの町を舞台に、斬新でド派手なカーチェイスを繰り広げる。この時点ではまだ観客の気持ちはソルトと一体だから、その緊迫感たるや半端ではない。

 だが、それもソルトが攻撃に転じるまでだ。『ターミネーター』シリーズを例に取るまでもなく、アクションもので本当に面白いのは逃亡劇。獲物がハンターに変わった途端に、たいていのアクション映画は魅力をなくす。本作もまた、ソルトの正体が明らかになった時点でサスペンスとしての魅力は雲散霧消。ストーリーやキャラクター造形にも多くの破綻があるために、感情移入度は尻すぼみに下がった。これではアンジー姐さんの七変化を観賞するぐらいしか、楽しみはありませんわな。

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ゾンビランド - 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12543.html http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12543.html#comments Tue, 27 Jul 2010 12:00:08 +0000 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/?p=12543  ゾンビに脅えて暮らすより、積極的にゾンビ殺しを楽しもう。国中いたるところでゾンビが群れをなし人間の肉を求めてさまようようになった世界、安全な場所が少ないのならばその境遇に順応しようという開き直りが映画を明るい印象にする。もちろん、血しぶきが舞い脳漿が吹き出し内臓が引きちぎられる残酷な描写はゾンビ映画の王道を行くのだが、主人公のある種間抜けなキャラクターと相まって、かつてないコミカルでユニークな雰囲気を醸し出す。

 ひきこもり大学生のコロンバスはゾンビランドで「32のルール」を自らに課し生き残っていたが、故郷に帰るためにタラハシーというゾンビハンターの車に乗せてもらう。道中、ウィチタとリトルロックという姉妹に騙されて車と武器を奪われてしまう。

 人嫌いで自己完結していたコロンバスが外界に触れるうちに、他人との関わるのもよいものと思い始めるが、相手は癖のあるいかついオッサンと詐欺師姉妹といった普通じゃない人々。むやみにやさしさや友情を示したりしない距離感がコロンバスにとって受け入れやすかったのだろう。タラハシーには頼れる兄貴、ウィチタには恋愛感情、リトルロックにはカワイイ妹という親近感を覚えていく過程で、彼の精神的成長と相まって絆を育んでいく。1人でできないことも4人ならできる、この絶望的な時代に生きるのも悪くないと思わせる展開が心地よい。

 4人は本物のビル・マーレーの豪邸に忍び込んでゴージャスな気分を満喫した後、遊園地に追い詰められた姉妹を救うためにコロンバスとタラハシーが駆けつける。ゾンビキラーとしてのタラハシーはそこでも能力をいかんなく発揮する。ゾンビが元々人間だったなどという感傷とは無縁、ただ危険な存在として破壊の対象としかとらえていないクールさが格好の憂さ晴らしになっていた。そして何よりウィチタがコロンバスに本名を告げるシーンで、コロンバスにとって初めて人に愛される経験を描き、未来への希望を残す。血なまぐさいのに後味が良い作品だった。

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私の優しくない先輩 - 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12542.html http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12542.html#comments Tue, 27 Jul 2010 10:00:43 +0000 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/?p=12542  憧れの男子に心ときめかせる少女が頭の中に描く世界は、3センチ浮いているような地に足のつかない感覚に満ち、そこにいる間だけは幸せな気分に浸っていられる。だが、なぜかいつも臭くてウザい先輩に付きまとわれて現実に引き戻されてしまう。映画は、不治の病に冒されたヒロインが残り短い時間の中で想いを実らせようとする手垢のついたパターンから脱却するために、キャラの濃いコメディアンを使って意外性を出そうとする。「生きる」とは他人と関わり相手の嫌なところを受け入れ己をさらけ出すこと、という主張は素晴らしいのだが、伝わってきたのは暑苦しさだけだった。

 小さな島に転校してきたヤマコは、学校でアイジ先輩とすれ違うたびに胸が高鳴っている。ある日、アイジに書いたラブレターが部活の不破先輩にみつかるが、なぜか不破は夏祭りでヤマコとアイジをキスさせるためにたこ焼き屋を出そうと提案する。

 たこ焼き特訓を続けるうちにヤマコがアイジに抱いていた理想像が崩れていく。遠くから見つめているときは完璧だったのに、実際のアイジはキクコというオタク女子に告白したり不良とタバコを吸ったり無責任だったり。一方、存在自体を否定していた不破には人を思いやる優しさが満ち溢れていることを知る。しかし、ヤマコが夢から覚め人生の真実を見出していくその過程にはまったく説得力がなく、かといってギャグ漫画のようなセンスにも欠け、川島海荷のチャーミングさと金田哲の怪演がかみ合わないまま物語は上滑りしていく。また、モノローグを多用してヤマコの気持ちを解説するが、それこそ表情やしぐさなどの演技で表現すべきだろう。

 夏祭りのたこ焼き屋は大成功、ヤマコは自分の汗の臭いに充実感を覚え、生きている実感に浸る。それは大嫌いな不破先輩が教えてくれたこと、彼女は感謝で胸をいっぱいにして息を引き取っていく。そこにセンチメンタルな湿っぽさを持ち込まなかったのには好感を持てるが、不破の過干渉の理由は明かされないまま。最大の見どころがエンドロールのミュージッククリップのような映像だったのは少し寂しかった。

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ぼくのエリ 200歳の少女 - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12541.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12541.html#comments Tue, 27 Jul 2010 08:00:11 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12541  北欧特有の冷気と幻想の中で繰り広げられる残酷で美しいメルヘン。孤独な少年とヴァンパイアの少女の結びつきを、ポエティックに描いていく。12歳のオスカーはストックホルム郊外の街で暮らす繊細で孤独な少年。学校で深刻ないじめにあっているが、親も教師も彼の状況に気付かない。ある日、アパートの隣に引っ越してきたエリという少女に出会う。一方、街では、残虐な殺人事件が連発していた。夜しか会えないエリに、オスカーは心惹かれていくが、ある時、エリが人の血を吸って生きるヴァンパイアだと気付いてしまう…。

 オスカーとエリは共に深い孤独を抱えていて、本能で結びついたのだろう。おそるおそる近付き、そっと言葉を交わし、ついにエリの正体を知ってもなお、オスカーがエリを求めてやまないのは、彼女の中に他者と関係性を持てない自分を見るからだ。それは恋と呼ぶにはあまりに幼い感情なのだが、エリから「自分が女の子じゃなくても好き?」と聞かれればしっかりと頷く。2人の結びつきは、互いを受け入れることから始まるという根源的な関係だ。ヴァンパイアであるエリがオスカーの家に入るには、まず相手から招かれなければならない。「入っていい」のひと言がなく、入口で身体中から血を流すエリの姿は、途方もなく長い間生きてきた究極の孤独をにじませていて、胸をえぐられるようだ。降りしきる粉雪、凍った河、青い水をたたえたプール。映像は静謐で冷やかだが、12歳の初恋はぬくもりに満ちている。ファースト・キスが血の味でも、血が不十分な時のエリの顔が土色でも、構わない。オスカーとエリの心の会話は、モールス信号が記憶しているのだ。二人は生きることを強く決意する。ラストに、不思議なほど突き抜けた幸福感が訪れるのはそのためだ。対照的なルックスの子役たちといい、シャープな映像といい、トーマス・アルフレッドソン監督の鋭い感性が結実した、リリカルな秀作だ。

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グッドモーニング・プレジデント - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12540.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12540.html#comments Mon, 26 Jul 2010 08:00:22 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12540  公人である大統領の、私人としての顔を描きながら、やんわりと社会風刺するヒューマンドラマ。半年後に任期を終えるキム大統領は応募したロトで大金が当たるが、公約で全額寄付を宣言していたので、大いに悩む。チャ・ジウクは最年少で大統領に。男やもめの彼は、朝鮮半島をめぐる一触即発の危機と同じくらい、初恋の相手との再会に動揺する。ハン・ギョジャは韓国初の女性大統領。超多忙な妻を支える優しい夫は、ストレスから青瓦台のルールを破り、支持率低下を招いてしまう。責任をとって離婚を切り出すが…。

 この韓国映画では、現実には遠い存在である大統領を、庶民的、若さ、女性という3つの要素でぐっと観客に近付けている。それぞれの悩みを聞き、何気なく彼らに助言を与える、青瓦台(韓国のホワイトハウス)のベテラン料理人の目を通して3人の人となりを描いていく手法が上手い。印象的なのは、韓国はもとより、日本やアメリカでもいまだに実現していない女性大統領を演じる“韓国の母”ことコ・ドゥシム。ちょっとコミカルながら凛々しい姿がいい。母親の影響力が強い韓国社会らしいキャラクターだ。政治とはある意味、パフォーマンスやショーのようなもの。イメージアップのため、マスコミや政敵を利用し、ときにはスタンドプレーも辞さない大統領の言動には、ちゃんと演出家が存在する。懸命に演じる政治家とともに、それらに踊らされる国民に対しても、ちょっぴり皮肉なまなざしが。3人の大統領は皆、国政を行いながら、悩みがあれば、台所で専属シェフと語らう。食べるという行為は、どんな人の心もなごませる魔法の薬のようだ。心をリフレッシュして誠実に激務に戻っていく様子は、政治への理想とも言えるファンタジーで現実感はないのだが、だからこそ楽しめるのかもしれない。韓流スターのチャン・ドンゴンが4年ぶりにスクリーンに復帰していることでも話題の1本だ。

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ジェニファーズ・ボディ - 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12538.html http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12538.html#comments Sun, 25 Jul 2010 16:00:00 +0000 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/?p=12538  アメリカという国は個人主義なので個性を尊重、人と違った事をやっていても認める気風があり、だから日本のような陰惨ないじめなどはあまりない。

 ──などと誤解されていた時期もあった。上記は一部正しいが、少なくとも現在では結末は明らかに間違っている。実際のところ、自由と民主主義の国にも一皮向けば差別意識渦巻く厳しい競争社会の本質があり、ときにそれは多人種国家ならではの残酷さで人々を苦しめる。

 『ジェニファーズ・ボディ』は、中西部の田舎の女子高校生の暮らしを舞台に、とくに女の子同士の間に生まれる「残忍性」を主題に描くホラー映画。

 学園の女王蜂的存在のイケてる女子高生ジェニファー(ミーガン・フォックス)と、地味で男っ気のないニーディ(アマンダ・セイフライド)は、はたから見ればまったく共通点もなく釣り合わない存在だが長年の親友同士。地元にやってきたおしゃれなインディーバンドを見に出かけた二人だが、早速ジェニファーがヴォーカルの男からナンパされる。適当にやり過ごすものの、その後、店でショッキングな出来事が起こり、ショックで放心状態のジェニファーはニーディの制止も聞かず、バンドの車に乗り込み連れ去られてしまう。

 この映画は10代少女の妊娠騒動をコミカルに描いて大ヒットした「JUNO/ジュノ」でアカデミー脚本賞を受賞したディアブロ・コディの脚本最新作だから、なによりもストーリーに期待して見た。彼女は今回プロデューサーもつとめていて、監督も若い世代(68年生まれ)の日米ハーフ女流監督カリン・クサマ。キャストには今が旬の人気女優が二人、仲良く名前を並べている。つまり女性による、女性のためのサスペンス映画というわけである。女性を何より愛する恋愛至上主義の映画批評家としては、おのずと期待が高まるというほかない。

 しかしどうだろう、私の期待はあっさり裏切られてしまった。ホラーの類は見尽くしたほど見ているディアブロ・コディが一番怖いと思うもの、すなわち「若いオンナならではの残酷さ」など、ほとんど描かれてはいない。あふれるホルモンに精神をのっとられ、右往左往するティーン女子の「怖さ」など、せいぜい隠し味程度の扱いである。

 その代わりに何が出てくるかといえば、「超常的なバケモノ」。こんなものが一番怖いとはコディさん、怖がりにもほどがある。

 導入部はよかったのだ。仲良し少女二人を写しながらも「こいつら本当は仲悪いんでないか?」と思わせる不穏な映像を見ると、観客は「何かおかしい」と違和感を感じて引き込まれる。

 だが、その主人公少女がヤリチンのバンドマンに連れて行かれた先の真相が明らかになった瞬間、一気に興醒めする。このジャンルのホラーは、「見せたら終わり」が鉄則である。それこそイケてるヒロインのはいてるパンツよろしく、「見えそで見えない」から観客のスケベ心、いや恐怖をあおることが出来るわけだ。

 もっとも、オカルトが好きな人はこれでも喜ぶかもしれないが。

 最終的にそのあたりは好みの問題とはいえ、やはりディアブロ・コディが書くとなれば、この人特有の現代的で生々しい筆致で、少女たちの「リアル」を暴き出す日常の裏側のようなものを見せてほしかった。それとホラーまたはサスペンスジャンルの融合となれば、相当面白いものを期待できるではないか。

 今回は字幕の表現もずいぶん平凡で、この脚本家らしい言い回し(ギャル語みたいなもの?)も表現してはいない。この点も残念。

 結末に至る流れも、どこにでもあるバケモノホラーそのもので、まるで新味なし。

 唯一面白い点といえば、いわゆる学園ヒエラルキーの実態というか空気を、そこそこ伝えてくれる点。ミーガン・フォックスはその頂点に君臨する女王蜂のキャラクターにぴったりだ。ただでさえ美人な上に、肉体改造をいとわぬ女優魂により、ハリウッドでも一二を争うセクシーかつナイスバディを身に着けた、まさに旬の女優である。

 その親友役アマンダ・セイフライドも、この手の役柄はお手の物。どんくさいダウングレードメイクの力もあって地味少女を好演。もっとも、さえない彼氏とのメイクラブ場面では横乳公開という嬉しいオプションサービスもあり、この女優が本当はミーガンにさえ匹敵する超美少女だと知るファンを喜ばせる。

 期待すべき方向を間違うと、少々ハズレ感が強くなってしまう本作。こういうのを地雷というのだろう。読者の皆さんが被害者とならぬよう、大事なポイントは本文に書いたつもりだが、なんといっても脚本家より女優に注目してみたほうが、爆死する可能性は低いといえる。

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ソルト - 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12536.html http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12536.html#comments Sun, 25 Jul 2010 14:00:34 +0000 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/?p=12536  若手セクシー女優世界一といわれるミーガン・フォックスの主演作が公開される週に、元祖セクシー女優というべきアンジェリーナ・ジョリーのアクション映画が公開される。ミーガンはアンジェリーナ・ジョリーの再来と言われている程よく似たタイプであり、日本でめでたく直接(?)対決が実現したことになる。

 CIAロシア担当部の優秀な局員イヴリン・ソルト(アンジェリーナ・ジョリー)は、直属上司で任務上の恩義もあるウィンター(リーヴ・シュレイバー)とともに、ロシアからの緊急亡命者の尋問をすることになった。この男はロシア大統領の近くにいた大物であったが、各種スキャンの結果、嘘を言っていないことが証明された。ところが最後に男が発した証言が、二人と局内に衝撃を与える。彼はこう言ったのだ。「わがロシアの誇る優秀なスパイがすでにアメリカに潜入している。彼女の名はソルトだ」

 サービス残業のつもりで気軽にひきうけた尋問が、主人公をいきなり大ピンチに陥れる。この証言の瞬間、仲間だった周りのCIAスタッフの目つきが豹変する。盟友のウィンターだけは彼女の味方をしてくれたが、それでも彼の表情から狼狽の色は隠せない。さあどうする、すぐに逃げなければスパイ扱いされ大変なことになる!

 こんな感じでいきなりハイスピードのアクションが展開するが、運動不足かその勢いはすぐに失速する。ミーガン・フォックスの新作も萎え萎えだが、こちらも負けていない。できれば出来のよさで競ってほしいものなのだが。

 いろいろと問題点はあるが、アンジェリーナ・ジョリー主演作らしい個性がない点が一番まずい。だいたい本作は降板したトム・クルーズの後に彼女が決まり、主人公の性別が書き換えられた時点で、「ジェイソン・ボーンやジェームズ・ボンドをセクシー女優アンジェリーナが演じたらどうなるか」が最大の焦点となった企画である。それらの元ネタ作品を吹っ飛ばすような面白さ、個性がなければ話にならない。

 なのに、リアル系スパイアクションとしては、アイデアも格闘のスピード感もボーンシリーズの足元にも及ばず、007のような色気もしゃれっ気もない。ちんちくりんな細いオンナがちょこちょこ逃げ回るだけの、悲しいほどに迫力に欠けたシーンが延々と続くのみ、である。別にアンジェリーナさんの谷間がみたいとか、色っぽい唇のアップが見たいなどとは言わないが(註・断じて本当)、もうすこし彼女らしさを引き立てるアイデアを出さねばまずかろう。

 男の軍服で変装してホワイトハウス潜入とか、跳弾気にせず撃ちまくりとか、プロらしからぬ動き……というかトンデモすぎる描写も目立ち、演出の一貫性をスポイルする。オンナとしての悲しみを感じさせる展開もあるにはあるが、とってつけの感が否めない。

 そもそもソルトさんがなぜこんなに超人なのか、その理由付けも十分とは思えない。手塩にかけて育てられた凄腕諜報員であっても、同じく過酷な訓練を受けた敵たちが瞬殺される説得力にはなりえない。となると結論は、アンジェリーナ・ジョリーだから強い、という回答しか残らなくなってしまう。それでもいいかもしれないが、個人的にはそれが許されるのは、ララ・クロフトを演じるときくらいだろうと思う。

 ストーリーは単純なわりにテンポが悪く、少々退屈するが、見ようによっては笑える部分も。そのひとつは、黒幕がアメリカを滅ぼそうとするための手段。脚本書いてる本人も気づいてないんじゃないかと心配になるほどの人種差別的発想に加え、デタラメにも程があるスケールの大きさに大笑を禁じえない。

 もっともそんな内容でも、金融危機の前、まだアメリカの一極支配が磐石と思われていた頃に公開していたならば意味合いも変わっていたはずだ。だが結論からいえば、現在みるなら完全に笑い話。引き合いにだされた某民族の皆さんも、あきれて怒ることさえないだろう。

 本作の大テーマのひとつで、長期間、本国と連絡すら取らずに一般人として敵国で暮らす「スリーパー」スパイの存在についても、今に始まったものではない。この点も新鮮味や現代性を感じさせない原因となっている。

 アメリカ殺すに軍隊はいらぬ、ドルにそっぽをむけばいい。ロシアや中国はすでにそれを実行し、ここ数年の歴史で証明している。そんな時代にこんな大げさな「アメリカ殺し」の話をされても、ほほえましいお笑い以上のリアリティは持ち得ない。

 なお本作は、どうやら続編に続くような形で終わる。次はもう少し谷間、いやアンジェリーナらしさにこだわってほしいところだ。

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ゾンビランド - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12535.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12535.html#comments Sun, 25 Jul 2010 08:00:22 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12535  ゾンビものなのに妙にさわやかなところが魅力的。ホラー、コメディー、ラブストーリーと、複数のジャンルを盛り込むこの映画は、ゾンビ映画というより青春ロード・ムービーと呼びたい。人類の大半がゾンビと化したアメリカ。オタクで引きこもりの青年コロンバスは、生き残るために独自の32のルールを作って実践していた。故郷へ向かう旅の途中で、ゾンビを殺しまくるマッチョな男タラハシーや、詐欺師姉妹ウィチタとリトルロックらと出会う。4人は、ゾンビがいないと噂されるLAの遊園地“パシフィックランド”を目指すのだが…。

 主人公コロンバスの徹底したヘタレっぷりがいい。ゾンビ映画でお馴染みの怖いもの知らずのヒーローとはほど遠く、彼が自らに課したルールも生活臭たっぷりのセコいものばかり。そのくせちゃんと説得力があるから可笑しい。たとえば、ゾンビからひたすら逃げるため、作ったルールは「有酸素運動を欠かさないこと」。走って逃げるには1に体力、2に体力だ。ゾンビが本当に死んだ(既に一度死んでいるのだが)かどうか確認するため、必ず2度撃ちして止めを刺すことや、車で轢き殺した際に自分の身を守るためにシートベルト着用などもある。最も大切なルールは「決して英雄になるな」だ。ゾンビ映画のマエストロで、社会派かつ正統派のロメロの作品とは対極の、見事な逃げっぷりの物語を見ているうちに、この映画のゾンビはただの脇役にすぎないことが分かってくる。人間関係を上手く築けないコロンバスと、実は切ない過去があるタラハシー、男たちよりずっとしたたかでチャーミングな詐欺師姉妹は、やがて強い絆で結ばれていく。もちろん安全なはずの遊園地では大バトルが待っているのは言うまでもない。これほど陽性のゾンビ映画は初めてで、大いに楽しんだ。さらに、スペシャルゲストとしてビル・マーレイが登場するサービスも。いつ、どんな役で登場するかは映画を見て確かめてほしい。32のルールの中には「小さなことを楽しめ」の項が。こんなささやかな作品で思いがけず楽しめるのだから、そのルールは正しいという証拠だ。

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小さな命が呼ぶとき - 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12534.html http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12534.html#comments Sat, 24 Jul 2010 10:00:46 +0000 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/?p=12534  愛する子供たちが死の病に冒されたとき、両親はその運命を受け入れられるか。担当医も匙を投げる症状なのに、父親はすがるような思いで最先端理論の実用化を目指す。いわゆる難病モノなのだが、映画は病魔と闘う子供たちではなく、ある意味本人たちより心を痛めている彼らの父親にスポットを当て、愛情の深さを行動で示す姿を描く。主人公がパートナーを見つけ、カネを借り、起業して新薬を開発する一面と、なんとか子供たちの命を救いたいという願いが一体となる様子は、感情に訴える湿っぽさよりもアクティブさを強調し、ビジネスにおけるサクセスストーリーとしての爽快感が得られた。

 平均寿命9年のポンペ病に罹った2人の子供を持つジョンは、治療法の研究者・ロバートの論文を目にする。理論は独創的でもなかなか結果を出せないロバートはジョンの資金援助で実験を開始、大手製薬会社の傘下に入って更なる環境を得る。

 大学の研究室にこもりっきりで数式と格闘するロバートはいかにも象牙の塔の住人。一方、実業界で鍛えられたジョンはアイデアを実現させるため資金集めに奔走する。このあたりの、世知に乏しいロバートがジョンや他の人間と触れあううちに徐々に社会性を身につけていく過程が楽しい。そんなロバートに手を焼きながらも、山積する難題を片付けるジョンのたくましさ・したたかさと好対照をなしている。何事も正面突破するジョンのエネルギーを生むのは、わが子のためという個人的な熱意以上に、ポンペ病に苦しむすべての子供たちに希望を与えたいという社会的な情熱にちがいない。

 やがてロバートの作った酵素の臨床実験をジョンは自分の子供たちで行い、効果を観察する。親族以外面会禁止の病室にロバートが見舞いに来てジョンがハグをするが、あくまで照れくさそうにはにかむロバート。人付き合いが苦手なロバートが精いっぱい見せた他人への思いやりが、彼もまたジョンとの共同作業を通じて変わったことを示す。ジョンの家族の闘病や苦悩より、ロバートの人間として成長のほうがある意味興味深い作品だった。

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小さな命が呼ぶとき - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12533.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12533.html#comments Sat, 24 Jul 2010 08:00:28 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12533  いわゆる難病ものの実話だが、子供の命を救うという目的のため、数々の障害をクリアしていく主人公の現実主義に感服する。エリート・ビジネスマンのジョンには、筋力が低下していく難病・ポンペ病に冒された2人の幼い子供がいた。平均寿命9年といわれるこの病に治療薬はない。あきらめきれないジョンは、ポンペ病の権威のストーンヒル博士の研究に着目。やがて二人は共同で製薬会社を立ち上げるが、彼らの前には多くの困難が待ち受けていた…。

 難病の子供の治療薬がないと知ってもあきらめず、新薬を作ろうとするその姿は、同じく実話の映画化「ロレンツォのオイル/命の詩」を彷彿とさせる。ジョン・クラウリーのすごいところは、自分で薬こそ作らないものの、製薬会社を立ち上げた後の柔軟なスタンスにある。自分の待遇や経済的な不利益などいっさい目もくれず、薬の開発のためならどんな犠牲もいとわない。会社はすぐに大手製薬会社に買収され、そこでのジョンの待遇は博士の添え物というプライドを傷つけられるもの。だが、彼はその冷遇に耐えながら自分ができるプロモーションなどで上層部の意識改革をやってのける。ずっと一緒に頑張ってきた頑固者の博士と袂を分かつのも、なんとしても子供を救いたい一心だ。彼の懸命な思いが、頭は硬いが根は優しい博士に伝わったからこそ、起死回生のアイデアが生まれてくる。利益やメンツばかり優先する製薬会社の役員に見事な方法で“三行半”を叩きつける場面は、胸がすく思いだった。

 ジョンの行動には、ある意味、自分の子さえ助かればいいとのエゴイズムもあっただろう。だが、ジョンと博士の二人三脚の頑張りは、極めて極私的な目標が、結果として普遍的な利益へとつながる好例に思える。子供たちの明るい笑顔が印象的で、難病や車椅子生活にいじけることなく、かけっこしたりパーティを楽しんだり、生を謳歌している姿がいい。時に生意気なセリフを吐くところも逆に可愛い。絶対にあきらめず自分のことは自分でなんとかする“自立自助”こそが、アメリカ人の最も尊い精神だ。いい意味でアメリカらしい物語である。

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グッドモーニング・プレジデント - 佐々木貴之 http://www.cinemaonline.jp/review/kyou/12531.html http://www.cinemaonline.jp/review/kyou/12531.html#comments Fri, 23 Jul 2010 10:00:30 +0000 佐々木貴之 http://www.cinemaonline.jp/review/kyou/12531.html  人気韓流スターのチャン・ドンゴンが四年ぶりに主演した本作は、三人の韓国大統領の素顔に迫った人間ドラマであり、社会風刺を効かせたコメディー作品でもある。

 半年後に任期満了となる庶民派ジョンホ(イ・スンジェ)大統領のロトくじ当選、青年大統領ジウク(チャン・ドンゴン)が若者の父親のために腎臓移殖、韓国初の女性大統領ギョンジャ(コ・ドゥシム)が任期中に離婚危機といった三人の主人公のオムニバスドラマは、所々で軽く笑えわせてくれる一方で感動モノのテイストを取り入れて女性ファンにウケるような感じで描かれる。

 また、大統領が主人公だからと言って政治ドラマならではの小難しい社会派テイストは追求されていないため、二時間弱のドラマを気楽に楽しめるのが何よりもよろしい。

 チャン・ドンゴンの大ファンや韓流ファンの女性には強くオススメしたい一作だ。

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インセプション - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12530.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12530.html#comments Fri, 23 Jul 2010 08:00:35 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12530  コブは、人が最も無防備になる夢の中で、他人のアイデアを盗む犯罪分野のスペシャリスト。国際指名手配中でアメリカに戻れない彼に、大実業家・サイトーが半ば強引に仕事を依頼する。それは他人の潜在意識に入り込み、ある考えを植えつける“インセプション”という最高難易度の犯罪だった…。

 身体を動かさずに物語を見る映画は、夢を見る行為によく似ている。スクリーンの仮想空間の中、私たちは作り手から与えられた物語で、笑い、泣き、悩み、感動する。違いは現実と非現実の境界を知覚しているかどうかだ。そんな極めて映画的な題材“夢”に挑んだクリストファー・ノーランは、作家性と商業性を兼ね備えた稀有な監督である。デビュー作「フォロウィング」では、他人の家に無断で入り込んだが、本作では夢に侵入。しかも都合のいい夢を用意してそこに誘導し、潜在意識を操る。近未来では、夢とは、共有でき、潜入でき、創作できるものだ。ビジネスと犯罪の恰好のフィールドというわけである。

 主人公コブが、命懸けの仕事を引き受けるのは、成功と引き換えに愛する家族のもとへ帰るため。依頼主のサイトーが彼に課した仕事は、ライバル企業のオーナーの跡取り・ロバートに、自分で自分の会社を潰す考えを植えつけるというインセプションだ。成功すれば究極の完全犯罪である。物語は、日本、フランス、モロッコなど6ヶ国を舞台に壮大なスケールで展開する。コブは一流のチームを結成し、周到な計画を立て、現実そっくりの夢の中へロバートを誘いこむが、夢を守る訓練を受けたロバートの抵抗にあった上、最愛の妻モルがたびたび彼の前に立ち塞がった。通常、夢の中で死ぬと目覚めるが、強烈な薬で誘導された夢では、死ぬと潜在意識の虚無に落ちて廃人になる。コブたちは危険な夢の中で敵と激闘になり、事態は思わぬ方向へと発展してしまう。

 入り組んだ物語にはアクションとセンチメンタリズムが同居するが、主戦場となる夢の世界が多重構造というのが面白い。もともと偽造の夢の中、そこでの夢の中で見る夢となると、もはや壮大なだまし絵の世界に近い。瞬時に頭で理解しようとしても、混乱してしまうが、それぞれの世界でド派手なアクションが用意されているので、不思議とストレスは感じない。何しろビジュアルが驚異的なのだ。街が折れ曲がり、無重力で格闘すれば、空間が歪む。階層になった夢のルールで、数分が数年になれば時間が歪む。迷宮の中、コブ自身のトラウマと、意識の深層にある願いがあまりにも切ない。

 夢という無形で無限の素材を使い、犯罪、アクション、ラブストーリーまで組み合わせた前代未聞のこの映画、“邯鄲の夢”にも似た物語はなるほど複雑だが、思わず唸る面白さだ。コブの急所である妻との関係性が、物語を衝撃的なラストへと導いていく。チームの一人で夢の設計師の名前はアリアドネ。ギリシャ神話で、迷宮からの脱出に糸玉を使うことを教える女性の名だ。難問を解決する鍵“アリアドネの糸”は、本作では、現実に戻るために自分だけが感覚を知る小さな独楽(こま)。独楽は回り続けるのか、それとも止まるのか。見る人に解釈を委ねるラストが、いつまでも余韻となって残る。

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私の優しくない先輩 - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12528.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12528.html#comments Thu, 22 Jul 2010 16:00:53 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12528  主人公の自意識や妄想を過剰な演出で描く、いわゆるセカイ系青春映画は、アニメーション出身の監督のカラーが色濃く出ている。都会から小さな島に引っ越してきた女子高生のヤマコは、憧れの南先輩を遠くからみつめるだけで幸せ。告白もできずに妄想ばかりが膨らんでいたが、ずっと渡せずにいたラブレターの存在を、天敵の不破先輩に知られてしまう。おせっかいな不破先輩は無理やりヤマコの告白計画を打ち立て“夏祭りたこ焼き大作戦”がスタートすることに。地味な同級生のキクコをも巻き込んで、次第にその気になるヤマコだったが…。

 唐突に始まるミュージカルシーンや、アニメを交えたファンタジックな空想世界。これらはすべて主人公の脳内ワールドだ。冒頭から多用されるこの独特の世界に引いてしまうと、最後まで取り残されることになる。映画は、恋愛に対して夢見がちであると同時に、自分が優越感を持てる相手に対して計算高い行動を取るなど、10代の少女特有の矛盾を上手くつかみながら、ヒロインのヤマコの恋をコミカルに描いていく。ヤマコは心臓が悪いというハンデがあるが、悲壮感はほとんどないものの、どこか生きることに懐疑的だ。そのため、醜いものや嫌いなものを直視しない。その目を開かせるのがクサくて、キモくて、ウザい不破先輩だ。「おまえだってクサいんだよ。生きてるんだから当たり前だ!」と言われ、必死で否定しながらも、ついに勇気を持って現実を見ることから、ヤマコの恋は思わぬ方向へ転がっていく。理想と現実の違いは、ヤマコにとって汗をかくこと。あこがれの南先輩の本当の姿を見たときよりも、ずっとできなかったでんぐり返しが成功したときの方が、生きている実感を味わえたはずだ。山本寛監督の代表作「涼宮ハルヒ」のような独特の世界観を実写で作りだすのは無理というもの。とりあえずポップな青春映画として楽しんでほしい。お笑い芸人はんにゃの金田哲が高校生役というのは違和感があるが、川島海荷の、可愛いくてズルい、美少女ぶりが面白い。

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エアベンダー - 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12527.html http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12527.html#comments Thu, 22 Jul 2010 14:00:37 +0000 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/?p=12527  中国武術の達人のごとき流麗な体術で気を操る少年が、乱れた世界を正すために運命を受け入れる。その他にも土を操る部族や水を操る部族もなぜかその動きは中国風。彼らが一団となって修行に励む様は、少林寺を舞台にした数々の映画を彷彿させる。また、武装した軍団同士が激突する戦闘シーンでは、干戈を交えるものの血や肉が飛び散るリアルな残酷さとは程遠く、ほとんど死人が出ない。そもそも物語の世界観が曖昧で、若い主人公が信頼できる仲間とともに冒険を続けるうちに使命に目覚めるという、ある意味ありきたりな成長物語であるにもかかわらず、へんてこりんなカンフー映画を見た気分になる。しかし、その珍妙さもこれほどまで極めれば高尚なジョークように感じられ、結果として不思議な味わいを残す作品となった。

 気・水・土・火の4つの国が共存する時代、火の国が反乱を起こし、他国を隷属させようとしていた。そんな時、4つのエレメントを操る能力を持った気のベンダー・アンが水の国のカタラとサカの前で復活、アンは他の3つのエレメントを身につけるために土の国に向かう。

 早速土の国の村を火の国の兵士から解放したアンは、追われる身となり、罠にかかって捕らえられてしまう。その窮地を救うのが謎の仮面。彼の身のこなしは安手の米国製時代劇に出てくるニンジャそのもので、大勢の敵に囲まれた中でみせるカンフーとニンジャのコラボは、中途半端なコメディのような的を外したおかしさ漂っている。一方、アンがさまざまな秘術を繰り出して火の国の兵士を次々に倒していく場面では見せ方に工夫が見られるものの、どこかから拝借したアイデアの羅列。本来はクライマックスなのに、視覚効果ばかりに演出の重点が置かれ空疎な内容になってしまった。

 アンは火の国を追放になったズーコ王子にもつけ狙われている。火のベンダーでありながらアンと気持ちを通わせるこのズーコこそ、今後のキーパーソンになるのだろう。結局、ストーリーの結論は続編に持ち越されるのだが、はやくもラジー賞の予感がするこの作品に次はあるのだろうか。。。

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インセプション - 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12526.html http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12526.html#comments Thu, 22 Jul 2010 12:00:43 +0000 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/?p=12526  夢の中では夢こそがリアル。他人の潜在意識に侵入し、同じ夢をみることで秘密を盗み出す技術を生業にしている男が、ターゲットの頭の中にアイデアを植え付ける=インセプションに挑む。もはや夢と覚醒の境界線は曖昧になり、夢の中の夢の中の夢の中の夢という恐ろしく複雑で壮大な構成に、主人公が軸足を置いている現実でさえ夢なのではという疑問にさらされる。時間も空間も歪み重力さえなくなる夢の情景を描いた映像は細部にまでリアリティが宿り、圧倒的な情報量は視覚的表現の可能性のさらなる進化を実感させる。

 他人と夢を共有する特殊技能を持つコブは、大富豪・ロバートの記憶にある情報の植え付けを請け負う。仲間を募り計画を練り実行に移すが、ロバートは夢の侵入者に対する防御法を心得ていて思わぬ反撃にあう。

 コブにはモルという美しい妻がいたのだが、彼女はコブと夢のシェアした結果、夢の中の幸福を真実と信じ込むようになり、夢の中で気持ちだけ年老いた挙句自殺してしまう。モルの死がトラウマとして残るコブは、任務の途中たびたびモルに邪魔をされ、窮地に陥る。他者の夢をコントロールする男が、己の罪悪感に振り回される皮肉。家族と過ごした美しい思い出と後戻りできない人生、意識の深層に潜む「願い」が夢の展開を左右するのだ。

 結局、コブたちはロバートの意識の最深部に眠る「金庫」を開け、彼の「願い」を解放する。そこには偉大な父親の縮小コピーとして生きてきた彼への「自分の道を進め」という遺言が、子供のころ愛された写真とともに納められている。コブたちにインセププションされたのに、夢から覚めたロバートが晴れやかな表情なのは、心のしこりになっていた父との確執の原因が解明され進むべき道が明らかになったからだろう。一方で、「モルへの罪悪感」にとらわれてしまったコブも、二人の子供と再会する。それは、夢の中で死にかけている仲間を救うために自らの身を危険にさらしたコブが、モルの死に対する贖罪を果たしたと納得して作り出した「コマが回り続ける世界」。夢の中での状況や背景はあくまで客観世界の投影であるのに、そこでの出来事は潜在意識の発露であることを思い出させてくれる作品だった。

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借りぐらしのアリエッティ - 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12525.html http://www.cinemaonline.jp/review/ken/12525.html#comments Thu, 22 Jul 2010 10:00:14 +0000 福本次郎 http://www.cinemaonline.jp/?p=12525  床下から壁の隙間に入り、釘の階段を登ってロープを伝い食器棚の裏にある秘密の扉からキッチンに入る。ありふれた古い家の内部を動き回るのは小人たちにはスリルに満ちた大冒険。特に好奇心旺盛な少女にとって、人間の暮らしは刺激にあふれ目にするモノすべてが新しい。映画は閉じられた世界の住人が外界の人間と出会った時の恐れと驚き、そして心の交流を通じて、“信じること”とは何かを問う。サイズは人間の1/10以下なのに日々の生活は人間とかわらず、妖精のように空を飛べるわけでもなく魔法を使えるわけでもない、そんな彼らの日常に親しみを覚える。

 病気療養のために叔母の古い家にやってきた翔は庭で小人の少女を見かける。夜、父と共に“借り”に出たその少女・アリエッティは、ティッシュを取ろうとして翔に気づかれてしまう。

 ネコやカラスが危険な捕食動物になる小人から見た家の庭先。ガマガエルに食べられた親戚もいるらしい。しかし、最も危険なのは彼らと同じ言葉を話し同じ文化を持つ人間であるという皮肉。アリエッティには楽しい“借り”も、実は命がけの仕事であると父親は身をもって教える。また、人間に見られてはいけないという掟は一番大切なのだが、アリエッティは翔に会いに行く気持ちを抑えきれない。一方、病気がちな翔にしてみればアリエッティが初めて自分に興味を持ってくれた異性なのだろう。その、お互いに己の想いをうまく相手に伝えられないぎこちなさが初々しく微笑ましい。

 やがて、お手伝いのハルに見つかったアリエッティたちは叔母の家から出ていく羽目になる。別れの瞬間、アリエッティは翔の人差し指を抱きしめて胸の内を伝える。決して結ばれない種族を越えた愛、それは生きる希望を失いかけていた翔に手術を受けて病気に立ち向かう意思を与えることで結実する。映画としては劇的な場面は少なく展開も予想通りながら、メッセージ性を薄めて説教臭さが少なくなったのは好感が持てる。だが、この物語を受け入れるには幼児のような無垢な心が必要なのも確かだ。

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華麗なるアリバイ - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12524.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12524.html#comments Thu, 22 Jul 2010 08:00:44 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12524  アガサ・クリスティーらしい華麗なムードのミステリーだが、謎解きの快感やスリルより、犯罪の裏側にある複雑な愛憎劇が主流の物語だ。フランスの小さな村にある上院議員夫妻の邸宅に9人の男女が集まる。そのパーティには、何人もの女性と関係を持つ精神分析医のピエールと、その妻クレールが招待されていた。そこにピエールの現在の愛人や過去の火遊びの相手、復縁を迫る元恋人らが加わり、パーティの場は独特の緊張感が走る。翌日、一発の銃声が。プールサイドには撃たれて血を流すピエールと放心状態のクレールの姿があった…。

 原作は「ホロー荘の殺人」だが、名探偵ポアロを排除した舞台版がベースになっている。本作は、クリスティーの原作の中でも、推理小説というより一般小説に近いもの。もともとミステリーとしての訴求力の少ない作品なのだ。ゴージャスな雰囲気の中、上流階級の男女が起こす愛憎うずまく殺人事件は、フランス映画らしくユーモア交じりのゲームのよう。そのゲームを始める仕掛け人が、暇を持て余して、きまぐれ心を起こした邸宅の主の議員夫人である。事実、彼女の思いつきから、ピエールを取り巻く複数の女たちが一堂に会してしまう。その結果が、二つの殺人というわけだ。彼女の悪びれないふわふわしたキャラがこの映画のテイストを如実に表しているようで面白い。殺人事件の謎解きはあくまでライト感覚。全員に動機があるとはいっても、殺人に手を染めるほどの強い憎しみを持つ人物は限られるし、思わせぶりな登場人物を配しているだけで、人間描写に深みはない。ラストにはちょっぴりドキドキのアクションシーンも用意されているが、それもほんの一瞬の出来ごとで、迫力は皆無だ。とはいえ、愛と嫉妬はフランス映画の欠かせない小道具。記憶に障害を抱える老婦人の、すべてを達観したたたずまいが、事件を俯瞰する神の目のように見えるのが印象的である。ミステリーとしては不満が残るので、人間ドラマとして楽しむのが正しい観賞法だろう。

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小さな命が呼ぶとき - 町田敦夫 http://www.cinemaonline.jp/review/raku/12522.html http://www.cinemaonline.jp/review/raku/12522.html#comments Wed, 21 Jul 2010 16:00:15 +0000 町田敦夫 http://www.cinemaonline.jp/?p=12522  92年作品の『ロレンツォのオイル/命の詩』は、難病の息子を持つニック・ノルティとスーザン・サランドンの夫婦が、「まだ効果が証明されていない」と渋る医師を説得して新薬を試させるという物語だった。日本だったら「功名心にはやる医師が親の反対を押し切って新薬を試す」ということはあっても、その逆はあまり考えられないので、大いに文化の違いを感じたものだ。『小さな命が呼ぶとき』も、『ロレンツォ~』と同様、実話をもとにした物語。ただしこちらの父親は、我が子の治療薬を開発するためだけに、なんと製薬会社を作ってしまう。

 エリート・ビジネスマンのジョン(ブレンダン・フレイザー)は、8歳の娘と6歳の息子を難病のポンペ病に冒され、焦りを募らせる。ストーンヒルという学者(ハリソン・フォード)が有望な研究を行っていることを知ったジョンは、安定した職をなげうち、バイオ・テクノロジーのベンチャー企業を共同起業するのだが……。

 安直なお涙ちょうだい劇かと思いきや、新会社の設立→ベンチャー・キャピタルの獲得→大手製薬会社への身売り→そこでの主導権争いと、ジョンがロールプレイング・ゲームさながらに新薬開発を押し進める姿が興味を引く。経済小説というのはよくあるが、これはあまり見る機会のない「経済映画」。強い熱意と執念で時には患者の全国組織を立ち上げ、時には大会社の慣例まで変えていくジョンを、フレイザーは等身大に演じきった。

 対するストーンヒルは、研究者としては優秀ながら、プライドが高くて人づきあいがヘタ。年長のストーンヒルが大きな子どもで、年下のジョンが交渉術に長けた大人という、年齢とキャラクターの逆転現象が面白い。それでもオイシい役のオファーしか受けないフォードのこと。製作総指揮を兼務した本作では、「いいとこあるじゃん」と思わせる場面を随所に作り、ストーンヒルをちゃっかり儲け役に変えている。

 難病の娘のキャラがあまりカワイくないのが難点だが、あえてそこには目をつぶろう。なぜなら本作は、難病ものとしての側面よりも、バディ映画としての側面の方がずっと魅力的だから。片や我が子の命、片や研究資金を求めて運命共同体となったジョンとストーンヒルが、互いに譲れないゴールを目指して二人三脚で突っ走る。もちろん二人三脚だから転倒も不可避。2人の関係がどれほど事実に即したものなのかは知る由もないが、脚本のロバート・ネルソン・ジェイコブスは少なくともいい「ドラマ」を書いた。

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ゾンビランド - 町田敦夫 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12521.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12521.html#comments Wed, 21 Jul 2010 14:00:18 +0000 町田敦夫 http://www.cinemaonline.jp/?p=12521  映画ライターがどんな映画でも観るかというと、決してそんなことはないわけで、たとえば私はホラーは観ない。理由は簡単、夜ひとりでトイレに行けなくなっちゃうから。今回はそんな恐がりでも安心して観にいけるゾンビ映画をご紹介しよう。何たってこれ、登場人物が不気味なゾンビに食い殺される不健全な映画ではなく、登場人物がゾンビをジャンジャンぶっ殺していく健全な(?)作品。おまけにアクションあり、ロマンスあり、胸を打たれるシーンありの痛快コメディなのですよ。

 舞台はすでに人類の大半が人食いゾンビとなった世界。さえない大学生のコロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、「トイレに用心」「後部座席を確認しろ」といった「生き残るための32のルール」を作って、どうにか命をつないできた。親元に戻ろうとしたコロンバスは、旅の途中でタフガイのタラハシー(ウディ・ハレルソン)や、詐欺師の姉妹と出会い、ゾンビがいないという噂の遊園地をともに目指すのだが……。

 オープニングの段階から、つかみは上々。「二度撃ちしてとどめを刺せ」「シートベルトをしろ」といった「生き残るためのルール」が、ユーモアとサスペンスを交えた実例で紹介される。本作のゾンビも、動きの鈍いリビングデッドではなく、最近はやりのウイルス感染型ゾンビ。当然、全力疾走もオーケーなので、ルールその1は「有酸素運動で鍛えろ」ということになる。感染の拡大期に「まず太めが食われた」というコロンバスのモノローグには、多くのアメリカ人が爆笑し、続いて頭をかいただろう。

 ルーベン・フライシャー監督が「これはゾンビが出てくる『ミッドナイト・ラン』だ」と語るとおり、コロンバスとタラハシーの迷コンビぶりが実にケッサク。引きこもりのコロンバスとゾンビ退治に燃えるタラハシーではどう見ても水と油だが、年齢も性格も違う男ふたりが、次第に義兄弟的な友情を結んでいく描写がいい。

 詐欺師の姉のウィチタを演じたエマ・ストーンは、いかにも男を手玉に取りそうなエロい顔だち。妹のリトルロックには名子役のアビゲイル・ブレスリンが出演を快諾し、「彼女が(こんなゾンビ映画に)出るわけがないから、彼女に似た人を探していた」というフライシャー監督を喜ばせた。ちなみに登場人物の役名がみんなアメリカの地方都市の名前なのは、初めは互いに不信感を抱いていた彼らが本名を名乗るのを避けたためだ。

 それにしても、この題材を単なる悪趣味なスプラッター映画や、寒いギャグ映画に終わらせないフライシャーの力量には恐れいる。タフなタラハシーが心の奥に抱えた傷や、小悪魔ウィチタの意外に妹思いな一面を見ているうちに、こちらもすっかり彼らの旅の道連れだ。人と関わらずに(しかもある意味、それが賢いことだと思って)生きてきたコロンバスが、ルールのひとつを破ってウィチタのために命を張る大詰めには、図らずも胸が熱くなった。

 遊園地でゾンビの群れに囲まれた4人が、メリーゴーランド、ジェットコースターなどの遊具を使ってゾンビを倒していくアクションは最高の見せ場。3Dで続編が作られる企画もあるようなので、この第1作からしっかりチェックしておきたい。

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おのぼり物語 - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12519.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12519.html#comments Wed, 21 Jul 2010 12:00:55 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12519  夢に向かってゆる~く頑張る若者の姿がリアルだ。気合は感じないが譲れない一線があるところがいい。マンガ家を目指して故郷の大阪から無計画に上京した29歳の聡。なんとかみつけたおんぼろアパートで、クセのある住人たちとともに、貧しくも楽しい生活が始まった。だが唯一連載していた雑誌が休刊に。ただの無職の男になって途方にくれる聡は、仕事が上手くいかず大阪に戻ろうかと悩むが、その矢先に父親がガンで入院したことを知る…。

 職もなく金もなくコネもないが、夢はある。マンガ家に限らず、才能勝負の世界で頑張るには、自分を信じ続けるしかないのだ。主人公の年齢が29歳というビミョーなところが上手い。夢をあきらめるには早すぎるが、不安定な仕事ではなく堅実な職業につこうとするなら今がギリギリの境界線。聡の揺れ動く心を鏡のように写すのが嘘つきの同級生の野島だ。彼女はカメラマンを志しながらいまだに芽が出ないアシスタント。才能がないことは自分も周囲も知っているが、そんな彼女をバカにする人間を、聡は許せない。それは本当にマンガ家としてやっていけるのかと不安を抱える自分を否定されるのと同じだからだ。年齢、才能、家族。悩みはあっても、聡は結局、絵を描くことが大好きなのだと改めて気付く。いいかげんで冷たいようで面倒見がいい編集者に「僕は自分のマンガが面白くないなんて思ってないです」と、ようやく、でも、きっぱりと言う場面は、見ているこちらも胸がすく思いだ。カラスヤサトシはコミック作家だそうだが、自伝的なこの映画を見る限り、本人はいたって真面目なおとなしい青年。むしろ彼の周囲にヘンテコな人が集まってきている印象だ。草は柔らかく弱々しいが、暴風でポキリと折れる大木とは違い、どんな嵐の後でもゆっくりと起き上がる。この主人公の“強さ”は、弱い自分を信じてやれる心にあるような気がした。主演の井上芳雄はミュージカル界の俳優。長編映画単独初主演だが、舞台俳優特有の大仰さがなくナチュラルな演技が良かった。

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インセプション - 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12518.html http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12518.html#comments Wed, 21 Jul 2010 10:00:01 +0000 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/?p=12518  どんな分野であろうと、すべてを知っている人間などいない。つまりは、誰もがあらゆる物事を、不十分、不完全にしか知らないということだ。だからすべてを把握し、忠実だと思っていた奥さんが隣の大学生と浮気していたとしても、あなたはショックを受ける必要などない。

 そんな何の気休めにもならない事を書いてもしょうがないわけだが、そもそも「知らない方が幸せなのでは?」と感じる局面は、だれでも一度くらい経験したことがあるはずだ。

 たとえば、日本経済の問題点を調べていけば借金の総額に誰もが唖然とする。だがより調べればそれが財務省による数字のトリックで、まだまだ挽回可能なものであることも同時にわかるだろう。ただし、より興味を持って追求していけば、そんな解決策を採用する政治はこの国にもう存在せず、もはや大増税の暗い未来しか事実上存在しないことを知ることになる。

 こんないやな気持ちになるくらいだったら、国や経済の事など最初から考えず、隣の大学生をどう口説くかだけ考えて暮らしていたほうが、よっぽど幸せなのではないか。そう思ったとしても無理は無い(重要な註・私の体験談ではありません)。

 現実と非現実の境界。真実(と信ずるもの)を知ったほうが幸せなのか否か。そんなややこしい哲学的問題を描く『インセプション』は、映画の内容もかなり複雑。監督のクリストファー・ノーラン(「ダークナイト」ほか)ではなく、主演のレオナルド・ディカプリオ&渡辺謙の名前に惹かれた人。あるいは予告編の大迫力スペクタクル映像を見たくて映画館に出かけた人は、この映画の前ではあまりにも無防備。

 『インセプション』は本来、前日には十分な休養をとり、ワンシーン、ひとつの台詞たりとも見逃さない覚悟で、3回くらいは見ないと作品の真意を理解するには至らないであろう、重厚な作品である。

 他人の夢から深層心理に侵入し、アイデアの段階で企業秘密を盗み出す企業スパイ、コブ(レオナルド・ディカプリオ)。名実ともに業界ナンバーワンの腕を持つ彼とそのチームは、しかし大企業の経営者サイトー(渡辺謙)への侵入中、本人の強力な精神的抵抗の前に敗れ去る。だがそれは、最初からサイトーが仕組んだ「テスト」であった。類まれな能力を認められたコブは、サイトーからかつてない難解なミッションを依頼される。

 まず冒頭から感じるのは、編集が不親切設計で、その結果、作品世界のルールがきわめてわかりにくいということ。これは現実と非現実の境界をあいまいにするための意図的な演出だろうが、何の予備知識も無い場合、かなりの混乱が予想される。

 さらに「マトリックス」シリーズを見ている人などは余計な先入観がさらなる混乱の元になる。両者は一見似てはいるが、実はかなり根本的な部分で「ルール」が異なる。

 最低限の助言をしておくと、この作品における夢の世界を、対象個人の脳に侵入するようなイメージで捉えてはいけない。レオさまはじめ精鋭チームが侵入するターゲットの「夢」は、しかしそのターゲットの脳内だけにある要素で作られているわけではない。エレン・ペイジ演じる「デザイナー」は侵入先の夢の世界を(外部から)細かくデザインできるし、ほかにも姿かたちを自由に変えられる能力を持つ男などが存在する。対象の脳内にいるはずのない(ターゲットが一度も会ったことの無い)登場人物が出てきて、主人公を悩ませる場面も頻繁に出てくる。

 ようするに、ここでいう夢はパソコンでいう共有フォルダのようなもの。本人も、侵入者たちも、互いに影響を与え合うことができるルールになっている。ユング心理学でいう、集合的無意識の共通、の概念をモチーフにしているのかなと思うが、私にとっては専門外なので詳しい方の解説を待ちたい。そうした教養のある方にとっては、きっと見ごたえがある作品であろうと予想する。

 くせのある編集は最後まで続くが、とくにクライマックスではサイトーと主人公が絡む「あるべきはずのシークエンス」が100%カットされており、それがラストショットの絶妙な切り方へとつながる。ノーラン監督は、あえて解釈が真っ二つに分かれるように本作を作った。正解は出しませんから、さあ存分に議論してくださいというわけだ。

 主人公に重要な影響を与える妻(マリオン・コティヤール)についても言いたいことはあるが、どう考えてもネタバレになりそうなので遠慮しておきたい。

 映像面での見せ場は、さすがに馬鹿みたいな金をかけているので豊富にある。予告編にでてくる、世界が折れ曲がるようなシーンもいいが、個人的に面白かったのは無重力状態における格闘シーン。相当な想像力がないと、こういう場面を撮る事はできまい。大いに感心させられた。

 上映時間も長く、作品の全貌を掴みきれたとは思えぬ現段階での満足度をあえていうならこのくらいの点数。凄いものを作ったものだと頭では理解できるものの、感情に響くものは少なく、改めて鑑賞したいという欲求はあまり起こらなかった。

 信じたいものだけを信じたい。余計なことは知らないほうが幸せ。この映画の評価が異様に高い現状を見ると、今のアメリカ人はそんなふうに弱気になっているのだろうかと、じつに興味深く思えてくる。

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ゾンビランド - 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12517.html http://www.cinemaonline.jp/review/geki/12517.html#comments Wed, 21 Jul 2010 08:00:16 +0000 前田有一 http://www.cinemaonline.jp/?p=12517  ゾンビ映画といえば、娯楽映画のド定番。予算の大小にかかわらず面白いものが作れるし、コメディから恋愛、アクション、サスペンス、セクシー、そしてもちろんホラーと、どんなジャンルの要素も包み込む懐の深さがある。これはもう、ホラーではなく「ゾンビ」というジャンルで捉えたほうがよほどわかりやすい。

 そんなわけで古今東西、数え切れぬほどのゾンビ映画が作られてきたが、そんな激しい競争の中で「史上最大のヒット」の快挙を達成したのが『ゾンビランド』。

 これは考えてみたら大変なニュースである。なにしろこの最新ゾンビ映画は、3Dでもなければ超一流のスターが出ているわけでもない。このジャンルの王道といってもいい「オタク監督」とは正反対の、「これまでゾンビ映画なんて見たことも無い」などと語るルーベン・フライシャー監督による万人向けの作品である。しかもベースはコメディーかつロードムービーという、異色作というから驚きだ。

 ゾンビウィルスにより、ほとんどすべての人間がゾンビ化してしまったアメリカ合衆国。テキサス州の引きこもり学生コロンバス(ジェシー・アイゼンバーグ)は、臆病で慎重な性格と、ネットゲームで鍛えた反射神経、そして自らに課した「生き残るための32のルール」なる規則により、なんとか生き延びていた。やがて彼は、どこかキレたあぶないマッチョオヤジのタラハシー(ウディ・ハレルソン)と出会い、ゾンビをぶちころしながら目的地へとドライブを続けてゆく。

 途中でくせのある美少女も合流し、幸せの黄色いハンカチよろしく不恰好なこのパーティーは旅を続ける。旅の終わりにハンカチが飾られることは無論ない。

 ゾンビコメディ映画『ゾンビランド』のいいところは、マニアックなネタに走らず、比較的わかりやすい笑いでまとめたところか。非オタ監督の面目躍如といったところだが、かといっておふざけ無しというわけでもない。アメリカ映画ファンには、ちょっとしたサプライズゲストも登場する。ただそれでも、独りよがりの趣味に走らず、観客第一のコンセプトを貫いたところに好感を持てる。

 たとえば、屈強な米兵が全滅して、引きこもりのゲームオタクが生き残るという設定からしてシャレがきいている。この映画で活躍する「人間」は、童貞オタクにテキサスおやじに詐欺師の女。見るからに社会不適格なダメ人間ばかりである。

 しかもこれらのキャラ立てが巧みで、初見は「なんか嫌な奴」とマイナス感情を抱くように登場させ、その先入観を裏切るエピソードをちりばめていく心憎いつくり。映画がクライマックスを迎えるころには、観客はこのデコボコ集団に完全に感情移入し、心から応援することになる。

 その遊園地におけるゾンビ軍団との戦いは、決して特別な映像的見せ場があるわけではないが、そこまでのドラマの積み重ねで人間が描けているため、この上なく盛り上がる。中でも、ただのバカなオッサンかと思っていたウディ・ハレルソン演じるタラハシーが、尋常ではない数を相手にした悲壮なる戦いを繰り広げる場面は大変な感動を呼ぶ。

 ゾンビ映画初心者といいながらこの監督は相当研究を重ねたようで、適度なフラグ切りともいうべき変化球を織り交ぜ、ゾンビ映画フリークをもうならせる。

 最後の人類となった負け犬軍団が、そのしぶとさ、往生際の悪さでゾンビの国をたくましく闊歩する痛快ムービー。くえないその性格が、妙に頼もしい。オタクといけてる美少女の恋という、最近の流行もおさえた堅実さ、器用さも覗かせる。

 これならナンバーワンヒットも納得。地味にみえて小技の聞いた、観客重視、鑑賞後感最高の、まさに万人にすすめられる新感覚ゾンビエンタテイメントである。だまされたと思ってごらんあれ。

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シュアリー・サムデイ - 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12516.html http://www.cinemaonline.jp/review/kou/12516.html#comments Tue, 20 Jul 2010 20:00:16 +0000 渡まち子 http://www.cinemaonline.jp/?p=12516  人気俳優の小栗旬の初監督作品は、彼の人脈をいかしたキャストのイキの良さが伝わる青春ムービーだ。過去の悪ふざけのツケで目標のない毎日を生きている若者たちが、冴えない人生を変えようと暴走する。タクミら5人の高校生は、バンドを組み文化祭に向けて練習していたのに、文化祭が中止になると知り激怒。抗議するために狂言の爆破事件を予告するが、手違いで本当に爆発が起きてしまう。それから3年、学校を退学になった彼らは、自分たちが起こした事件が引き金で、親しかった人の人生が大きく狂ってしまったことを知る…。

 俳優が初監督するというと、どうしても懐疑的になってしまうのだが、本作は、若さゆえの無謀と情熱を感じる青春映画として見れば、荒削りながら、そこそこ楽しめる。出演者は小栗旬が過去に共演した俳優仲間総出演といった趣で、チョイ役まで豪華な面々。特に、まっすぐなキャラがピタリとハマる小出恵介を主演に据えのが良かった。事件は、バラバラになってしまったバンド仲間の一人で、今はヤクザ稼業のカズオが謎の女に組の資金3億円を奪われたことから始まる。その女はタクミが少年の頃に一度だけ会ったことがある、風俗店の心優しい美女だった。元刑事のタクミの父が追っていた過去の事件、狂言爆破の思いがけない波紋、バラバラなようでいてしっかりつながっている友情と、内容は盛りだくさん。そのため後半は散漫になってしまうのが惜しいが、スピード感は最後までキープしている。もっともヤクザの親分の描写は少々ヒネリすぎで、街中でのチェイスの末に、公衆の面前での暴力沙汰など、リアリティに欠ける部分も。小西真奈美以外の女性キャストの演出なども、まるで素人同然だ。ただ、話の軸は、たとえカッコ悪くても必死に生きる5人の若者たちの情熱。主人公タクミの、今度こそ愛する人を守りたいという熱い思いが、再生のきっかけになる物語の後味は悪くない。

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