◆これぞグラインドハウス・ムービー。千葉真一がスプラッター空手を披露する。B級映画の面白さがいっぱいに詰まった作品(80点)
千葉真一の「殺人拳」シリーズ第一弾。千葉が演じるキャラクターは悪に近い。志穂美悦子をヤクザに売り飛ばしてしまうし、石油王の娘のボディガードをしながら、その財産も狙う。ただやたらに強くて、残酷。目玉を指で突き刺し、金的を握りつぶして引きちぎり、のどを引きちぎり、頭蓋骨を砕き・・・と、アクションにブルース・リーほどのキレがない分、スプラッター描写が見ものだ。
◆これぞグラインドハウス・ムービー。千葉真一がスプラッター空手を披露する。B級映画の面白さがいっぱいに詰まった作品(80点)
千葉真一の「殺人拳」シリーズ第一弾。千葉が演じるキャラクターは悪に近い。志穂美悦子をヤクザに売り飛ばしてしまうし、石油王の娘のボディガードをしながら、その財産も狙う。ただやたらに強くて、残酷。目玉を指で突き刺し、金的を握りつぶして引きちぎり、のどを引きちぎり、頭蓋骨を砕き・・・と、アクションにブルース・リーほどのキレがない分、スプラッター描写が見ものだ。
◆映画の面白さが全て詰まった傑作。私にとっての映画の教科書(92点)
この作品は、とても思い出深い。私が(親や友達と一緒でなく、)初めて一人で劇場へ行って見た映画なのだ。小学校3年生のときだったと思う。当時、映画館は不良なども集まる怖い場所で、一人で見に行くのは不安だったが、その不安以上に、見たい気持ちが大きかった。この映画を見て、映画が大好きになった。それ以来、ずっと映画ばかり見ている。そんな人生は世間の役には全く立たないが、自分なりに幸せといえるかも知れない。
◆通俗に徹することで通俗を超えた堂々たる作品。JAL再編問題に直面している今、本作を作る意味も、見る意味も十分にあるだろう(83点)
「通俗的」というと、悪いことのように思えるが、広辞苑では1番目の意味に、「一般向きであること。誰にも分かりやすいこと」とある。本来、一般向きで分かりやすいことが悪い筈はない。
◆英国の女流作家ジェイン・オースティンの、若き日の恋を描く。英国の田舎を表現した風景が美しく、衣装や美術が見事。アン・ハサウェイも好演していて素直に楽しめる作品(78点)
ジェイン・オースティン(1775-1817)は「高慢と偏見」「エマ」などの恋愛小説で知られるイギリスの女流作家だ。生涯を独身で過ごしたが、その若い頃の「道ならぬ恋」をアン・ハサウェイ主演で描いたのが本作だ。
◆ヒッチコックやデ・パルマを思わせるサスペンス描写、二転三転するストーリー、俳優たちのリアルな演技が見事なポン・ジュノ監督の傑作。殺人事件を通して、韓国社会の闇が浮かび上がってくる(92点)
冒頭、野原のような場所で、「母」役のキム・ヘジャが音楽に合わせ踊り始める。ここで少し嫌な気持ちになってしまった。芸術ぶった奇妙な描写が続く空疎な作品なのでは、という予感がしたのだ。ところが予感はいい方に裏切られる。空疎どころか、消化しきれないほどに内容がぎっしりと詰まっていた。
◆異形の愛を描いた傑作。多くの人に、是非とも見て欲しい(93点)
これは間違いなく傑作だ。異形の愛を描いて、愛の純粋さや真実に迫ろうとしている。その姿勢は極めてストイックだ。
◆米映画「サイドウェイ」を日本人キャストでリメーク。四人の主人公たちを日本人に変えたことで、オリジナルよりもしっくりと来る作品になった(75点)
アカデミー賞で5部門の候補となり、脚色賞を受賞した米映画「サイドウェイ」を、舞台は同じ米カリフォルニアで、日本人キャストでリメークした作品。あのいかにもアメリカ的な映画を、主要な登場人物だけ日本人に替えてリメークするという、非常に変わった企画で、何の意味があるのだろうかと思ったが、これが意外に面白かった。オリジナルで共感できなかった部分がちゃんと共感できるように直されていて、外国人スタッフが作ったにもかかわらず、日本人が見て違和感がないばかりか、日本映画らしい作品になっている。監督のチェリン・グラックが日本で生まれて高校まで育ち、日本人の感覚を分かっているからだろう。多くの日本人にとっては、オリジナルよりも本作の方がしっくりとくるだろう。
◆「誰かの代わりになる」ことをテーマに運転代行業を営む家族とその周囲を淡々と描く人間ドラマ。新人・山口智の監督・脚本で、山田辰夫はこれが最後の主演作となった(62点)
ショートショートフィルムフェスティバル日本部門でグランプリを受賞した山口智が脚本・監督を務めた人間ドラマ。今年(2009年)7月に死去した山田辰夫にとって、最後の主演作となった。
◆ケイト・ベッキンセールの魅力を堪能できるサスペンス。寒さが「凶器」として描かれているのが面白いが、犯人捜しのサスペンスが弱い(68点)
ホワイトアウトとは、吹雪などですぐ目の前も見えなくなる現象をいう。「南極料理人」と同じ南極の観測基地が舞台で、織田裕二主演の角川映画と同じタイトル。だが、両作とはもちろん無関係だし、まるでムードが違う。人間不信がテーマのサスペンスだ。
◆実存主義者クリント・イーストウッドが到達した一つの頂点。「ダーティーハリー」と「ラスト・シューティスト」を意識しつつ、米国の正義を個人の行動によってアクロバティックに取り戻そうとした傑作(97点)
本作には二つの「懺悔」の場面がある。一つは、教会での神への懺悔だ。頑固爺さんウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は、神など全く信じていない。神父への問いかけにはシニカルに答えて本心を明かさない。それが、最後に敵のアジトに行く前に、少年の前で本当の懺悔をする。コワルスキーと少年とを隔てる鉄の扉が、懺悔室の小窓のように見える。
◆タランティーノらしい、映画愛に満ちた映画至上主義の映画。キャラクターが魅力的で、すべての場面に緊張感がある(91点)
本作のテーマが「映画愛」であることは、誰の目にも明らかだ。映画館を舞台に「映画館作戦」が実行される。ナチスは映画をプロパガンダの武器にしようと、プレミア上映会を開催。その上映会で、ナチスへの復讐の武器となるのはフィルムなのである。最後は映画が歴史すらも変えてしまう。どこまでも映画至上主義の作品だ。
◆「スパイダーマン」シリーズのサム・ライミのホラー・コメディー。「エクソシスト」と「キューティ・ブロンド」が共存しているような面白さ(81点)
「ラブコメ」というジャンルがあるが、ホラーにはホラー・コメディー、つまり「ホラコメ」とでも呼びたいものがある。残酷だが笑えるスプラッター映画とはちょっと違い、もう少しコメディー寄りの映画だ。本作の監督サム・ライミでいえば、「死霊のはらわた」(1983)はスプラッターだが、「XYZマーダーズ」(1985)はホラコメだろう。スプラッターは常に笑えるわけではない。もし笑えるとしたら、描写の過激さがリアリズムを突き抜けて笑いとなる。つまり、恐怖と笑いは表裏一体なのだが、ホラコメではホラー(的な要素)とコメディー(的な要素)が一体化しないまま共存している。無論、厳密な分類は不可能だし、分類しても意味はないが、大体そんな印象を持っている。
◆押井守監督のマニアックな世界だが、3人の女優の魅力は楽しめる(66点)
押井守監督の世界は非常にマニアックで、なかなか理解が難しい。押井作品には熱狂的なファンがいる一方で、今ひとつメジャーになりきれないのも、そのせいだろう。「スカイ・クロラ」ではその殻を破って、より広い観客層に向かって物語を紡いでいたが、本作では再び自らの世界に閉じこもってしまった印象がある。
◆夫婦間にありがちな様々な問題を巧みに取り入れた脚本がよく出来ている。エスター役のイザベル・ファーマンの怪演が最大の見どころ(80点)
洗面台の鏡が収納スペースの扉になっているタイプがある。中には大抵、薬が入っている。主人公の女性が薬を取り出し、扉を閉めたとする。そのとき、鏡に何が映っているだろうか?
◆ファイナル・デスティネーション・シリーズ第4弾。サーキット場での事故をデジタル3Dで描く。アトラクション・ムービーとしては最高に楽しめた(80点)
大事故で死ぬはずだった人々が、「死の運命」に襲われるファイナル・デスティネーション・シリーズの第4弾。飛行機事故、ハイウエイでの事故、ジェットコースターの事故に続き、今度はレース場での事故を、デジタル3Dで描く。監督は2作目と同じデヴィッド・R・エリス。