渇き - 岡本太陽
◆鬼才パク・チャヌク監督によるリアルなセックス描写が魅力の異色ヴァンパイア映画(80点)
ヴァンパアが血を欲しがる衝動は常に性的な臭いを持つ。記憶に新しい映画『トワイライト』シリーズでも主人公の少女がヴァンパイアに噛まれる事をセックスに例えて演出している。その傾向は第62回カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した異質な韓国産ヴァンパイア映画『渇き(英題:THIRST)』にも見られるが、本作ではフランスの自然主義文学家エミール・ゾラの小説「テレーズ・ラカン」の展開に沿って、その血と欲望の切り離せない関係を斬新な切り口で描いてゆく。
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◆男は、酒に溺れ、女に頼り、現実逃避しようともがくが死に切れない。弱い自分を許容する女たちを直感的に見極める能力で世の中を渡っていこうとする。しかし、あえて感情を抑えた演出からは彼の苦悩や葛藤は伝わってこない。(40点)
酒に溺れ、女に頼り、いつも現実逃避しようともがいているにもかかわらず死に切れない。弱い己に甘え、それを許容する女たちを直感的に見極める能力で世の中を渡っていこうとする。しかし、あえて感情を抑えた演出からは主人公の苦悩や葛藤は伝わってこない上、ヤマ場の乏しいエピソードの連続は退屈を通り越してウンザリしてくる。まあ、このダメ男の遍歴をダラダラと見せて、観客にも彼が内包する人生に対する苦痛を味あわせようとしているのなら、その目論見は成功しているが。。。
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◆運命は仲のよい兄弟のどちらか一人を選ぶためにPKを課すが、兄弟はそれに抗うかのような結果を出す。青年期を過ぎた2人に突然舞い降りたチャンス、彼らの「夢を追うのに遅すぎることはない」という前向きな姿がうらやましい。(40点)
右を狙うか左を抜くか? PKというキッカーとゴールキーパーの1対1の対決は二者択一のよう。運命は仲のよい兄弟のどちらか1人を選ぶために彼らにPK を課すが、兄弟はそれに抗うかのような結果を出す。貧しいながらも大家族に恵まれ、もはや青年期は過ぎた2人に突然舞い降りたチャンス。彼らの「夢を追うのに遅すぎることはない」という前向きな姿がうらやましい。熱くも湿っぽくもないが常に幸福をみなで分かちあう血縁の絆を大切にするメキシコ人気質に、充足はカネでは買えないことを教えられる。
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◆執拗に熱い視線を絡ませる男と女。男はその女にファム・ファタールの予感を覚え、官能に溺れていく。細かいカット割りと大胆なカメラワークで、理性を失うほどの狂おしい苦悩にさいなまれていく様子が繊細かつ饒舌に描かれる。(70点)
執拗に熱い視線を絡ませる男と女。男はその女にファム・ファタールの予感を覚え、官能に溺れていく。結婚を間近に控えたエリートサラリーマンが南国の喧騒で出会った女と密会する過程で、映画は恋愛の本質に迫っていく。愛した記憶と愛された記憶、貪るようにお互いの肉体を求める姿は人生のはかなさを象徴しているようだ。細かいカット割りと大胆なカメラワークで、分別を持った大人が、理性を失うほどの狂おしい苦悩にさいなまれていく様子が繊細かつ饒舌に描かれる。
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◆ぶざまにもがき続ける主人公が懸命に走るラストは奇妙なさわやかさを覚えた(60点)
うだつの上がらない青年の“本気”が泣けてくる青春ドラマだ。弱小玩具メーカーに勤める田西は29歳。同僚の女性ちはるに恋しているが、まともに声さえかけることができず思い悩む日々だった。そんなときライバル会社で大手玩具会社のやり手の営業マン・青山が手助けしてくれる。いい雰囲気になったのもつかの間、ちはるの誤解を招く大失敗をやらかした田西はフラれてしまう。そんなある日、青山がちはるを横取りした上、もてあそんで捨てたことを知る…。
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◆ギリシア神話の神々やクリーチャーが現代の米国によみがえる(70点)
『ホーム・アローン』や『ハリー・ポッター』シリーズのクリス・コロンバス監督が、ギリシア神話を題材にした同名の児童文学を映像化。17歳のパーシー・ジャクソンは、メトロポリタン美術館で古代ギリシアの展示を見学中、突如、翼の生えた怪物に襲われる。思わぬ人物の助けで危機を脱したパーシーは、自分が海神ポセイドンと人間とのハーフであること、全能の神の最強の武器<ゼウスの稲妻>を盗んだ疑いをかけられていることなどを聞かされて……。
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◆ディズニーが手描きアニメに回帰(70点)
ディズニー映画の衣鉢を継いだ物語なら、プリンセスが醜いカエルにキスしたところで、カエルが王子様の姿に戻るのが常道。その種のおとぎ話を臆面もなく是とするディズニー・スピリットは、ドリームワークスに『シュレック』という傑作パロディを作らせるほど、あまねく広く流布している。『プリンセスと魔法のキス』は、ディズニーがそれを逆手に取った新作。呪いが解けるどころか、プリンセス(と勘違いされた娘)までがカエルになってしまったところから始まるファンタジーだ。
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◆ユーモアあふれるドラマをテンポよく展開する一方で、その背景に、急速に広がる所得格差や加熱するサッカー人気など、メキシコならではのお国柄や社会状勢を盛り込んでいる(70点)
アルフォンソ・キュアロン監督作品「天国の口、終りの楽園。」(2001年)といえば、熱気と寂寥(せきりょう)が錯綜する青春ロードムービーの傑作。本作「ルドandクルシ」は、「天国の~」で脚本を担当したカルロス・キュアロン(アルフォンソ・キュアロンの弟)が初めてメガホンを取った、喜怒哀楽を濃縮パックしたヒューマンドラマ。主演には「天国の~」のガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナを再び起用した。
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◆何だかふざけたような陽気な名前だがこの屈託のなさがメキシコという国、ひいてはこの製作会社の第一弾である本作の魅力だ(60点)
いいかげんだが憎めないダメ兄弟の夢と現実を描く物語は、ラテン系らしい大らかさがある。メキシコの片田舎のバナナ園で働くベトとタトの兄弟は、草サッカーに熱中しながら、貧しくも楽しい日々を過ごしていた。偶然スカウトの目に留まり、2人は相次いで大都会メキシコシティでプロ・サッカー選手になる。兄のベトはルド(タフな乱暴者)、弟のタトはクルシ(ダサい自惚れ屋)と呼ばれ活躍するようになるが、兄はギャンブルに、弟は女の誘惑に惑わされて…。
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◆失踪した女と小さな町で暮らす男、波長の違う世界の男女が出会い、お互い己にないものを相手に発見し、惹かれあう。その気持ちは好意なのか恋なのか、まだ人生の機微がわからない若者が人の心の繊細さと複雑さに気付いていく。(50点)
プレッシャーに耐えきれなくなり突然すべてを投げ出した女は、都会での生活に未練もあり、自分を探し出してくれることを願っている。小さな町で暮らす男は、人々に愛され、そこが自分の居場所と決めて生きている。そんな波長の違う世界の男女が出会い、お互い己にないものを相手に発見し、惹かれあう。その気持ちが単なる好意なのかそれとも恋なのか、はっきりと確かめることなくふたりは距離を縮めていく。台湾の豊かな人情を背景に、まだ人生の機微がわからない若者が人の心の繊細さと複雑さに気付く過程で、自分を捨てた母親の心情に思いをはせていく。
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◆俳優たちは素のままの話し方で演じ、まるでフランスの自主映画のごとく極めて個人的な人生の一瞬を切り取った日常のスケッチは、感情を強調しないがゆえのリアリティに満ち、レンズの細かな揺れでヒロインの心の動きを描く。(50点)
クローズアップを多用した寡黙な映像と、取り留めのないおしゃべりが延々と続く饒舌な食卓。冬の北海道、雪に埋もれながらそこに生きる人々の息遣いをハンディカメラに収める。俳優たちは演技をしていないような素のままの話し方で演じ、まるでフランスの自主映画のごとく極めて個人的な人生の一瞬を切り取った日常のスケッチは、感情を強調しないがゆえのリアリティに満ち、レンズの細かな揺れでヒロインの心の動きを描く。変化の少ない生活、着信のないケータイ、新たな出会い、そして事件。限られたセリフと視線だけで人間の繊細な心情を表現し、愛の切なさを浮かび上がらせる。
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◆マンションの一室で共同生活しているのに、お互いの事情をほとんど知らない若者たち。それはお互いに他人の内面に踏み込もうとしないから。「真実という言葉に真実味を感じない」というセリフに彼らの関係が凝縮されていた。(50点)
マンションの一室で共同生活しているのに、お互いの事情はあまりよく知らない。それは心の中にだれかが踏み込んでくるのが嫌で、自分も他人の内面に関わろうととしないから。表面上は仲がよく心配をしているが、あえて濃い人間関係を築かないことで均衡がとれている危ういバランスでしかなく、そのルールを全員が了解している。映画はそんな若者たちの平和な暮らしに現れたひとりの闖入者とともに、人間の本性とは何かを考察する。「真実という言葉に真実味を感じない」、登場人物が口にするセリフがいちばん真実味を帯びていた。
美しい自然描写が持ち味のジェンチイ作品らしく、霧雨にけむる街並みや緑の陰影、幻想的な天灯祭りなど、思わずハッとするような映像美にあふれている(60点)
連続女性殴打事件が世間をにぎわせているころ、直樹、良介、未来、琴美の男女4人が暮らす2LDKのマンションにサトルという少年が転がり込んでくる。やがて良介には彼女ができ、琴美は妊娠、未来は大切にしていたビデオを上書きされるなどの変化が起き、みな年長の直樹を頼り彼に相談する。
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◆美しい自然描写が持ち味のジェンチイ作品らしく、霧雨にけむる街並みや緑の陰影、幻想的な天灯祭りなど、思わずハッとするような映像美にあふれている(60点)
台北北部の小さな町が舞台の淡い恋物語は、美しい映像に癒される小品。ローカル線の終着駅である菁桐(チントン)に降り立った大陸育ちの新人歌手のメイ。彼女は突然声が出なくなり、誰にも告げずに台北を飛び出してこの田舎町にやってくる。一方、孤児として育った青年モウは、町の人々の役に立ちたいと、何でも屋として働いている。まったく違う世界に住む二人が偶然出会い、互いに惹かれていくが…。
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◆意外にも3Dがすごい(60点)
立体映画元年などともてはやされるデジタル3Dだが、『コララインとボタンの魔女 3D』はそれに昔ながらのストップモーション・アニメーションを組み合わせた一品。ストップモーション・アニメとは、被写体を1コマずつ撮影することで、粘土人形やぬいぐるみなどを、あたかも動いているように見せかける特撮技法のこと。CGで何でも動かせる現代においても、撮影者の技術や個性によって独特の「味」が出るこの手法の愛好者は多く、こうしてときおり新作が登場する。
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◆ルームシェアする若者たちの、どこか異質な関係(55点)
日本の都市部の家賃は世界的にみても高額だが、欧米のようにルームシェアが普及することはあまり無い。間取りや国民気質の問題もあるが、不動産関連の慣例や契約が案外ガチガチで、居住者ががんじがらめにされているのも理由のひとつだろう。
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