◆崖っぷちのカントリーシンガーが再起を図る(65点)
俳優としても活躍するスコット・クーパーの映画監督デビュー作『クレイジー・ハート(原題:CRAZY HEART)』。低予算の非常に小さな映画でありながらも、演技派の俳優たちが集い、彼らの技が物語の中で絶妙に映える。本作はアメリカ南西部の広大な自然を背景に、老年期に差し掛かろうとしているジェフ・ブリッジス扮するカントリーシンガーのミュージシャンとして、そして男としての葛藤を丁寧に描きだす。
57歳のバッド・ブレイク(ジェフ・ブリッジス)は才能があるにも関わらず、長年くすぶり続けているアーティスト。結婚にも失敗し、どこかに音信不通の息子がいる。そんな彼は、モーテルに宿を取り、いつも同情してくれるバー・オーナーのウェイン(ロバート・デュバル)と時々会話をし、ボーリング場やバーで地元のバンドと組みギグを行いながら音楽活動を続けている。その姿は地元のレスリング場を渡り歩き銭を稼ぎ、疎遠の娘を思いながらトレーラーハウスで生活する『レスラー』の孤独なランディとどことなくシンクロする。
いわゆる初老と呼ばれる年頃になってもその日暮らしのバッド。酒を買う金すら無く、乗ってる車はポンコツ。しかし、彼のカリスマ性は体から滲み出ており、よれよれのシャツに、ボロジーンズ、ウェスタンハットにブーツを身に付けた髭面のおやじがギターを弾き歌うと、なぜかやはり魅力的で、女たちはメロメロになり、ギグの次の朝には誰かが彼の隣で寝ている。
ミュージシャンには酒がよく似合う。バッドも酒を喰らってる姿が様になっているが、彼は酒に呪われているとでも言おうか、酒によってトラブルを起こしてしまう事も少なくない。ギグの前にもベロベロに酔っぱらい、知り合ったシングルマザーのジャーナリストのジーン(マギー・ギレンホール)とは新しい人生を歩むために、彼女と少しずつ信頼を築いていくが、酒が原因でその信頼関係にもヒビが。自分で自分をコントロール出来ない、まさに破綻的な男がバッドなのだ。
カントリーミュージックではしばしば、歌詞の中で「失ったもの」について語られる事がある。 自分が自分であるがゆえに結婚や名声など多くのものを失ってきたバッド。 そんな彼が歌うT・ボーン・バーネット(『オー・ブラザー!』)の手掛けた曲たちがバッド・ブレイクという実在しない人物と密接に関連し、その人物像をはっきりと形作ってゆく。また、近年ではコミカルなキャラクターを演じる事が多かったジェフ・ブリッジスが、本作では崖っぷちシンガーの荒っぽいが愛嬌ある性格を見事体現し、彼の俳優としての才能が改めて示された。
『レスラー』のランディ同様、バッド・ブレイクも一時は人気があった。ハンク・ウィリアムズ等の音楽に影響を受け開花した彼の才能に惚れ込み、バッドを師匠として慕うのが、コリン・ファレル扮するトミー・スウィート。彼はアリーナ級のコンサート会場を埋める事の出来るスターにも関わらず、師匠への恩を忘れずバッドにもどうにか再び表舞台に立って欲しいと願う義理堅い男。しかし、彼がバッドと関われば関わる程、バッドは今をときめくスターの影に隠れてしまう。
プライドが許さず始めはトミーのコンサートへの前座出演を断っていたバッド。そんな彼を変えたのは、愛するジーンというよりは、まさに崖っぷちに自分を追いつめた彼自身。戦い続けた挙げ句に落ちるとこまで落ちてしまったバッドだが、ラストに見る彼の姿は、それまでの疲れきった男のそれではなく、どこか清々しさすら感じさせる。
(岡本太陽)