映画批評なら映画ジャッジ! » 通映画批評 http://www.cinemaonline.jp 最新映画の批評が満載!批評家による映画批評を参考にされて、良い映画を見て頂く為のサイトです。 Fri, 30 Jul 2010 23:46:30 +0000 http://wordpress.org/?v=2.9 ja hourly 1 ボローニャの夕暮れ - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12256.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12256.html#comments Tue, 22 Jun 2010 20:00:38 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12256  ボローニャはイタリア北部。長靴でいえば、脚の付根の下ぐらいか。井上ひさしが「ボローニャ紀行」で書いた、職人の町、庶民の町だ。スパゲッティー・ボロネーゼは、ボローニャ風スパゲッティーの意味。日本ではミートソース・スパゲッティーの方が一般的だろう。ボロネーゼとミートソースは別物という説もあるが、トマトの量が違うくらいである(と理解している)。

 本作はタイトル通り、第2次世界大戦下のボローニャが舞台だ。平凡な教師と、美人の妻、17歳の娘。一家の運命が、女子高生の殺人事件をきっかけに大きく変わっていく。

 ハイデガーの哲学は難解で歯が立たないのだが、時間性についての考察だけは、非常に胸を打つ。ハイデガーは、時間は過去、現在、未来が同列ではなく、常に現在から、過去や未来の意味を与え直すことが出来る、というようなことを語っている。過去も未来も、現在から捉え直すことが出来るとしたら、人間はどんなに惨めな人生を送っていても、一瞬で自分の人生を肯定出来る可能性を持っているということだろう。

 ハイデガーを思い出したのは、本作のラストに、主人公たち一家がそのように、過去と未来を取り戻す、奇跡的な瞬間が訪れるからだ。

 運命にも時代にも翻弄され続ける主人公は、映画の最後に、すべてを受け入れることで、過去も未来も取り戻す。それが家族の再生として、見事に描かれている。

 未来に重きを置きすぎるハイデガーの時間論は、結果的にナチズムに利用されてしまった面も否定出来ない。だが、本作では、個人としてムッソリーニのファシズムを乗り超え、戦後イタリアの未来を開く希望になっているのが、とても感動的なのだ。

 セピア色の画面の中、第2次世界大戦中のイタリア庶民の暮らしが、実に丁寧に、ドラマチックに描写されている。役者たちもいい。教師役のシルヴィオ・オルランドは、表情に暮らしの澱が染み付いているようだし、妻役のフランチェスカ・ネリは、そこから少し逸脱した中年女のエロチシズムを感じさせる。アルバ・ロルヴァケルの思春期の狂気も素晴らしい。

 ハイデガーとともに思い出したのが、森一生監督、勝新太郎、田宮二郎主演の「新悪名」(1962)だ。ストーリーはまるで違うが、主人公が第2次世界大戦を経て、以前の妻に会うという部分が同じなのだ。「新悪名」の主人公でヤクザの朝吉は、妻とやり直すことが出来ず、心に喪失感を抱えたまま生きることになる。もちろん、教師とヤクザの違いはあるが、実はもっと深いところに、原因があるような気がする。同じ戦争の負け組でありながら、一方は家族の再生を果たし、もう一方が果たせなかったのは、ムッソリーニのファシズムと、天皇制と、両者に対する、国民の受け入れ方の違いなのではないか。我々は未だ、現在から過去を捉え直すことが出来ず、自己を投企出来ていないのかも知れない。

 そんないろんなことを考えさせるが、少しも難解な映画ではない。プーピ・アヴァーティ監督の演出は娯楽色豊かで、むしろエンタティンメントとしてよく出来ている。女子高生殺人事件をめぐるサスペンス、意外な犯人とその動機。娘や妻の性。戦争によって次第に壊されていく日常。それらがボロネーゼソースのように混じり合い、酸味も甘みも苦みも旨みも、様々に感じさせてくれるのである。オルランドは本作で、ベネチア国際映画祭の主演男優賞を受賞している。

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さんかく - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12254.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12254.html#comments Tue, 22 Jun 2010 18:00:44 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12254  「さんかく」は男女の三角関係である。釣具店のアルバイト店員で30歳の百瀬(高岡蒼甫)と、同棲している恋人・佳代(田畑智子)のアパートに、夏休みを利用して、佳代の妹、桃(小野恵令奈)が転がり込んでくる。中学3年生で15歳だが、体は大人の桃は、無防備に振る舞い、百瀬をドキドキさせる。やがて、百瀬は桃に夢中になり、佳代と別れる。納得のいかない佳代は百瀬のストーカーとなり、百瀬は桃のストーカーとなっていく。

 「純喫茶磯辺」の吉田恵輔監督は、この3人を、とことんダメな人間として描いている。百瀬は自分の似顔絵を愛車にペイントし、桃を相手に昔の喧嘩を自慢するという、絵に描いたようなダメ男ぶり。30になってもアルバイト店員で、後輩に偉そうに振舞うので嫌われているが、それに気づいてもいない。桃が電話に出なくても、延々と携帯に留守番電話を入れ続ける。佳代は友人からマルチ商法に誘われても疑わず、百瀬が出て行くと、嫌われても延々と後を追い、自殺まで企てる。桃は利己的で、15歳にして女のズルさが身に付いている。

 3人とも、どうしようもなくダメな感じがするのは、それだけリアルで、見ている方が身につまされるからだ。まるで自分のことを見ているような気がするのである。恋愛において、こういうダメな関係は常にある。というよりも、普通の恋愛は、ダメな関係とイコールそのものだろう。

 電話に出ない桃に怒り、叫ぶ百瀬。一方の佳代は、百瀬の留守中に部屋に忍び込み、気づかれない程度に掃除をしたり、冷蔵庫の中身を補充したりする。桃は東京にいる憧れの先輩を誘うが、名前も覚えてもらえず、振られたにもかかわらず、バイト先まで押しかけ、遠くからじっと見ている。実にみっともない場面ばかりだが、誰もが思い当たるみっともなさだと思う。高岡蒼甫と田畑智子、そしてAKB48の小野恵令奈が好演している。特に小野恵令奈の、演技と感じさせない自然さに感心した。舌足らずの話し方が役にぴったりだ。

 この映画は観客にとって、リトマス試験紙にもなるかも知れない。3人のうち、誰に最も共感出来るかで、自分の性格が分かると思う。いわば、「さんかく占い」として楽しめる。3人とも共感出来ない、というのは無し。誰かを選んでもらいたい。そこから、見たくなくて目を背けていた、自分の本当の姿が浮かび上がって来るかも知れない。映画評論家の佐藤忠男は「映画は自惚れ鏡」である、と言った。美化した自分を映画の中に見ているという名言だ。逆に本作には、カッコ悪い、本当の自分を発見出来るだろう。

 ラスト、「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」のように、3人は3すくみの状態になる。この三角形が美しい。3人は複雑な表情なのだが、これから、相手のダメさを許すことで、自分のダメさも許せるようになるのではないかという、そんな予感が漂っている。観客もまた、ダメな自分を許すことが出来るような気がしてくる。この光景だけでも、本作を見る価値はあると思う。

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アウトレイジ - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12162.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12162.html#comments Mon, 07 Jun 2010 19:00:58 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12162  北野武監督は、テレビ番組のインタビューで、「どつき漫才」を例に出し、暴力は笑いと同じだと語っていた。漫才でどつかれれば笑いが起こるが、どつかれる方が流血すれば、暴力として恐怖を呼ぶことになる。見せ方によっては、「どつく」という行為は、暴力にもお笑いにもなる。また別の番組では、暴力は描写が過剰過ぎるとホラーになってしまうとも語っていた。ホラーは恐怖だが、血しぶきが過剰に飛び散るスプラッター映画は時として笑いに転化する。笑いにも恐怖にも狂気にも成り得る暴力を、いかに斬新に、痛みが伝わるように表現するか。本作は、エンタティンメントであると同時に、北野武監督による暴力論であるとも言えるだろう。

 題名からして「極悪非道」である。ヤクザ同士が金と出世のため、お互いに利用し合い、裏切り合い、殺し合う。ストーリーは極めて単純だ。登場人物は基本的に全員悪人で、人を傷つけることを何とも思っていない。ビートたけし演じる弱小組長は、組の仲間を裏切ることはしないが、それでも残虐な暴力を振るって笑っている狂気の人間だ。偽善を最も嫌う北野監督らしい、性悪説に基づいた人間観は、決して不快ではない。むしろ徹底ぶりが気持ちいいほどだ。他人を踏み台にしようとする嫌らしさも、とことん突き抜けた先には、獣同士の争いのようなダイナミックさが見えてくる。

 見所の一つは、役者たちの「悪」の演技だ。本作は北野映画としてはわりとセリフが多く、怒鳴ったり凄んだりする場面が連続する。ビートたけしや石橋蓮司ら、いかにもヤクザな面々だけでなく、三浦友和、椎名桔平、加瀬亮らが、意外に役にはまっているのが面白い。役者たちがみんな、暴力のにおいをプンプンさせているのだが、特に英語ペラペラのインテリヤクザを演じた加瀬亮は、底知れない冷たさも感じさせて好演だ。

 北野監督が最も力を入れたであろう暴力描写は、もはや、半ばホラーになっていた。あのアンソニー・ウォンが怪演した「八仙飯店之人肉饅頭」(1993)を思い出してしまった。これは実録犯罪物だが、描写が極端過ぎて完全にホラー映画だった。三池崇史監督のびっくり拷問大会「殺し屋1」(2001)にも通じるものがある。「殺し屋1」までくると、暴力というより、もはや倒錯したSMの世界だった。

 本作では、切れないカッターナイフで指を詰めさせたり、耳の中に箸を突っ込んでかき回したり、歯医者の歯を削るドリルで口の中をかき回したり、もはや猟奇的と言うしかない描写がある。その部分が余りに強烈で、ホラーの世界に片足を突っ込んでしまったような印象だ。

 そこが面白いところでもある。ここで描かれる暴力には、恐怖の中に、狂気や笑いも含まれている。暴力をエンタティンメントとして成立させ、他には何も付け加えようとしない。付け加えないどころか、余計なものを一生懸命削ぎ落とそうとしている。その姿勢はB級バイオレンス映画として実に正しいと思う。

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座頭市 THE LAST - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12109.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12109.html#comments Mon, 31 May 2010 10:24:29 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12109  座頭市といえば、何といっても勝新太郎だろう。ビートたけしも演じたし、やや変則的なものとしては、綾瀬はるかが女座頭市に扮した曽利文彦監督の「ICHI」(2008)がある。その他、山田誠二監督「新怪談残虐非道・女刑事と裸体解剖鬼」(2004)のゾンビ市(橋本和博)、高橋洋監督の地下映画「ソドムの市」(2004)の俎渡海市兵衛(浦井崇)なども、座頭市の変奏曲だ。日本映画だけではない。「ブラインド・フィーリュー」(1989)のルトガー・ハウアー、さらに最近の米国映画(タイトルを書くとネタバレになるので書かない)にも、座頭市的なキャラクターは登場する。盲目の居合い斬りの達人は、あまりに強烈で魅力的なキャラクター故に、様々に作り手の創造力を刺激するのである。

 その中で、実力派の阪本順治監督とSMAPの香取慎吾が、どのような座頭市像を作り上げたのか。結論から言うと、実によくやったと思う。これまでとはまるで違う、新たな座頭市を創造することに成功している。

 座頭市は化物じみたスーパーヒーローで、圧倒的に強かった。勝新太郎は爪楊枝を吹いて飛んでいる蠅に命中させ、ビートたけしは石灯籠も真っ二つに斬ってしまう。人間業ではない。居合の技だけではなく、精神面も強い。正義感はあるが、ある意味、冷酷非情。もちろん例外はあるが、弱みをほとんど見せず、迷いがない。

 香取慎吾が演じた座頭市は、意外に弱い。その殺陣は居合というより、市川崑が「木枯し紋次郎」シリーズで見せたような、ヤクザの戦い方に近いのだ。走り、転げまわって逃げつつ、ある程度自分が斬られることで相手との距離を測りながら、刀を振るう。実にリアルだ。阪本順治はこうしたリアルな殺陣の特徴を生かすよう、山中の斜面など、わざと足場の悪いところでアクション場面を展開している。香取慎吾はそれによく応えている。

 そして、今回の座頭市は、孤独なさすらい人ではない。タネ(石原さとみ)と結婚もするし、故郷に戻れば友達(反町隆史)もいる。「生活者」としての面を見せる。勝新太郎に代表されるこれまでの座頭市は、決して普通の暮らしができない「異端者」だった。それ故の強さも、弱さもあったのだが、本作では、生活者としての強さや弱さが、きちんと描かれている。

 山形県庄内地方の自然の美しさや、そこに作られた山村のセットの見事さ。見どころはたくさんある。だが、詩的でリアルな世界を構築する一方で、それをぶち壊すような、奇怪が場面があるのが残念だ。

 仲代達矢、倍賞千恵子といったベテラン勢の演技が、いかにも大芝居で、香取慎吾のリアルな座頭市像とまるで合っていないのだ。仲代達矢が演じたヤクザの親分は、何がやりたいのかよく分からないし、倍賞千恵子の農家の母親に至っては、セリフにいちいち意味があるようで、実際にはまるでない。脚本が悪いのか、役者が悪いのか、演出が悪いのかよく分からないが、何ともチグハグな印象だ。

 斬られて死にかけている人間が、なかなか死なず、そこにいろんな人が順番にやってきて、ひとしきり嘆いて悲しみを表現しつつ、延々とセリフを続ける。その間、悪者たちは全く嘆き合っている人たちに関心を持たない。そんな田舎芝居じみた演出が、せっかくリアルに作り上げた世界を、ガラガラと崩していく。香取慎吾は良かったが、映画は失敗という結論にならざるを得ない。

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パーマネント野ばら - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12108.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12108.html#comments Mon, 31 May 2010 10:24:22 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12108  西原理恵子の原作を、「クヒオ大佐」の吉田大八が監督。菅野美穂の8年ぶりの映画主演作としても話題だ。

 高知の海辺にある田舎町の風景が、懐かしく、そしてとても寂しい。主人公のなおこ(菅野美穂)が暮らす、昔ながらのパーマ屋は、看板のペンキが古びて剥げかけている。取り残されたような町に暮らすのは、町の外の世界から取り残されたような人々だ。離婚したばかりで子連れのなおこ、何度も男に捨てられる男運の悪い女たち。主人公の母親・まさ子(夏木マリ)も、夫のカズオ(宇崎竜童)に逃げられている。世代を超えて、男女の関係は変わらない。それでも、女たちは諦めない。逃げる男を追いかけ、新たな恋に身を焦がそうとする。

 なおこの幼馴染、みっちゃん(小池栄子)は町でスナックを開いているが、夫は働かず、店の女と浮気をし、金を無心するばかり。怒ったみっちゃんは車で夫をはねてしまう。もう一人の幼馴染、ともちゃん(池脇千鶴)は、何人もの男に逃げられた挙句、最後に捕まえた夫はギャンブルに溺れ、行方不明になってしまう。深刻な状況ではあるが、吉田監督は笑いを交えながら、田舎町での男女のいざこざを、ノスタルジックな雰囲気の中、テンポよく、軽妙に描く。怒ったり、嘆いたり、落ち込んだりしながら、それでもめげない女性たちを見ていると、こちらも何となく元気になってくる。その語り口は名手と呼んでいい。

 なおこは高校教師のカシマ(江口洋介)と付き合っている。ある日、一緒に温泉旅館に行くのだが、何故かカシマだけが先に帰ってしまう。

 なおこが住んでいる店舗兼住宅の描写が、とてもリアルだ。年月を経た雰囲気や生活感があって、ちょっとドキっとするほどだ。リアルな町並みや家々の造作の中に、女優たちが見事に溶け込んでいる。建物と同じく、何とも言えない生活感がある。高知の方言をきちんとこなしているからだろう。

 菅野美穂はほとんどノーメークではないだろうか。元々、「エコエコアザラク」や「富江」など、ホラーで注目された女優だ。その後、テレビドラマを中心に活躍しているが、最近でも「曲げられない女」など、ちょっと変わった役が多い。どこか雰囲気に影があるのだ。本作では、その「影」が重要になってくる。

 本田博太郎ふんするみっちゃんの父親が、頭がぼけてしまい、チェーンソーで電信柱を切る場面があるのだが、切れた電線が放つ火花が、夜の闇の中でダンスを踊り、夢のように美しい。この美しさの正体が、やがてある残酷さとともに、明らかになる。

 そのとき、世界のすべてが一変する。町の風景の寂しさは、美しさに変わり、町の人々の滑稽さは、優しさに変わる。時に忘れられたような町は、本当に時が止まっていたのだ。

 実にうまい展開だ。だが、この一種のどんでん返しは、最近公開されたある映画と全く同じなのが気にかかる。驚きと同時に、「またか」という思いも禁じ得ない。しかし、それを差し引いても、実に美しく、切なく、胸を打つ作品だ。

 パーマネントは「永久」という意味だ。なぜパーマ店の客らが異常に「パーマの強さ」「パーマの永続性」にこだわっていたのか。見終わったとき、その気持がわかって、胸に染み入ってくる。

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逆襲!スケ番ハンターズ/地獄の決闘 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12099.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/12099.html#comments Fri, 28 May 2010 10:15:22 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12099  今年(2010年)のゆうばり国際ファンタスティック映画祭で最も驚かされたのが、「スケ番☆ハンターズ」2部作だった。いわゆるB級映画だが、空疎な大作よりも遥かに面白かった。

 主演の亜紗美は、アダルトビデオに出ていた人だが、もはや「元AV女優」ではなく、「アクション女優」と言っていいと思う。「おいら女蛮」(2006)「片腕マシンガール」(2008)「ロボゲイシャ」(2009)と、確実にアクション女優としてのキャリアを積んでいる。本作では、「死亡遊戯」(1978)のカリーム・アブドゥル=ジャバーを思わせる黒人と、カットを割らない長回しのアクションを見せてくれる。そのレベルは相当に高い。今、日本の3大アクション女優を選ぶとしたら、ベテランの水野美紀は別格として、「ハイキック・ガール」(2009)の武田梨奈、「芸者VS忍者」(2008)の佃井皆美、そして本作の亜紗美だろう。日本が世界に誇れる3人だと思う。

 しかも、亜紗美は「絵」になるという点では抜群だ。立っているだけで見とれてしまう。説得力のある身体を持っている。そして、セクシーでもある。

 ヤクザハンター・アサミがかつての師匠を訪ねる本作は、冒頭からチェンソーによる人体切断のスプラッターを見せてくれる。ヤクザたちは賭博場を作るために立ち退きを迫り、逆らう者をことごとく殺していく。自分を匿ってくれた初代ヤクザハンターが殺されたことで、アサミの怒りが爆発する。

 とにかく亜紗美と、その敵役の三輪ひとみが、圧倒的にカッコいい。演出が存分に2人の魅力を引き出している。ラストの決闘場面は、画面が突然シネスコになる。セルジオ・レオーネを思わせる構図に惚れ惚れした。奥田真一監督のこだわりがとても楽しい。

 特訓の末にアサミが身につけた必殺技には爆笑させられた。この突き抜けた感じがたまらない。勢いがあるのだ。レイトショー公開ではあるが、B級アクションが好きな人には、是非見てもらいたい。

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ゾンビランド - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12094.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/12094.html#comments Thu, 27 May 2010 10:03:46 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=12094  ゾンビは元々、ブードゥー教の呪術師によって魂を抜かれ、奴隷化された人々だった。このブードゥー・ゾンビは、早くからベラ・ルゴシ主演の「恐怖城」(「ホワイト・ゾンビ」)(1932)などでスクリーンに登場している。ゾンビ自体は自分の欲望を持たず、「支配者」の言いなりになって働くという点で、我々が悪い意味での「共産主義」をイメージするときの、「人民」に近いといえるだろう。

 これを「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(1968)で、180度転換したのが、モダン・ゾンビの祖、ジョージ・A・ロメロだ。当時はベトナム戦争下。「人肉を食べたい」という、自らの欲望のままに動くゾンビは、共産主義的なブードゥー・ゾンビに対し、資本主義的なキャラクターと言えるのではないだろうか。「人が人を食べる」というのも、資本主義の競争社会を象徴しているように思える。そこに、リチャード・マシスン原作の「地球最後の男」やハマー・プロの「吸血ゾンビ」(1965)の要素が加わって、モダン・ゾンビが完成した。マシスンが描いたのはゾンビではなく吸血鬼なのだが、吸血鬼=他人の血(金)を吸い取る鬼という、金貸しのイメージからも、資本主義的キャラクターにはぴったりだった。

 ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、米国同時多発テロとリーマン・ショックを経た今、御大ロメロは米国の再生を意識して、新作「サバイバル・オブ・ザ・デッド」(2009)では米国の歴史の出発点である西部劇まで遡っている。本作「ゾンビランド」もまた、「再生」の物語だ。人間の殆どがゾンビ化してしまった世界で、生き残った人々は他人を一切信じず、「自分のルールにだけこだわって」生きている。それは引きこもりの主人公だけではない。マッチョなゾンビ・ハンターも、詐欺師の姉妹も、「他人を信じない」というルールを課している点では同じだ。それは資本主義が行き着くところまで行った末の、不信の荒野だ。行き着くところまで行って、また出発点に戻ったのである。彼らが他人のために自らのルールを破ったとき、荒野に最初の「家族」が生まれる。ある意味それは、西部劇に登場する「一家」のようでもある。

 冒頭、人間の殆どがゾンビ化した世界が、スーパースローで描かれる。人が人を食う残酷場面だが、スーパースローで描かれると、奇妙におかしい。ゾンビと人間との戦いを描いてはいるが、これはコメディーなのである。ゾンビのコメディーといえば、「ショーン・オブ・ザ・デッド」(2004)や「ゾンビーノ」(2007)を思い出すが、見た印象はむしろ、「ビッグ・バグズ・パニック」(2009)と似ている。

 主人公は引きこもり気味の青年(ジェシー・アイゼンバーグ)だ。ゾンビの世界で生き残るため、32のルールを作り、それを頑なに守っている。両親の住むコロンバス州へ向かう途中、ゾンビ退治の達人で、トゥインキーというスポンジケーキを探すことを生き甲斐にしているタラハシー(ウディ・ハレルソン)や、ウィチタ(エマ・ストーン)とリトルロック(アビゲイル・ブレスリン)という詐欺師の姉妹と出会い、一緒に旅をすることになる。姉妹はロサンゼルス郊外にあるゾンビがいないという遊園地「パシフィックランド」を目指していた。

 コメディーだが、ゾンビの食人場面は残酷で、スプラッター度はかなり高い。ゾンビたちが内蔵や手足をかじる場面も、ゾンビの頭や手足がちぎれて飛び散る場面もちゃんとある。スプラッターが見たい人も満足できるだろう。本作のゾンビたちは結構走る。走るのが遅いデブは逃げ遅れてゾンビになるため、デブのゾンビが多い、というのが笑える。デブにならないための「有酸素運動」は、主人公のルールの一つにもなっている。

 主人公の決めた「ルール」は、画面に字幕で登場する。最初は失笑だが、繰り返されるうちにだんだん可笑しく思えてくる。主人公だけでなく、タラハシーも、詐欺師の姉妹も、それぞれ自分にルールを課している。ルールだから、当然破られる。自分を守るためのルールを、他人を守るために破ったときに、主人公たちは友情や愛情を取り戻し、「ゾンビ同然」の(資本主義的に欲望に特化した)人間から、人間らしい人間になる。実に健全なテーマが、グロテスクなスプラッターと悪趣味な笑いの中に描かれている。童貞のダメ青年のビルドゥングスロマンにもなっている。

 ウィチタ役のエマ・ストーンは、グリーンがかった瞳の色がとてもきれいで、実にかわいい。主人公が夢中になる気持ちもよくわかる。主人公と同じマンションの住民で、ゾンビになってしまう美女をアンバー・ハードが演じている。「ステップファーザー/殺人鬼の棲む家」でも水着姿を見せてくれたが、ゾンビになってもセクシーなのはさすが。2人の美女がとても魅力的で、見ているだけで楽しい。

 ビル・マーレイが本人役で出演しているのも面白い。ちょっとやり過ぎで安っぽいコントみたいになってしまっているが、マーレイだから笑って許せる。

 ラスト、遊園地で繰り広げられるゾンビと主人公たちとの戦いは、乗り物や施設がうまく使われて、アイデアたっぷりだ。ウディ・ハレルソンが様々なアトラクションに乗りながら、ゾンビを撃ちまくる場面が痛快だ。ここはなかなか、カッコいいのである。全てが軽めではあるが、笑いもアクションも、スプラッターもセクシーな魅力も楽しめる、贅沢なゾンビ映画。本作が初の劇場用長編映画となるルーベン・フライシャーは、新人らしくない手腕を見せてくれた。

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タイタンの戦い - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11985.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11985.html#comments Tue, 11 May 2010 10:05:34 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11985  試写を見逃したため、劇場で3D、字幕版で鑑賞した。ダイナメーション(ストップモーション・アニメ)の巨匠レイ・ハリーハウゼンが特撮を手がけた「タイタンの戦い」(1981)のリメークで、監督は「トランスポーター」のルイ・ルテリエだ。ギリシャ神話を映像化したファンタジーだが、ドラマは粗筋程度しか描かれない。ルテリエらしく、とにかく、次々とモンスターが登場する。別にドラマが見たかったわけではないので、サービスたっぷりな感じがしてよいのだが、困ったことに、そのせっかくの見せ場がよく見えない。3Dも思ったほど飛び出さない。

 日本初のデジタル3D長編映画「戦慄迷宮3D」(2009)を清水崇監督が撮ったときにインタビューしたが、3D撮影独特の難しさの一つとして、実写では速い動きが立体に見えない、という点を挙げていた。その意味がよく分かった。モンスターが画面の奥から前に迫ってくる動きは多いものの、その動きが速すぎるために目がついていかず、飛び出して見えない。本作は元々3Dで撮影されたものではなく、2Dで撮影したものを後で2Dに変換したらしい。3Dでの公開を予定していなかったので、立体を考慮せずに撮影してしまったのかも知れない。

 それより3D以前に、モンスターの動きとカット割りが速すぎて、殆どの場面が、何が何だかよく分からない。スピード感や臨場感はあるのだが、モンスターが見たいと思っているこちらとしては、フラストレーションがたまって、だんだんイライラしてくる。

 モンスターの造形は非常によくできている。特にメデューサは、ハリーハウゼンの造形を引き継ぎながら、醜悪な顔を美女に、下半身のヘビの部分を巨大にしたことで、過去の映画と比べても最高のキャラクターになったのではないか。じっくりと見せてくれないのは本当に残念だ。サム・ワーシントンは「アビス」に続いての3D大作主演だが、神話の英雄というより海兵隊員に見えて仕方なかった。半分「神」なので、何かあると神様が助けてくれるというのが反則っぽい。

 ハリーハウゼンのダイナメーション(ストップモーション・アニメ)には、動かないものが動くという感動、面白さがあった。それは映画の原点でもある。本作には残念ながら、その面白さが欠けていると思う。

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劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11982.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11982.html#comments Mon, 10 May 2010 18:17:46 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11982  テレビ朝日の深夜番組としてスタートしてから、深夜ドラマが2シーズン、夜9時台での放送が1シーズン、スペシャルが2本(1本は現時点ではまだ放送されていない。2010年5月15日放送)、そして劇場版が本作を入れて3本。今年で10周年を迎えるシリーズは、これほど長く続いているのであるから、多くの人に愛されているといって言いだろう。10周年記念の本作の内容は、堤幸彦監督が一種のシニカルなジョークとして、舞台となる村を「万練村」と名づけたように、全くの「マンネリ」だ。これまでのシリーズの集大成でもあるし、単なる繰り返しでもある。本作の場合は、それでいいのだ。

 自称・人気マジシャンの山田(仲間由紀恵)と自称・天才物理学者の上田(阿部寛)のコンビが、孤島や僻村を訪ね、超能力や呪い、迷信などのオカルトめいた事件を、手品の種明かしよろしく解決する。シリーズはどれを見てもほとんど同じ。金太郎飴だ。でも、悪いことではない。大枠が「お約束」としてあるからこそ、細かい差異を楽しむことが出来る。かつてのプログラム・ピクチャーとは、そういうものだった。物語は「ハリー・ポッター」シリーズのように進展して行かず、ただ繰り返す。代表的なものが、山田洋次監督の「男はつらいよ」シリーズだろう。テレビドラマから始まって、映画になり、ストーリーはどれを見てもほぼ同じ。むしろ、まるで違った話にするのは、観客を裏切ることになりかねない。

 今回は人里離れた山奥にあり、「自然一人占め。誰にも会わない村」がキャッチフレーズの万練村に霊能力者たちが集まり、村を守る霊媒師「カミハエーリ」となるべく、生死を賭けて戦う。霊能力者に扮するのは、松平健、戸田恵子、片瀬那奈、藤木直人らの面々。松平は「暴れん坊将軍」のように白馬にまたがり、戸田は信者たちと奇妙なダンスを踊る。「リング」の元ネタとなった明治末の千里眼事件のパロディーも展開される。もちろん、お馴染みの髪の毛を気にする刑事(生瀬勝久)とその部下(池田鉄洋)も登場する。

 シリーズのテーマとなっているのは、オウム真理教事件で批判を受けた学研の雑誌「ムー」などの、オカルト雑誌の世界だ。だが、「ムー」のようにオカルトをそのままオカルトとして描くのではなく、そのいかがわしさを楽しむ大人の視点が健全だ。

 「ワンダーJAPAN」(三才ブックス)という季刊誌がある。「日本の<異空間>探検マガジン」を掲げ、普通の観光地ではなく、廃墟や珍奇な寺社、いかがわしい伝説の地、変わった建物、工場地帯の夜景などを紹介している。この雑誌の世界と、「トリック」シリーズの世界は、どこか共通している。それはみうらじゅんが日本の奇妙な祭りを集めた「とんまつりJAPAN」や、安齋肇と共に活動している観光協会のパロディー「勝手に観光協会」、都築響一の「珍日本紀行」などの世界にも通じている。ある物事を伝統や文化、機能、目的からいったん切り離し、「珍妙」という観点だけで紹介し、その面白さを楽しみつつ、もう一度、伝統や文化を再発見する試みだ。「トリック」シリーズが島や農村など、常に秘境めいた場所を舞台にしているのは、サブカルチャーによる「ディスカバー・ジャパン」だからだろう。それは、オカルトに出会って自らを取り込まれてしまったオウム真理教の信者とは逆に、オカルトに対しても決して自主性を失わない態度でもある。オカルトは一度その背景から切り離されてしまえば、力を無くし、単なる「珍妙」としてしか浮かび上がってこない。そこから背景を新たに「発見」していくのは自主的な行為だ。山田と上田がオカルトのトリックを見抜いていくのが、まさにそのような過程なのだと思う。

 また、言葉遊びが非常に多いのもシリーズの特徴だ。これは、シリーズが堤監督にとっての「不思議の国のアリス」だからだろう。言葉=ロゴスは理性である。ルイス・キャロルの「アリス」は、とりとめのない夢の世界を描きながら、そこに言葉遊びを散りばめることで、現実との対比を生み、物語として成立させている。言葉遊びがカオスに陥りがちな世界に、コスモスを担保している。「トリック」シリーズにとって言葉遊びはパロディーだ。それはオカルトを面白がりながらも批判する、視線の二重性をも表現しているのではないか。

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FURUSATO~宇宙からみた世界遺産 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11981.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11981.html#comments Mon, 10 May 2010 18:16:35 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11981  日本における「3D元年」といわれた昨年から今年にかけて、デジタル3D作品が次々と公開されている。アニメーションやモーション・キャプチャーについては、立体効果に満足した作品が多かったが、実写となるとどうか。モーション・キャプチャーと実写が融合した「アバター」は別として、「アリス・イン・ワンダーランド」は妙に画面が暗く、「タイタンの戦い」は殆ど飛び出す感じがなかった。実写の3Dは果たして成功しているといえるだろうか。

 すでに閉館してしまったが、かつて、新宿タカシマヤタイムズスクエアに「東京アイマックス・シアター」があって、3Dの実写映画をよく見た。ほとんどが1時間ほどの中篇で、深海や砂漠、森、滝など自然の絶景、恐竜のいた太古の時代を描くCGなどを、3Dの大画面で見ることが出来た。ストーリーはあってないようなもので、3Dの見世物的な面白さを伝えるのが主眼とされていた。それだけに、飛び出し感、奥行き感は抜群だったと思う。

 本作を見て、あのころの3D作品を思い出した。世界最大級の地球観測衛星「だいち」が捉えた地上700メートルからの映像と、ハイビジョンの約4倍の解像度という4K3Dデジタルカメラによる実写映像で、ニュージーランド、エジプト、日本の自然と文化遺産が、圧倒的な迫力で描き出される。38分の短編だが、画面がとても明るく、構図も3Dの効果が最大限に引き出せるように計算されていて、立体映像本来の魅力を存分に味わえる。

 映し出されるのは、ニュージーランドでは、テカポの世界一美しいといわれる星空、テ・ワヒポウナムのフィヨルド、カヒカポアの森、サザーランドの滝。エジプトではピラミッドとハトホル神殿。日本では広島の厳島神社と原爆ドーム。「おくりびと」の脚本家、小山薫堂が構成を手がけ、本木雅弘の長女・内田伽羅が出演している。監督は映像ディレクターとして活躍している日下宏美だ。

 教育映画的な内容ではあるが、次々と繰り広げられる驚異的な映像には圧倒された。特に、落差580メートルというサザーランドの滝を上から見た場面は、滝壺に吸い込まれそうに思えるほどリアルだった。高い所から下を見て怖くなることがあるが、あの感覚だ。地球観測衛星から見た地上の映像は、写真や映像でしか見ることが出来ない地表の様子だが、3Dでは自分が実際に空から見ているような気分を味わえる。また、3Dステディ・カムで建物の内部に入っていく映像の臨場感が凄い。ピラミッド、原爆ドーム、厳島神社の内部にカメラが入っていくが、まさに自分が歩いて進んで行くような感覚が味わえた。その奥行き感は他の実写3Dにはない見事さだった。

 デジタル3Dの場合、立体上映のシステムや画面の大きさ、劇場での調整が重要だ。今回私が見たのは、キューテック赤坂本社Grading-1の試写室で、リアルDだった。画面は試写室としては大きい方かも知れないが、一般の劇場ほどではないだろう。すでに(2010年4月24日から)日本科学未来館ドームシアターガイアで3D上映されているが、今後(6月19日)、ワーナー・マイカル・シネマズで上映されるという。かつてはこの種の3D作品は、「東京アイマックス・シアター」のような特定の場所に行かなければ見ることが出来なかった。今はシネコンで気軽に見ることが出来るのが、嬉しい。

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冷たい雨に撃て、約束の銃弾を - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11955.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11955.html#comments Thu, 06 May 2010 12:09:56 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11955  ジョニー・トーが「ヴェンジェンス 報仇(原題)」を撮ると聞いて、ショウウ・ブラザースのチャン・チェ監督作のリメークかと思ったが、全く違っていた。主演はフランス人のジョニー・アリディ。香港とフランスの合作で、最初はアラン・ドロン主演のフィルム・ノワールとして準備されていたという。ドロンが脚本を気に入らず、出演を取りやめたらしい。それはそうだろう。ストーリーはよく出来ているとは言えない。脚本を読んだだけでは、本作の魅力は伝わらないだろう。なにせ、「間合い」の映画なのである。男同士が敵になるのか、味方になるのか。撃ちあうのか、撃ちあわないのか。どのタイミングで銃撃戦が始まるのか。全ては相手と向き合い、「間合い」を計ることで決まる。映画はその「間合い」をじっくりと見せる。男たちが黙って顔を見つめ合う緊張感。それが一気に凄まじい銃撃戦へと転じる瞬間のエクスタシー。脚本では絶対に分からないトー作品の醍醐味だ。

 マカオにいる娘とその夫、孫たちを惨殺されたフランス人のレストラン経営者コステロ(ジョニー・アリディ)。復讐のため、クワイ(アンソニー・ウォン)、チュウ(ラム・ガートン)、フェイロク(ラム・シュ)の3人の殺し屋を雇う。だが、コステロの脳には昔受けた銃弾が残っていて、いつ記憶が失われるか分からなかった。やがて、コステロの復讐の相手が、クワイたち3人の組織のボス・ファン(サイモン・ヤム)であることが分かる。

 クワイたち3人はボスのヤムに依頼され、ホテルで男を殺害する。偶然、コステロはその現場を見てしまう。3人とコステロが、じっと顔を見つめあう。黙って去るコステロ。3人も、跡を追わない。コステロと3人との出会いの場面である。すでにこの時、両者はお互いの中に認め合うものを感じていたのだろう。顔を見るだけで分かってしまうのが、トーの世界だ。役者の顔がそれだけの説得力を持っている。アリディの青く光る、底なしの悲しみをたたえたような眼。アンソニー・ウォンの、叩いて叩いて、鍛え上げられたような表情。両者のにらみ合いには、「無言の会話」がくっきりと描かれている。

 コステロとチュウは、お互いに銃をいじっているのを見ているだけで、相手が相当な腕前だと分かってしまう。銃を解体し、どちらが早く組み立てることが出来るか。全く言葉を交わすことなく、勝負が始まる。コステロが勝ち、チュウが手を叩く。クワイが「お前は誰なんだ」と尋ねると、コステロは「レストランの経営者だ」と答える。「うそつけ」と言って、クワイが皿を投げる。それを撃つコステロ。最小限のセリフで、男たちがお互いを認め合っていく心の動きが、実によく分かる。何と見事な描写だろうか。

 撃たれて飛び散る血はスローモーションによって赤い噴煙となる。サム・ペキンパーのウェスタンのようだ。森の中の銃撃戦では、月が雲から出たり、雲に隠れたりして、辺りが明るくなったり、暗くなったりする。光と影が交互に訪れる中、大量の弾丸を撃ち合う男たちが、絶妙のカット割で描かれる。雨の中の銃撃戦は、アパートの上階から下の階へ、逃げていく男たちのアクションが素晴らしい。そこから、ヒチコックの「海外特派員」を思わせるような傘の群れの場面になるのが鮮やかだ。強風の吹く中、雑誌を固めた巨大なキューブを盾代わりに、殺し屋同士が撃ち合う場面も圧倒的な迫力がある。月光、雨、風と自然を使い、さらに様々なアイデアを盛り込んだ銃撃場面は芸術的と言っていいほどだ。

 コステロがクワイたちを雇うきっかけが、偶然にクワイたちの殺しを目撃したことだったり、コステロの復讐の相手が余りに簡単に見つかったり、ストーリーは完全とは言えない。だが、それが全く気にならない。一瞬でお互いを認め合ったコステロとクワイたちの男同士の友情と、自身の行動への迷いのなさが、作品に一本の芯となって通っているからだろう。

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ブギーマン 死霊の鏡 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11953.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11953.html#comments Wed, 05 May 2010 11:56:56 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11953  トラッシュ・ムービーの世界はとても広い。本作は1980年製作のB級ホラーだ。スプラッターともオカルトともつかない作品で、その分野では有名なドイツのウーリー・ロメル監督の代表作である。あるウェブサイトでは最低映画の一つにも挙げられているので、ご存じの方もいるかも知れない。いや、ほとんどの人が知らないだろうし、別に知らなくてもいい。

 本作の何が「最低」と呼ばれる所以なのかというと、ストーリーが意味不明、わけが分からないのである。怪異が起こるのだが、それが常識的な因果関係や作劇上真っ当な展開から外れている。凡作にならずカルト化した理由でもあるので、かえって良かったのかも知れないが・・・・。

 まず、タイトルがよく分からない。ブギーマンは子供をさらう鬼や妖怪の類なのだが、ジョン・カーペンターの「ハロウィン」(1978)がヒットし、その中に出てくる殺人鬼がブギーマンと呼ばれたので、早速いただいたらしい。本作にはブギーマンは一切出てこない。いたずら好きな子供が「ブギーマンだ!」と叫ぶ場面があるだけだ。

 主人公はレイシー(スザンナ・ラブ)とその弟(DVDジャケットには弟と書いてあるが、兄かも知れない。字幕では「兄」となっている部分もある。英語ではどちらもブラザーなので分からない。ここではジャケットの解説文に合わせて弟としておく)ウィリー。2人の幼いころから物語が始まる。父親が出ていってしまったので、母親は男を連れ込んでいちゃいちゃしている。それを姉弟が覗いてしまう。姉は叱られただけで済んだが、弟はベッドに手足を縛られて、男に殴られる。完全に児童虐待だ。姉は包丁を持ち出して弟を縛った縄を切って助けるのだが、その包丁で弟は母親とセックスの最中の男を殺してしまう。まあ子供が家族を殺すという設定だけは「ハロウィン」と共通していなくもない。

 それから20年後、殺された男が悪霊となって鏡の中で復活し、次々と殺人を始める。

 こう書くと、当然「男」は恨みのある姉弟を襲うと思うだろうが、なぜかそうではない。とにかく近くにいる人間を手当たり次第に殺すのである。

 安っぽいシンセサイザー(オルガン?)がジャーンと鳴って、鏡の破片が赤く光る。この破片の近くにいたり、破片に反射した光を浴びた人が殺される。その「法則」は、分かるようで分からない。

 スプラッター場面は今見ると大したことはないが、それなりに悪くない。女性が自分の喉をハサミで突いたり、子供が窓に首を挟まれて死んだり。青年の首の後ろから長い針のようなドライバーが刺さって先端が口から突き出て、それが恋人の口に突き刺さり、「串刺しキス」になるという、洒落た?殺人場面もある。

 殺された男の霊は、本当は姉弟を襲いたいのだと思うが、周囲の人間ばかりを殺していく。それも、鍬やナイフが独りでにフワーっと浮いて襲いかかるという間抜けさ。残虐場面にもかかわらず笑ってしまう。

 とにかくいろいろな突っ込み所がありすぎて、もはや楽しむしかない。この手の映画が好きな人だけにしかお薦めはしないが、それほど退屈もしなかった。

 よく分からない催眠術(?)の先生役でジョン・キャラダインが出演している。主演のスザンナ・ラブは、ロメル監督の当時の奥さんだったらしいが、なかなか可愛い。どうでもいいが、名前に「ラブ」と付いているのが、ポルノ女優みたいでいい。70~80年代のポルノ女優って、ベロニカ・ハート、アネット・ヘブン、モニカ・スイートハート、ナターシャ・ナイスなど、「ハート」「ヘブン」「スイートハート」「ナイス」と見も蓋もない名前が付いていた。まあ「ヘブン」も「ハート」も「天国」「心」とは綴りが違うのだが、カタカナ表記でしか見ていないから分からなかった。ほとんどが芸名(源氏名?)みたいなものだろうが、当時は本名だと思っていて、「何でポルノ女優に限ってこんなに優しい名前が多いのだろう」と、何故か悲しくなったものだった。

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心霊音 THE MOVIE - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11952.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11952.html#comments Tue, 04 May 2010 11:53:22 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11952  映画監督・阿見松ノ介がある建物の心霊調査を依頼され、女優2人と撮影に訪れる。ハイビジョンで撮影した映像をデジタル処理すると、本物の心霊現象が浮かび上がってきた。

 本作はいわゆるモキュメンタリーである。フィクションをドキュメンタリーのように撮る表現形式で、フェイク・ドキュメンタリーといった方が分かりやすいだろう。本来、フェイク・ドキュメンタリーはフェイクであると悟られないように作ることが重要なのだが、最近はさらにひねって、「モキュメンタリーのパロディー」も登場している。本作も、ジャケットのイントロダクションにはっきり「モキュメンタリー形式のホラー」と書いてあるので、最初からドキュメンタリーだと言い張る気はないらしい。とすれば、モキュメンタリーのパロディーなのだろう。

 監督は阿見松ノ介だが、劇中で阿見監督を演じている人物とは違う。出演は松平哲郎、品川美月、みぶ真也など、阿見作品でおなじみのメンバーだ。浅尾典彦氏は本人役で出演し、著書「アリス・イン・クラシックス」の宣伝までしている。そんな仲間内で作った極めて小規模な作品なのだが、注目すべき点はある。

 本編が終わった後、心霊場面だけを集めた映像集になる。本編ではよく見えなかった映像がデジタル処理され、そこに霊の姿が浮かび上がってくる。デジタル処理して見えてくる霊というのは、結構怖い。これまで「映っていない」と思っていたものが、本当は「映っていた」のではないか、と思えるからだ。デジタルが「この世」と「あの世」をつなげてしまう恐怖と言い換えてもいい。

 テレビというのは非常に身近なメディアだ。それが間もなく、アナログからデジタルに代わろうとしている。これまで「見えない」ものが「見える」ようになってしまうのだ。デジタルが「あの世」とお茶の間をつなげてしまうのではないか、という妄想はかなり怖い。

 ただ、本作のモキュメンタリーとしての完成度は低い。モキュメンタリーと、モキュメンタリーのパロディーと、どちらつかずで、中途半端な印象なのだ。例えばフェイク・ドキュメンタリー・ホラーの達人・白石晃士監督は、「ノロイ」(2005)「オカルト」(2009)ではモキュメンタリーのパロディーを、「パラノーマル・フェノミナン」(2010)ではモキュメンタリーそのものを撮っている。撮り方があきらかに違う。「オカルト」は個人的には2009年度のベスト1ではないかと思うほどの傑作だが、モキュメンタリーの体裁を保ちながら、撮り方は普通の映画そのもので、「編集」を相当に意識している。そしてラストに、モキュメンタリーを笑い飛ばす壮大なフィクションが用意されている。「パラノーマル・フェノミナン」の方は、編集を無視して30分ワンカットで撮っているのである。

 モキュメンタリーなのか、モキュメンタリーのパロディーなのかで、見る方の態度もまるで変わってくる。本作はモキュメンタリーのパロディーとしては見せ方が上手くない。ただ、本編の最後に出てくる幽霊の描写はかなり怖い。デジタルメディアがこれから変化していくことを考えると、フェイク・ドキュメンタリーの世界はまだまだ可能性があると思う。

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川の底からこんにちは - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11951.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11951.html#comments Mon, 03 May 2010 11:51:09 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11951  槇原敬之は「世界に一つだけの花」で、ナンバーワンにならなくても、オンリーワンになればいい、という意味のことを歌っている。名曲だとは思うが、私はこの歌が好きではない。自分も含めて多くの人は、所詮、ナンバーワンにもオンリーワンにもなれないと思うからだ。「オンリーワン」といえるようなものを持っている人が、果たしてどれだけいるのだろうか。

 今が希望の持ちにくい世の中であることに、間違いはないだろう。映画の主人公だったら、自分の中に他人と違う才能を見つけ、それを開花させるべく、努力していくのだろうけれど、そんな才能がない人はどうやって、頑張ればいいのか。

 このコメディーが初の商業映画だという弱冠26歳の石井裕也監督は、実に驚くべき、そして痛快な答えを出してくれた。「しょうがない」から「諦める」のではなく、「しょうがない」からこそ、「頑張るしかない」というのだ。「開き直り」が「ヤケクソの努力」につながるコペルニクス的転回は、もはや「悟り」といっていい。

 主人公は上京して5年目のOL佐和子(満島ひかり)。「どうせ私なんて中の下ですから」「でもしょうがないですよ」が口癖で、無気力な毎日を送っている。付き合っている男・健一(遠藤雅)は子持ちのバツイチで全く頼りない。そんなとき、佐和子の父親が病気になったと知らせが来る。

 佐和子は仕方なく実家に帰り、倒産しかかったシジミ工場を継ぐことになる。勝手に会社を辞め、子連れで付いて来た健一は、子供を残したまま、佐和子の幼馴染みの女性と東京へ逃げてしまう。シジミの売上は落ちる一方。工場の従業員たちは佐和子を「5年前に父親を捨てて東京に駆け落ちした女が帰ってきた」と嫌う。自分の意思とはまるで無関係に、シジミ工場やら子供やら、いろんなものを押し付けられ、いいことは何一つ起こらない。全く希望の持てない状況で、ヒロインは開き直る。「しょせん自分は中の下」で、希望が持てないのも「しょうがない」。だからこそ、「頑張るしかない」と、逆境に立ち向かっていくのである。

 自分がダメ人間で仕方ないから頑張る、という佐和子の考えが、実に痛快でカッコいい。自分をオンリーワンとみなして自己肯定する欺瞞とは、真逆だと思う。

 ヒロインを等身大に描くため、石井監督は佐和子のみっともない部分をあえて見せる。冒頭から腸内洗浄を受ける場面だし、子供の漏らした小便を拭いたり、トイレで用を足しながら話したり、畑に汚物を撒いたり、糞尿に関する描写が妙に多い。それが単にコミカルな場面にとどまらず、佐和子の生々しい存在感を表現しているのは、満島ひかりの演技力のおかげだろう。「カケラ」にしても、本作にしても、満島ひかりが映画を成立させているようなところがある。彼女は本当にいい。今、最も優れた女優の一人だと思う。

 よく考えれば佐和子は社長令嬢で、実家も大きなお屋敷だ。「中の下」と言えないかも知れないが、あくまでも「オンリーワン」的な価値観に逃げず、自分のダメさを見つめようとする主人公の意思が、それを感じさせない。「中の下の生活 所詮みんな中の下 楽しいな 楽しいな」。開き直った佐和子が作るシジミ工場の社歌が、希望格差社会に生きる我々への応援歌に聞こえてくる。

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アーサーと魔王マルタザールの逆襲 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11950.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11950.html#comments Sun, 02 May 2010 11:48:58 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11950  ミクロな地下世界を描きながら、「アバター」のようにエコロジーや自然回帰、反文明主義的な薄っぺらさに支配されていないのがいい。まるで無国籍都市・新宿のような、ピカピカ光る繁華街なのだ。

 前作で身長2ミリの民族「ミニモイ」の国を危機から救った少年アーサー(フレディ・ハイモア)が、再びミニモイの国を訪れるストーリー。冒頭、ミニモイたちがアーサーを迎える「満月の宴」を用意する場面が素晴らしい。森の中、虫たちを重機のように使いながら、小人たちが果実を収穫していく。現実の果物や虫の質感を3DCGでリアルに描きつつ、架空の世界を表現する。その完成度はかなりのものだ。そこから実写への移行にも、全く違和感がない。

 アーサーの祖母役はミア・ファロー。我々の年代には「ローズマリーの赤ちゃん」(1968)の若妻や、ウディ・アレン映画のヒロインというイメージが強い。ああもうおばあちゃんの役なのか、と自分が年をとったことを思い知らされてしまった。

 自然との一体化を修行するアーサーは、思想的にはエコロジーやアニミズムなのだが、表現される地下世界「パラダイス通り」は大都会のように賑やかで楽しい。ちょっとした溝がまるでビルのようにそびえ立ち、音楽が鳴り響き、ネオンの光でギラギラと輝いている。昆虫たちはここでは乗り物代わりに地を走り、空を飛ぶ。小さな住民たちはカラフルで派手な衣装に身を包み、結構お洒落だ。テントウムシの飛行機を運転するアーサーたちと、カエルやネズミとのチェイスはスピード感があって迫力たっぷり。ユーモラスかつハラハラさせてくれる。本作の最大の見所だろう。

 現実にもミクロの世界では、様々な営為が行われているわけだが、床下にこんな世界があると想像すると、とても楽しくなる。映画は魔王マルタザールが現実世界に現れるところで終わる。3部作の第2部なので、途中で終わってしまうのは仕方ない。だが、最終章も見てみたいと十分に思わせる出来だった。

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殺人犯 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11938.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11938.html#comments Sun, 02 May 2010 08:30:38 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11938  この作品が長編デビューとなるロイ・チョウ監督は、アン・リーの助監督をやった人で、Jホラーの直接的な影響はさほど受けていないという。だが、冒頭から途中までの展開は黒沢清の「叫」(2006)によく似ている。そして後半のどんでん返しは、書くとネタバレになるのでタイトルを書けないが、「ある映画」と全く同じネタだ。「パクリ」なのかと思ったら、監督がこの話の元になる新聞記事を読んだのは2004年という。偶然、同じネタとなったようだ。作品としては「ある映画」の方がよく出来ているが、こちらもなかなか面白い。もし「ある映画」を見ていなかったら、かなり衝撃的なラストだと思う。

 冒頭、刑事がマンションのベランダから落ちる場面がショッキングだ。いったん立ち上がろうとして足が砕け、倒れる。とても痛そう見える。この刑事を演じているのが、何とあのチェン・クアンタイ。日本では「嵐を呼ぶドラゴン」(1973)くらいしか代表作が公開されていないが、ショウ・ブラザースを代表する武打星(クンフー・スター)の一人だ。落ちてからは病院のベッドで寝たきりなので、ほとんど見せ場はないが、懐かしい顔に会えたのは嬉しかった。

 主演のアーロン・クォックは元アイドルだが、物語が進むにつれ、次第に精神が崩壊し、悪の顔を見せていくのがとても巧い。体にドリルで穴を開けて血を抜くという連続殺人も凄いが、両目に釘を打たれた女が這い回る場面など、残酷描写はかなりのものだ。しかし、それは決してストーリーから浮いていない。本作のテーマは、人間の心に潜む異常なまでの邪悪さだ。描写の過剰な残酷さは、絶対に必要なのである。ラストまで緊張感が失われないのも、この残酷さがあってこそだろう。

 しかし、近年、香港映画は大陸からの出資が多く、脚本段階から中国の検閲を受け、暴力的写は禁じられているという。本作は中国の上映基準を考慮せずに作られたため、中国で上映する版は、暴力的な場面をカットしただけでなく、新たなシーンを追加撮影し、終盤部分を全く新しく作り直したという。

 「大陸版」では、結末が「夢落ち」になっているというのが衝撃的だ。監督は、ほとんど違う映画を2本撮ったようなものだと話していた。本作は珍しいケースで、普通は最初から大陸での上映を考え、脚本なども手直ししてから撮影するらしい。

 我々の知っている過激で猥雑、残酷、エロティックな「香港映画」が消えつつあるとしたら、とても悲しい。その意味でも、本作の濃厚な香港らしさは評価するべきだと思う。

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サバイバル・オブ・ザ・デッド - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11937.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11937.html#comments Sun, 02 May 2010 08:00:14 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11937  すでに70歳を超えるジョージ・A・ロメロの新作を見ることが出来るのはとても嬉しい。「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の製作は1968年。それから42年がたち、ロメロの生んだ(ブードゥーではない)モダン・ゾンビは世界中で様々に進化し、増殖してきた。その間、ロメロも常に新しいゾンビ映画を、一種のサーガとして作り続けてきた。本作はロメロの6本目のゾンビ映画だ。これまでの作品と大きく違うのは、人間とゾンビの戦いではなく、人間同士の戦いがメーンとなっていることだろう。人間もゾンビも、「攻撃してくる者」「戦う相手」として、同じように描かれている。

 舞台は前作「ダイアリー・オブ・ザ・デッド」(2007)の4週間後。「ダイアリー~」でドキュメンタリーを撮影する若者たちを襲った州兵が、今度は主人公だ。サージ(アラン・ヴァン・スプラング)らは仲間たちと隊を離れ、強盗を繰り返して安全な場所を探している。そんなとき、少年と出会う。少年はある映像を見せる。老人が、安全な島の存在を語る映像だった。サージら一行は、少年を連れて島へ向かう。一方、島では2つの「一家」が対立し、争っている。ゾンビの扱いを巡り、一方は手懐けようとし、もう一方は壊滅させようとしていた。サージら一行は2つの「一家」の対立に巻き込まれていく。

 こう書くと非難を浴びるかも知れないが、ロメロは本質的には、ホラー作家ではないのではと、以前から思っていた。ホラーの巨匠であることは十分認めている。だが、傑作「ゾンビ」(1978)にしても、ホラーというよりはアクション・スプラッターの印象がある。理解不能なもの、理由の分からないものへの恐怖がホラーの本質であるとすれば、ロメロのホラーは余りに政治的で、ジャーナリスティックに過ぎるような気がする。よく「ナイト・オブ~」がベトナム戦争を連想させ、「ゾンビ」が消費社会への批判だといわれるように、どの作品も分かりやすいメッセージを含んでいるのだ。

 一方で、密室での人間とゾンビとの攻防をスリリングに描く演出力や、トム・サヴィーニらによる残酷な特殊メークアップは、メッセージを超えて、ホラー映画としての醍醐味を伝えてきたのも確かだ。

 「ダイアリー~」で地上にゾンビが現れる最初の時代に立ち返ったロメロは、今度は米国の歴史の最初の時代に立ち返ったのだろう。本作の印象はまるで西部劇だった。西部開拓時代のように、人々は所属する「一家」に分かれて銃を構え、余所者に対しては、たとえ人間であっても、ゾンビに対するのと全く同じように銃口を向ける。人間同士の争いにも、ロメロの演出力は生かされ、対ゾンビの場合と同じようにスリリングだ。人体が破壊される残酷描写もゾンビであれ、人間であれ、全く変わらない。

 「ダイヤリー~」でPOV(主観映像)に挑戦したロメロには、メディアに対する非常な敏感さを感じたが、今回は一転、ごく普通のドラマにゾンビを絡ませたような印象だ。「人間に飼いならされたゾンビ」というテーマも、今ひとつ伝わってこない。もちろんドラマとしての面白さはあるが、これまでの作品にあったような、絶望的な終末感や切迫した緊張感は薄まってしまった。登場人物たちも余りゾンビを怖れていないように感じられた。

 しかし、ゾンビの首だけが生きたまま杭に刺さって並んでいる場面や、ゾンビたちに生きながら食われ体がバラバラになる場面など、ロメロらしい過激な描写は存分にあって楽しめた。これまでの繰り返しに満足せず、ゾンビ・サーガの中で新しい切り口を求めたロメロの意欲には、敬意を払いたい。

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ウルフマン - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11936.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11936.html#comments Fri, 30 Apr 2010 20:10:42 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11936  ロン・チェイニー・Jr主演の「狼男」(1941)は日本未公開だが、ユニバーサルの怪奇映画の名作だ。後に、「狼男の殺人」のタイトルでTV放映され、多くのファンを生んだ。「フランケンシュタイン」(1931)なども担当したメークアップ・アーティストの巨匠、ジャック・ピアースの特殊メークが素晴らしく、森の中を狼男がさまよう場面の怪奇ムードは、今見てもわくわくさせられる。

 本作の特殊メークを担当したのは、あの「狼男アメリカン」(1981)を手がけたリック・ベイカー。かつての巨匠の仕事を、現代の巨匠が受け継いでいるのである。そのメークは、ピアースのイメージを守りながら、リアルで現代的な狼男を見事に作り上げている。人間から狼男への変身場面が凄い。「狼男アメリカン」では、変身する人物が床に寝ている状態で、手足が変形し、剛毛が生え、顔がゆがんだり口がとがったりする。ところが本作では、主人公が立って歩きながら、手足や顔が変形していく様子を見せる。CGではあるが、その短い場面は息を飲むほどの出来だ。ピアースを尊重しつつも新たな見せ方にチャレンジしているのだ。

 一応、「狼男」のリメークとなっているが、ストーリーは途中からかなり違っていく。1891年、英国ブラックムーア。舞台俳優ローレンス・タルボット(ベニチオ・デル・トロ)は、兄が行方不明になったとの報を受け、25年ぶりに生家のタルボット城に帰還する。城には父親のジョン(アンソニー・ホプキンス)と、兄の婚約者グエン(エミリー・ブラント)が待っていた。やがて兄は惨殺死体となって発見され、タルボットも何者かに襲われる。ロンドンからは捜査にアバライン警部(ヒューゴ・ウイーヴィング)がやってくる。

 1890年代を舞台に、クラシックな雰囲気を保ちつつも、スプラッター描写もきっちりとある。手足も首も、派手に飛ぶ。狼男は人体を徹底的に破壊し、流浪民のテントを駆け抜け、ロンドンの町を屋根から屋根へ、走り、跳ぶ。スピード感があって、これらの場面は本当に素晴らしい。観客も狼男になって暴れ、自らの野生を解放しているような高揚感があった。

 クラシックとスプラッターの組み合わせは成功している。ジョー・ジョンストン監督が美術畑出身だけに、当時の風俗や風景を再現した美術も素晴らしい。しかし、タルボットと兄の婚約者グエンとの愛と、タルボットと父親との確執と、どちらが話の中心なのかよく分からず、中途半端な印象を受けた。ラストの狼男同士の戦いは、ここだけアクション映画みたいになってしまった。これでは、狼男に変身する怪物となってしまったタルボットの悲しみが伝わってこない。美術や特殊メークが非常にいいだけに残念だった。

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武士道シックスティーン - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11925.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11925.html#comments Fri, 30 Apr 2010 09:43:41 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11925  ネット社会は一見、それまでより人と人とを簡単に結びつけるようになったと思える。だが実は、自分に都合のいいときに、都合のいい相手を見つけて、つながっていると思っているだけなのかも知れない。それはどこまで行っても自分が一方的に拡大しているだけで、他人と「関わっている」とは言えないのではないか。男女間の体の売り買いが恋愛とは違うようなものだ。友達、あるいは恋人同士で一緒にいても、お互いに向き合わず、自分の携帯ばかりを見ている人たちが増えている気がする。ネット社会は逆に、人と人との関係性を希薄にしている部分があるようにも思う。

 本作の女子高校生たちは、実に美しく、真っ直ぐに向き合っている。その美しさが弁証法となって、映画そのものを引っ張っている。

 剣道の中学チャンピオンで負け知らずの磯山(成海璃子)は、ある大会で「甲本」という無名の選手(北乃きい)に負けてしまう。磯山は「甲本」を追って同じ高校に進学するが、宿敵だと思っていた相手は、両親の離婚で「西荻」と名前が変わっていた。剣道も逃げてばかり。磯山は西荻を鍛えて、本当の力を引き出そうとする。

 2人の少女は、どこまでも対照的だ。磯山には母親が、西荻には父親が家庭にいない。勝つことが全ての磯山と、勝ち負けにこだわらず剣道を楽しむことがモットーの西荻。2人はお互いに「足りない部分」を補完し合って成長していく。その過程で、磯山は自分の中に弱さを、西荻は強さを見つける。ここに描かれているのは、理想的な友情関係であり、ライバル関係だ。

 磯山は般若の絵が入った竹刀袋を持ち、昼食は座禅を組みながら巨大な塩おにぎりにかじりつく。昼休みは鉄アレイ片手に宮本武蔵の「五輪書」を読む。それを見て、西荻は「リアル武蔵だ」と憧れる。「剛」と「柔」。極端な2人を、成海と北乃という若手の実力派がときにコミカルに、ときに情熱的に、生き生きと演じているのが、見ていてとても楽しい。

 特に若い時代はそうだが、人は自分だけでは成長できない。他人とぶつかって初めて、新しい世界が見えてくるものだ。「ロボコン」でも瑞々しい青春を描いた古厩智之監督の目線は全くぶれない。2人に対し、常に等間隔だ。剣道の場面に象徴されるように、対峙した形で、シンメトリーに描かれる。そして、物語は少しも寄り道することなく、真っ直ぐに2人を追う。それがとても清々しい。

 ラスト、2人は「巌流島」に見立てた丘の上で、武蔵と小次郎となって対決する。その場面には、他人と真っ直ぐに向き合い、ぶつかり合うことの喜びが、見事に表現されている。ネット社会に生きる我々が忘れがちなものを思い出させてくれる、青春映画の佳作と言えるだろう。

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4匹の蠅 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11888.html http://www.cinemaonline.jp/horror-movies/11888.html#comments Sun, 25 Apr 2010 10:27:04 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11888  日本劇場初公開から37年ぶりに本作がリバイバル・ロードショーされるというのは、衝撃的なニュースだ。「サスペリア」(1977)などで知られるイタリアン・ホラーの巨匠、ダリオ・アルジェントは、日本では非常に人気が高く、その作品のほとんどがソフト化されている。だが、1971年に発表された本作だけは、何故かこれまでソフト化されていないため、もう一度見たくても見ることが出来なかったのだ。

 デビュー作「歓びの毒牙」(1969)、「わたしは目撃者」(1970)に続く「アニマル・トリロジー(動物3部作)」の一つであり、イタリア製の、いい意味でも悪い意味でも煽情的で低俗なミステリーを指す「ジャーロ」の代表作だろう。「サスペリアPART2」(1975)へと至る、重要な作品でもある。「サスペリアPART2」は、日本では「サスペリア」の続編として公開されたが、実は「サスペリア」より先に作られ、本国で大ヒットしてアルジェントの名声を決定づけた名作だ。

 本作は、「わたしは目撃者」「サスペリアPART2」と並び、アルジェントが「イタリアで最も不思議な都市」と呼ぶトリノで撮影された作品でもある。昨年、私は取材でトリノを訪れ、主に「サスペリアPART2」のロケ地を巡ったが、アルジェントの言う「不思議な都市」の雰囲気は十分に味わえた。アルジェントはトリノについて、「ヨーロッパの都市の中でも最も現役の悪魔崇拝者が多い」と語っている。その真偽は不明だが、町の闇はとても濃かった。ローマのような観光地としての賑やかさがない分、夜はとても静かで、都会でありながら、中世のころと同じ闇が、ふっと顔を出すような瞬間があるのだ。そこに住む人々も、奇妙に迷信深かったりする。そんな町の魅力も存分に楽しめる。

 何といっても目を引くのは、アルジェントらしいトリッキーなキャメラワークだ。冒頭から、実に魅力的な映像が続く。主人公のドラマー、ロベルト(マイケル・ブランドン)たちのバンドが演奏する場面から始まるが、ギターの穴(サウンドホール)からカメラが演奏風景を覗くカットがあって、びっくりさせられる。ドラムのシンバルに止まった虫を、シンバルの開閉で潰す場面にもアイデアを感じる。

 中世の面影が色濃いトリノの町を、俯瞰で撮った印象的なショット。犯人が常に主人公を覗き見しているようなキャメラ。ロベルトは自分をつけ回す正体不明の男と争い、誤ってナイフで刺してしまう。それを不気味な仮面の人物が遠くから見ていることに気づく。この仮面の人物は、「サスペリアPART2」で突然現れる凶悪な人形にちょっと似ている。

 仮面の人物はロベルトを脅迫し始め、妻のニーナ(ミムジー・ファーマー)は恐怖の余り家を出てしまう。登場人物たちは誰もが怪しく、殺人場面は残虐で、見せる工夫が凝らされている。実にジャーロらしいストーリーだ。

 ロベルトのメイド、アミリア(マリサ・ファブリ)が犯人によって、壁と壁の狭い隙間に追い込まれる場面は、蜘蛛の巣が彼女に絡み付き、まるでアメリア自身が犯人の手の内に絡め取られてしまったような怖さがある。公衆電話から犯人の家まで、キャメラが電話線を追って移動していく場面や、階段を落ちる美女を、段差でゴンゴンと揺れる首から上のアップだけで追う場面など、実に面白い。「サスペリアPART2」以降のような、残虐きわまる派手な殺人場面はないのだが、ヒチコック風の凝りに凝った見せ方が洒落ている。

 ミムジー・ファーマーは不思議な色気のある女優で、ジャーロにとても合っている。「炎のいけにえ」(1974)は安っぽいが素晴らしいジャーロで、ミムジー・ファーマーが圧倒的に良かった。本作では残念ながら「炎のいけにえ」のようにヌードは見せてくれないのだが、下着姿だけでも十分にエロティックだと思う。代わりに裸を見せてくれるのは、ニーナの従姉妹役のフランシーヌ・ラセットだ。途中、オカマの探偵(ジャン・ピエール・マリエール)が出てきたりして、ちょっとしたお笑い場面がある。アルジェントらしくないように思えるが、初期のアルジェント作品には意外にも、コミカルな場面が結構ある。「サスペリアPART2」にも余り笑えないコミカルな場面があるのだが、日本で劇場公開されたヴァージョン(105分)では、それらがほとんど切られていた。紀伊國屋書店から販売されているDVDには完全版(126分)と劇場公開版の2種類が収録されているので、比較するとよく分かる。

 ラストのスーパースローを使った映像も素晴らしい。車の窓ガラスが砕け、死にゆく人間の顔に、ゆっくりと降り注ぐ。それは、死の瞬間の、意識の変容を反映しているようにも見える。凄惨な人体破壊場面が、実に詩的に表現されている。

 アルジェント作品だから、謎解きとしての面白さは全くない。ストーリーは見せ場をつなぐためだけのものと考えていい。それでも、独特の映像を見ているだけで十分に魅力的だ。エンニオ・モリコーネの音楽は、血生臭い話とは対極的に美しい。また、死者の目の網膜にレーザーを当てることで、死の瞬間の残像を読みとるというアイデアが奇怪で面白い。大林宣彦監督「瞳の中の訪問者」(1977)と同じアイデアだ。タイトルとなっている「4匹の蠅」もとても巧く使われている。

 アルジェント研究家の矢澤利弘さんは、アルジェント研究の集大成といえる労作「ダリオ・アルジェント 恐怖の幾何学」(ABC出版)の中で、本作の冒頭は最初、違うアイデアが考えられていて、それが後に「サスペリアPART2」に使われていると書いている。そういう意味でも重要な作品だ。今回の公開を一番喜んでいるのは矢澤さんだろう。

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不思議の国のアリス(1915年版) - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11887.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11887.html#comments Sun, 25 Apr 2010 10:21:39 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11887  W.W.ヤング監督による52分の中編だ。原作者ルイス・キャロルが1865年に最初に出版社から出したとき、挿絵を描いた風刺画家ジョン・テニエルの世界を、ほぼ忠実に再現したことで知られている。だが、1915年の米国公開後、フィルムが紛失し、日本では未公開のままだった。そのため、幻の作品と呼ばれていたという。昨年、WHDジャパンから出たDVD「不思議の国のアリス1903-1915」に収録されたのは、ファンにとっては嬉しい驚きだっただろう。100年近く昔の作品で、モノクロ、サイレントであり、点数を付けるのは非常に難しいが、やはり「映画ジャッジ」の趣旨に則り、あえて点を付けた。

 ティム・バートンの最新作「アリス・イン・ワンダーランド」も含め、「アリス」関連の作品は数多くあるが、我々がルイス・キャロルの原作からイメージする世界を最もよく表現している作品ではないだろうか。キャラクターたちは、すべて着ぐるみや被り物で表現されている。洋服を着たウサギ、フクロウ、ネズミ、ドードー鳥。議論する芋虫、魚やカエルの召使い、消えたり現れたりするチェシャ猫。これら架空の動物たちはもちろんだが、普通の人間と思われる侯爵夫人や料理番でさえ、人間にメークをするのでなく、「顔」のマスクを被って登場する。他の動物たちと同様、幻想世界のキャラクターになっていて、実に不気味なのがいい。

 アリス役はヴィオラ・サヴォイ。少女というより、大人の女性に見える。アリスは森や庭園、池、海岸などを歩いて旅をし、様々な動物たちと出会う。その風景は、何故か奇妙に寂しい。海岸でニセウミガメがアリスに自分の過去を話す場面や、ロブスターが海岸をうろつく場面が印象的だ。海をバックにロブスターのシルエットがモノクロ画面に黒く映る。夢の中に、一人取り残されたような何とも不安な雰囲気を感じる。

 アリスが大きくなったり、小さくなったりという、お馴染みの設定はない。また、「アリス・イン・ワンダーランド」で展開されたお茶会の場面も描かれない。その点は、ファンには不満かも知れないが、モノクロ画面にうごめく着ぐるみの奇妙な生き物たちの世界は、今でも十分に魅力的だ。

 「アリス」の映像化作品については最近、SF、ファンタジーの専門家であるメディアライターの浅尾典彦さんが「アリス・イン・クラシックス」(青心社)を出版した。1903年版と1915年版の2本の「不思議の国のアリス」の写真を場面ごとに掲載し、シナリオを付けて実に詳しく解説している。他の「アリス」映像化作品も紹介されていて、未見の中では、「フレッシュ・ゴードン」製作者によるエロティック・ミュージカル「エッチの国のアリス」(1973)など、是非見てみたいものだ。DVD「不思議の国のアリス1903―1915」(WHDジャパン、フォワード)を鑑賞した上で読むと、とても興味深い。

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不思議の国のアリス(1903年版) - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11860.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11860.html#comments Tue, 20 Apr 2010 10:17:56 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11860  昨年、WHDジャパンからDVD「不思議の国のアリス1903―1915」が発売されたのは、「アリス」ファンにとってはうれしい驚きだった。「アリス」の世界初の映像化である1903年版と、原作の挿絵を描いたジョン・テニエルの世界を忠実に映像化したとされながら、日本未公開で長らく幻の作品とされていた1915年版の2本が収録された、実に魅力的なDVDだった。両作は、ティム・バートンの3D映画「アリス・イン・ワンダーランド」の原点ともいえる。バートン版と併せて見ると大変に興味深い。

 本作は監督、脚本、撮影、出演がセシル・M・ヘプワース、共同監督がパーシー・ストウ。アリスはメイ・クラークが演じている。もちろん、モノクロ、サイレントだ。

 100年以上前の文化財的な作品であり、8分の短編なので、どのように点を付けてもしっくり来ない。本来、点など付けようがない。それでも「映画ジャッジ」の趣旨に則り、無理やりに採点してみた。80点は高いようでもあり、低いようでもある。

 8分ではあるが、「アリス」の物語をハイライト集のような形でほぼ忠実になぞっている。現在の目からすると、特撮は明らかに稚拙だ。だが、アリスが大きくなったり小さくなったりするのを、役者がカメラに近づいたり、カメラから離れたりして表現するなど、余りに素朴な手法がかえって新鮮で面白い。ミニチュアの部屋に入って「巨大化」を表す場面などにも、同様の楽しさがある。特撮の原点は、映画の原点でもあるのだろう。着ぐるみのウサギ、消えたり現れたりするチェシャ猫も不気味だった。バートンが作ったロールプレイングゲームのような主人公の成長物語より、不思議な「夢」の雰囲気ははるかによく出ている。

 大昔の作品なので画質は相当に悪いが、映画としてのワクワクとする面白さは、今見ても味わえると思う。

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レギオン - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11853.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11853.html#comments Mon, 19 Apr 2010 12:58:34 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11853  キリスト教は文化として全世界に広がっている。キリスト教的な世界観をバックグラウンドとしない映画を探す方が難しいだろう。しかし、キリスト教そのものをテーマとしたアクション映画は、それほど多くないと思う。本作や「ザ・ウォーカー」(2010)を見て、「キリシタン・アクション」というジャンル名を提唱したくなった。なぜ「クリスチャン・アクション」ではないのかというと、普通の日本人には納得しがたいテーマを扱っている「違和感」を、江戸時代のキリスト教という「異質なもの」の呼び方で表現したかったのだ。

 砂漠のドライブインに、武器を持ったミカエル(ポール・ベタニー)という男が現れ、神が人間を見捨てたと告げる。人類を駆除するために天使の軍団がやって来るので、自分は神の命令に背いて人類を守るのだという。ドライブインの店主(デニス・クエイド)とその息子(ルーカス・ブラック)、妊婦のウエートレス(エイドリアン・パリッキー)、店の客らは、ミカエルと一緒に天使と戦うことになる。

 冒頭、ミカエルが空から舞い降りて武器庫を襲う場面は、「ターミネーター」(1984)そっくりだ。天使に操られてゾンビ化した人間たちがドライブインを襲う場面はジョージ・A・ロメロのゾンビ映画や「ミスト」(2007)「フィースト」(2008)などを思わせる。天井を這い回る老婆は「エクソシスト ビギニング」(2004)のようだし、ハエの大群は「エクソシスト2」(1977)のイナゴや、「悪魔の棲む家」(1979)、不気味なアイスクリーム売りがドライブインにやってくるところは、トム・ホランドのテレビ用作品「アイスクリーム殺人事件」(2006)を思い出させる。天使の軍団が襲ってくるというストーリーは珍しいが、どれも見たことのあるような場面ばかりだ。

 そもそも「神」や「天使」という形而上的な存在を、思い切り形而下の存在として描いているのが可笑しい。天使の翼は鋼鉄製で弾丸をはね返し、回転して相手を切り裂く。棒の先にトゲトゲの鉄球が付いた武器を振り回すのも笑える。神や天使なら、そんなことをしなくても、一瞬で人類を滅ぼすことが出来そうなものなのに、とどうしても思ってしまう。現に本作の中でも、以前、神が人類を見放した時は洪水を起こしたことになっている。それは「ノアの箱船」のことだろう。今回も天変地異で一気に片づければよいものを、ドライブインの人々に対しては、ゾンビ化した人間をチマチマと送り込んだり、アイスクリーム売りの刺客に襲わせたり、やる気が感じられない。「仮面ライダー」の悪の軍団ショッカーが、世界征服をたくらみながら、実際には近所の花屋を襲っていたのと同じくらいのトホホ感がある。

 それに、天使の軍団対人類という、壮大な戦いのわりには、描かれるのは砂漠の真ん中のドライブインでの攻防がほとんどなのだ。これは日本の「デビルマン」(2004)が、悪魔対人類の戦いをテーマとしながら、商店街の中で話が完結していたのと同じである。大スケールの話が実に小スケールで描かれる。 最後は天使対天使の一騎打ちとなるが、これも人間同士のアクションと余り変わらない。殴り合いの肉弾戦なのだ。

 ストーリーに変なところが多すぎて、首をひねりっぱなし。妙にシリアスな雰囲気が良くない。もっとお笑いを強調すれば、首をひねる代わりに笑い声を上げることが出来たのかも知れない。それでも、それなりに楽しめたのは、本来は精神的な戦いを徹底して肉体的なアクションに変換して表現したバカバカしさのおかげだろう。「キリシタン・アクション」認定にはふさわしい作品だ。

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アリス・イン・ワンダーランド - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11852.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11852.html#comments Mon, 19 Apr 2010 12:58:15 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11852  試写に行きそびれ、近くのシネコンで見た。日本語吹き替え版、3D吹き替え版、3D字幕版の3パターンが上映されていたが、字幕版はちょうどお昼とか、遅い回とか、鑑賞しにくい時間帯だけ。専ら子供向けの作品というわけではないのに、メーンは吹き替えだった。「シャッターアイランド」がきっかけで、吹き替えの時代が本格的にやってくると言われているが、3D作品に限って言えば、すでに上映は吹き替えが中心になってしまったようだ。

 ハリウッド映画では「声の出演」に豪華スターを起用することが多く、本作でもアラン・リックマンやクリストファー・リーが声優として出演している。吹き替えが残念なのは、映像に集中出来る一方、そうした「声の出演」を楽しめないことだ。吹き替えでは深田恭子が「白の女王」の声を演じているが、見ている間はまるで気づかなかった。また、原作同様、セリフには様々な言葉遊びが駆使されている。それも魅力の一つだが、日本語にするのは大変だったろう。これを字幕で見るのは結構きついと思う。吹き替えでは言葉遊びもストレスなく楽しめた。

 ルイス・キャロル原作の「不思議の国のアリス」の物語から、13年後、19歳になったアリス(ミア・ワシコウスカ)が主人公だ。以前の冒険は夢だったと思いこみ、すっかり忘れている。屋外の舞踏会で貴族にプロポーズされ、即答出来なかったアリスは、その場を逃げ出して森の中の穴に落ちる。そこはかつての「不思議の国」(アンダーランド=ワンダーランド)だった。

 アリスを子供ではなく、19歳の女性にしたため、物語全体が一種のビルドゥングスロマンになっている。アリスは貴族からのプロポーズで自分の人生の選択を迫られるが、ワンダーランドでも「ある選択」を迫られる。子供から大人になるとき、若者は常に選択を迫られる。アリスは子供時代のワンダーランドをもう一度訪れ、「選択」をすることで、自立した女性になろうとするのである。成長物語にしたことで、話はとても分かりやすくなったが、原作のファンはそこが気に入らないかも知れない。アリスの体が大きくなったり、小さくなったりするのも、本作では様々な体験を経てちょうどいいサイズの自分自身を知る、つまり大人になることの意味になっている。剣を持ってアリスが戦うラストまで、まるでよくあるロールプレイングゲームだ。原作がどこかとりとめのない、ある意味、難解なストーリーであるのに対し、とても分かりやすいけれども、つまらない話になってしまっている。

 だが、映像はさすがバートン。凝りに凝っている。実写にアニメーション、CG、モーション・キャプチャーなどを組み合わせ、巨大なキノコや奇妙な植物が生えた森、赤の女王(ヘレナ・ボナム=カーター)の全てがハートマークで作られた宮殿、服を着たカエルやウサギ、ヤマネ、自由に姿を消すチェシャ猫、パイプを吸う芋虫、不気味な双子など、「アリス」の不気味でユーモラスな世界が、バートンの趣味に合わせて完璧に描かれている。マッドハッター(ジョニー・デップ)の巨大な目、赤の女王の巨大な頭、白の女王(アン・ハサウェイ)の白く輝く体など、生身の役者をCGなどで加工している部分も、実によく出来ている。最初から3Dカメラで撮影したわけではなく、2Dで撮ったものを後で3Dに変換しているが、立体効果もまずまずだった。

 「アリス」の世界を借りたバートンの3D映像博覧会としては、十分に楽しめた。100パーセントの、アリス・イン・ティム・バートンズ・ワンダーランドなのだ。映画の中で、アリスは父親に「お前はいかれている。でも、いいことを教えてあげよう。偉大な人はみんなそうなんだ」と言われる。この言葉は、バートンが自分自身に贈ったように思えてくる。本来の「アリス」の世界を味わいたいのなら、ジョン・テニエルの挿絵に近いW.W.ヤング監督版「不思議の国のアリス」(1915)をお薦めする。

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17歳の肖像 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11842.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11842.html#comments Fri, 16 Apr 2010 17:21:20 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11842  世間知らずの少女が、年上の男性とロマンチックな恋に落ち、大人の社会を体験していく。よくあるストーリーだが、魅力的なキャストで時代背景などを丁寧に描いて作ると、これほど新鮮で心を打つ作品になるのかと驚いた。

 舞台は1961年のイギリス・ロンドン郊外。主人公は16歳の少女ジェニー(キャリー・マリガン)だ。おそらく中流階級に属するのだろう。オックスフォード大学への進学を目指し、成績は優秀だがラテン語だけが苦手。楽団でチェロを弾き、フランス文化に憧れている。雨の日、チェロを抱えて路上で困っていると、高級車を運転する男性デイヴィッド(ピーター・サースガード)から声をかけられる。少女はデイヴィッドのユーモアと柔らかい物腰、贅沢な暮らしぶりにすっかり舞い上がってしまい、やがて彼を愛するようになるのだが、待っていたのは苦い結末だった。

 監督のロネ・シェルフィグが女性だからか。作品全体が、少女の気持ちにぴったりと寄り添って、離れない。少女の目から見れば、着飾った男女が酒と音楽に酔うナイトクラブは心躍るあこがれの場所だが、同時にどこか胡散臭く、書物に囲まれた独り暮らしの独身女性教師の世界は知的で立派はあるが、同時に牢獄のようにかび臭い。どちらの世界にも、少女は自分とは異質の「臭い」をかぎ取る。周囲の「臭い」を強調することによって、少女は無臭であり続ける。まだ何者でもない純粋性だけが、切なく浮かび上がってくる。

 ジェニーが抜け出そうとするのは、当時の中流階級の道徳観念、世界観である。そして傷つき、再び自分自身に戻っていく。原作は女性記者の回想録で、「教育」という非常に素っ気ないタイトルだ。甘くきらびやかなウソの世界を経験し、人間として成長して、まじめな人生に戻っていく。そんな道徳的な意味も含まれているのかも知れないが、映画は素っ気ないどころか、少女の気持ちそのままに、とてもロマンチックだ。観客にも青春の頃の、華やいだ気持ちを思い出させてくれる。

 1961年は、「ビートルズ以前」という意味で重要だ。描かれるのは、翌62年にビートルズがレコードデビューし、世界が変わる直前なのである。ビートルズに熱狂した若者のエネルギーは、まだ形にならないまま、何か新しいものを求めて、爆発しそうになっていた。ジェニーが大人の世界に憧れ、無理をしてもそちらへ旅立とうとしたのにも、そんな時代背景があったのだろう。その雰囲気が実によく出ている。

 無論、いつの時代の若者も、爆発しそうな気持ちを抱えているものだが、当時の風俗や風景を正確に再現することも含め、「ビートルズ以前」の雰囲気をきちんと描くことで、時代や国が違う観客が見ても共感出来るのだと思う。

 主演のキャリー・マリガンは撮影当時、22歳だったというが、少女の揺れ動く気持ちを瑞々しく演じていて、16歳の役に全く違和感がない。アカデミー賞の主演女優賞にノミネートされ、「オードリー・ヘップバーンの再来」と言われるのも納得出来る、本物の「新星」だ。その魅力を目にするだけでも、本作を見る価値はある。デイヴィッド役のサースガードも大人の男をある意味嫌らしく演じていて、とても上手い。

 それにしても、「武士道シックスティーン」と本作を見比べて、同じ16歳でもこれほど違うのか、と改めて思ってしまった。描く方の「目線」の違いもあるが、「武士道~」の少女たちがものすごく子供っぽく見えたのである。それが悪いというわけではない。むしろ早く大人にならなければならない社会は、幸せとは言えないのだろう。

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第9地区 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11814.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11814.html#comments Wed, 14 Apr 2010 13:16:05 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11814  ある意味、「裏・アバター」と言えるかも知れない。「アバター」では人間が他の星に行って、姿形を宇宙人に変えてコミュニティーに入り込もうとする。本作では逆に、宇宙人が突然、地球にやってきて、主人公は自分の意思とは無関係に宇宙人に姿を変えられてしまうのである。どちらに真実味があるかと言えば、明らかに本作の方だろう。

 ある日、南アフリカ・ヨハネスブルグの上空に巨大な宇宙船が出現する。そのまま動かなくなったため、人類が中に突入すると、エビのようなエイリアンが難民船さながらに弱ってうごめいていた。エイリアンたちは「第9地区」と呼ばれる場所に隔離され、そこはスラム化してしまう。主人公のヴィカス(シャルト・コプリー)は、エイリアンを強制立ち退きさせるために送り込まれ、ある「液体」を浴びて徐々に体がエイリアンに変わっていく。

 「アバター」も本作も、クライマックスはパワードスーツ(「エイリアン2」(1986)のパワーローダー)装着でのアクションだ。何となく話は似ている。だが、テイストとしてはポール・バーホーベンの「スターシップ・トゥルーパーズ」(1997)の方だろう。リアルな残酷描写とバカバカしいお笑いとのバランスが、同じような感じなのだ。「スターシップ」では軍国主義が笑われていたが、本作では政府の移民や難民に対する隔離政策が笑いの対象となっている。

 設定はとてもおかしい。エイリアンたちは何故かキャットフードに執着する。エイリアンの体を食べてパワーを取り込もうとするギャングの親玉も登場する。豚を投げて相手を倒す場面があったり、エイリアンと人間との異星人間セックスが報じられたりする。

 しかし、これらのお笑い場面が笑えない。舞台が南アフリカでアパルトヘイトを思わせるし、宇宙人は明らかに現実の移民(難民)を連想させる。それらのテーマの重さが、笑おうとする顔をひきつらせる。バーホーベンのように、徹底的な描写があれば、バカバカしさが直撃してもっと笑えたかも知れない。エイリアンへの虐待や異星人間セックスなどの過剰な直接描写は、この場合必要であったように思う。ちょっと大人しい印象なのだ。

 そういうことを差し引いても、とてもよく出来た作品だ。テレビニュースやビデオカメラの映像をそのまま使ったPOV(ポイント・オブ・ビュー)の手法は、リアリティーを出すのと同時に、マスメディア批判にもなっている。「クローバーフィールド」(2008)のようにすべてがPOVで撮影されているわけではなく、疑似ドキュメンタリーが自然にドキュメンタリータッチの映像に変わっていくのがいい。

 エイリアンたちの居住区がバラック小屋のように薄汚いのがリアルだ。体が吹き飛んだり、手がちぎれたりといったスプラッター場面もある。パワーローダーでのアクションは、「スターシップ・トゥルーパーズ3」(2008)などとは比べものにならないくらいよく出来ている。「アバター」にも匹敵すると思う。

 主人公がいわゆるヒーローでないのも良かった。エイリアンを虐待するとても嫌な奴として登場し、最後を除けばほとんど自分のことしか考えていないのだが、普通の人間とはそういうものだろう。すぐに改心してしまうのではうそ臭い。そういう意味で、ストーリーは「アバター」よりも納得出来る。

 話は違うが、最近なぜ、タイトルに「9」が付く作品が多いのだろう。今春になって、「NINE」「第9地区」「9」と、ジャンルは違うが公開が3本続いている。3つの9は逆さにすると「オーメン」で広く知られるようになった悪魔の数字「666」となり、何となく不気味だ。

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ダーリンは外国人 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11790.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11790.html#comments Mon, 12 Apr 2010 09:44:45 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11790  タイトルからして当然、国際結婚にまつわる様々な困難を乗り越えて結ばれるカップルの話だと思うだろう。ところが本作には、国際結婚に特有の困難は、ほとんど描かれていない。もっと普遍的な家族の物語になっている。そこがとても良かった。

 漫画家を目指すイラストレーターのさおり(井上真央)は、語学オタクの米国人ライター・トニー(ジョナサン・シェア)と結婚を考え、同棲を始める。さおりの母(大竹しのぶ)や姉(国仲涼子)はトニーを気にいるが、父(國村隼)は「国際結婚なんて許さない」と反対する。さおりは父が反対していることをトニーに言えなかった。さおりが漫画家としてデビューした直後、父が倒れる。

 原作は実際に米国人と国際結婚している小栗左多里が、自らの体験を描いたコミックエッセイだ。そのため、トニーが日本語に疑問を持ったり、感動したりするポイントが、「作り物」の感じがせず、リアルで面白い。「『やれああしろこうしろ』の『やれ』って何?」「『ぶん殴る』って、なんで『ぶん』なの?」「抜かれるなら、度肝がいい!」など、原作者の夫が本当に言った言葉が基になっているのだろう。着眼点が(当たり前だが)外国人らしくて、「なるほどなあ」と思わせる。

 そして、さおりとトニーがすれ違っていく原因が、「国際結婚」特有の文化の違いなどではなく、実に些細なことであるのがいい。洗濯物の干し方や食器の洗い方なのだ。さおりは不満に思っても、「せっかくやってくれているのだから」とトニーに言えない。トニーにとっては「なぜ言ってくれないのか」とそれがまた不満になる。相手が外国人だから起こるわけではない。他人と暮らした経験がある人なら、多かれ少なかれ、誰でも思い当たるだろう。こうしたエピソードがあるからこそ、全体としては他愛のない話であっても、主人公に素直に共感できるのだと思う。

 気になったのは、ところどころでドラマが中断し、本物と思われる国際結婚の夫婦たちが登場し、インタビューに答えるという構成。この部分はドキュメンタリーのようになっていて、ドラマにリアリティーを与えたかったのかも知れないが、かえって邪魔に感じられた。また、トニーが仕事をしている場面がほとんど描かれないのも違和感があった。家事をしている場面ばかりで、外で何をしている人なのか、よく分からないのである。

 主演の井上真央は、テレビドラマでの演技が好きでなかったが、本作ではとても魅力的に、輝いて見えた。明るい頑張り屋の役柄が合っていたのだろうか。意外に(と思うのは私だけなのかも知れないが)、巨乳でもあった。

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月に囚われた男 - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11789.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11789.html#comments Mon, 12 Apr 2010 09:44:29 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11789  優れたSF映画は、常に哲学的な問いを内包している。本作もそうだ。「存在」とは何かという、根源的な問いを投げかけてくる。

 サム・ベル(サム・ロックウェル)は月でたった一人、エネルギー採掘の仕事を続けている。3年間の契約期間があとわずかで終わるというとき、事故が起きる。ロボットに助けられ、気がつくと基地の診療室に寝かされていたが、すぐそばに自分にそっくりな男がいた。

 ダグラス・トランブルの秀作SF「サイレント・ランニング」(1972)を見たとき、宇宙は途方もなく寂しい、と思った。同じ雰囲気を、本作にも感じた。荒涼とした月の風景、無機質な基地内。一緒にいるのは人工知能のロボットだけだ。それで十分に寂しいのだが、「もう一人の自分」が登場したことで、主人公は自分の存在が「無」ではないかと気づく。底なしの寂しさがぽっかりと、穴を開けるのである。

 監督はこれがデビュー作となるダンカン・ジョーンズ。ロック界の大物、デビッド・ボウイの息子だ。本作で、エジンバラ国際映画祭新人作品賞、シチェス・カタロニア国際映画祭の作品賞、主演男優賞、美術賞、脚本賞、ナショナル・ボード・オブ・レビューの新人監督賞、ブリティッシュ・インディペンデント・フィルム・アワードの新人監督賞、作品賞など、様々な賞を受賞した。それも納得できる。月面車で走る場面や、基地内の描写など、インディペンデント作品にもかかわらず、特撮がなかなかよく出来ている。謎もサスペンスも、ロボットとの友情もあって、最後まで飽きさせない。

 最近のSFは派手なCGを見せるばかりの子供向けの作品が多いが、本作はイギリスらしい、大人のSFに仕上がっている。もう少しスケール感のある映像があればとも思うが、低予算で新人が作ったSFとしては成功だろう。ハッピーエンドとも、そうでないともとれるラストが余韻を残す。

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ゼブラーマン -ゼブラシティの逆襲- - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11788.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11788.html#comments Mon, 12 Apr 2010 09:44:18 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11788  三池崇史監督作「ヤッターマン」(2009)は、深田恭子が演じるドロンジョが余りにも魅力的だった。私も含め、もうストーリーなどどうでもいいから、ドロンジョだけを見ていたい、と思った人も多かったはずだ(と思う)。そんな人にとって、本作は理想の作品だ。ドロンジョよりもセクシーで魅力的な仲里依紗の「ゼブラクイーン」と「ゼブラウーマン」を、たっぷりと見ることが出来るからだ。

 西暦2025年。記憶を失った市川新市(哀川翔)は、路上で目覚める。そこは東京都知事の相原公蔵(ガダルカナル・タカ)が君臨するゼブラシティだった。朝夕の5分間にゼブラタイムが導入され、警察官は無条件で民間人を撃ち殺していいとされていた。ゼブラシティの広告塔は相原の娘・ユイ(仲里依紗)。ゼブラクイーンとなって歌い、ヒットチャート40週連続ナンバー1になっていた。市川はゼブラタイムの犠牲者を匿う「白馬の家」のメンバーとともに、ゼブラシティと戦い始める。

 冒頭から、黒のボンデージ・ファッションに身を包んだ仲里依紗が歌い踊る。まるで彼女のプロモーション・ビデオだ。これが、実にいい。スタイリストの松本智恵子、ヘアメイクアーティストの冨沢ノボルが最高にカッコいいゼブラクイーンを作り上げ、ライブ映像を安室奈美恵のPVを手がける久保茂昭が監督している。ああドロンジョにもこれをやって欲しかった、と思う。ここで一気に作品世界に引き込まれてしまった。この冒頭のシーンこそ、本作の真のクライマックスと言っていいかも知れない。

 監督・三池崇史と脚本・宮藤官九郎のコンビは、前作同様、ヒーローものの展開に則りながら、様々なブラック・ユーモアを炸裂させる。次第にエスカレートして、最後の方はワルノリと思えるほどだ。そこを楽しめるかどうかが、本作の評価の分かれ目だが、私は大いに楽しんだ。ゼブラタイムに国会議員が「プロレス」をしているちょっとエロティックな場面など、三池監督らしい逸脱がいい。人間を遠心分離器にかけて「善」と「悪」に分けるという発想もすごいし、別れた「善」と「悪」を再び合体させるときのオヤジギャクみたいなお笑いも面白い。

 細部のインパクトに比べ、全体のストーリーにまとまりがないのは、いつもの三池作品と同様だ。「白馬の家」の田中直樹や井上正大、都知事役のガダルカナル・タカらのキャラクターも今一つピンとこないのだが、みんな仲里依紗を引き立てるための脇役と考えればいい。どうせなら彼らの出番を減らして、ゼブラミニスカポリスにもっと活躍して欲しかった。そして次は是非、仲里依紗の「ゼブラウーマン」を主役に撮ってもらいたい。

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ザ・ウォーカー - 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11782.html http://www.cinemaonline.jp/review/tsuu/11782.html#comments Fri, 09 Apr 2010 19:10:50 +0000 小梶勝男 http://www.cinemaonline.jp/?p=11782  監督のアルバート・ヒューズとアレン・ヒューズは双子の兄弟だという。製作がジョエル・シルバーで監督が兄弟と聞けば、「マトリックス」シリーズのウォシャウスキー兄弟を思い出すが、ヒューズ兄弟も彼らに負けないくらい映画マニアであるようだ。様々な映画へのオマージュを感じさせる。それがストーリーにうまい具合にはまっているのに感心した。日本の「あの映画」へもオマージュが捧げられているが、「落ち」に関わることなので、タイトルが言えないのが残念だ。

 舞台は「マッドマックス」や「北斗の拳」を思わせるような、最終戦争によって荒廃した世界。ウォーカー(デンゼル・ワシントン)と呼ばれる男は、世界でたった一冊残る「ある本」を運ぶため、30年間にわたり旅を続けていた。途中、カーネギー(ゲイリー・オールドマン)という独裁者に支配された町を通りかかる。カーネギーは人々を精神的に支配するため、「本」を手に入れようとする。

 「あの映画」「ある本」のような表現ばかりになってしまうのをお許し願いたい。本作の場合、ストーリーはなるべく知らない方が楽しめると思う。

 ヒューズ兄弟は「フロム・ヘル」(2001)のスタイリッシュな映像が印象的だが、本作でも、半ば朽ちかけた都市や、マカロニウエスタンに出てくるような荒れ果てた町の描写が実にいい。バイクのならず者たちに、通りがかりの夫婦が襲われ、殺されるのを、ワシントンが遠くから見ている場面には、妙なリアリティーがあった。あくまでも遠くから撮っているのがいい。カメラが寄らないからこそ、遠くの方から、暴力と血の臭いが漂ってくる。

 ワシントンは、「サブウェイ123 激突」(2009)の腹が出た、家庭的な鉄道マンのときとはがらりと変わって、体型も顔も見事に引き締め、若返っているのが偉い。マチェーテ(山刀)風の刀を使ってのソード・アクションもなかなか様になっている。このソード・アクションは「落ち」とも関係していて、映画を見終わって「なるほど」と思うはずだ。体技の基本的な動きは、「ボーン・アルティメイタム」(2007)のジェフ・イマダと、ブルース・リーのマーシャル・アーツ「ジークンドー」を継承するダン・イノサントが指導したという。今年はリー生誕70周年でもある。残念ながらリーをはっきりと感じる動きはなかったが、一部とはいえ、今も映画のアクションにジークンドーが使われていることが感動的だ。

 一方、町のボスを演じたオールドマンは、支配に「本」の力を利用しようとするところなど、単なる悪役ではない、癖のあるキャラクターを作り上げている。このキャラは好みの別れるところだが、なかなか面白いと思った。盲目の女性役のジェニファー・ビールス、その娘役で「第2のアンジェリーナ・ジョリー」とも呼ばれるミラ・クニスなども魅力的だ。

 基本的にはアクション映画なのだが、人間を食べて生きている夫婦が登場するなどホラーの味もある。人を食べ過ぎると手が震えるという設定が生々しくて怖い。この夫婦の家にウォーカーが立てこもったため、カーネギー一味が大量の弾丸を打ち込む場面は、クリント・イーストウッドの秀作「ガントレット」(1977)を思い出すほどの凄まじい迫力だった。

 ラストにウォーカーの「ある事実」が明かされる。その瞬間、映画の意味が変わって見える。「ある事実」が分かってもう一度見ると、様々な場面が「そうだったのか」と思い当たるようになっている。

 ドラマとアクション、スタイリッシュな映像がうまくかみ合って見応えのある作品だったが、最大の難点は、「本」の意味が日本人には今一つピンとこない点だろうか。

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