夫婦・親子といえども所詮は他人、お互いに関心を示さず、また受け入れなければその関係は薄れていく。それぞれが隠し事をして本心を話すことをせず、たまに全員そろうことがあっても言葉は少なめで会話は弾まない食卓。本来、団欒の間であったはずのリビングルームには寂寥感が漂い、黄色系を強調した荒涼とした映像がこの家の直面する現在を物語る。展望のない未来と、澱のようにたまった過去。そこに暮らす人々が必死にもがく姿を通じて、家族には何が必要なのかを模索する。
トウキョウソナタ - 福本次郎
イントゥ・ザ・ワイルド - 福本次郎
◆文明や貨幣を否定し、大自然の中で究極の自由を得る。何者にも束縛されない魂、それは一方で食料は自力で調達するということ。人生の真理を求めて旅する若者が体験する生の実感と死の恐怖を通じて、生きる価値とは何かを問う。(60点)
物質文明や貨幣経済を否定し、あらゆるしがらみを絶つことで大自然の一員となり究極の自由を得る。何者にも束縛されない魂の彷徨、それは一方で食べるものは自力で調達しなければならないということ。社会の義務から解放されても栄養を取るという行為にはより負荷がかかり、精神の高揚とは裏腹に肉体の力は失われていく。人生の真理を求めてアラスカの荒野に挑んだ若者が体験する生の実感と死の恐怖を通じて、生きる価値とは何かを問う。荒々しくも美しい風景のなかで、大地と人間の対比を余すことなくとられたカメラがすばらしい。
コッポラの胡蝶の夢 - 福本次郎
年若い者は自分が成功する夢を見るが、年老いたものは自分が成功した夢を見る。すべてを捧げて打ち込んできた仕事がたいした成果を得ることなく命が時間切れになる瞬間、脳内ホルモンが自分を理想の姿に変えてくれる。それは幻覚に過ぎないのだが、記憶の奥に眠る出来事から未来まで仔細によみがえらせて不思議なまでのリアリティを持つ。もう一度人生をやり直したい、そして今度こそ思い描いた結果を残したいと願う主人公のはかない夢。この世に未練を残させまいとする神の計らいなのか、肉体と精神を死の苦痛から解放しようとする遺伝子の作用なのか。
死にぞこないの青 - 福本次郎
傷ついた少年の心のように、右半分がつぶれ顔に両手を拘束された青い少女の幻影。彼女は少年の分身、彼の弱さを補うもうひとりの自分。その怖ろしい姿に最初はひるんでいたのに、少年はやがて彼女を受け入れアドバイザーとして行動を共にするようになる。明るく元気だった子が、たいした理由もなく突然先生やクラスからいじめの対象にされる不安と恐怖、そして克服するには誰かに背中を押してもらう必要があることをホラータッチで描く。少年の中のネガティブな思考と、闘わなければ変わらないという気持ちが交互に現れる心理が繊細に再現される。
パンダフルライフ - 福本次郎
たらふく竹を食べては仲間とじゃれあい、弛緩した姿で昼寝をする。子供たちはミルクを飲み丸々と太った体を転がしながら遊んでいる。ぬいぐるみのように愛くるしいけれど、個体数は激減し人工施設で増加計画が進められているジャイアントパンダ。彼らの一年を通じての成長を追うと共に、ずっと動物園育ちでも本能を失っていない動物を飼育することの難しさをカメラに収める。飢えも外敵もなく、安全で快適なはずでも、ある年齢になると野生の心に目覚めるところが切ない。彼らは竹の生い茂る山に戻されるのだろうか。
20世紀少年 第1章 終わりの始まり - 福本次郎
まだ新宿近辺にも原っぱがあった高度経済成長期から、バブル後遺症に苦しみながらも物質的には豊かな生活を享受していた1997年、そして世紀末東京のカタストロフィまで、ディテールに凝ったビジュアルに目を見張る。特に羽田空港や国会議事堂の爆破、巨大ロボットによる街の破壊などのパイパーリアルな映像は炎や煙、瓦礫の飛び散る方向に至るまで緻密な計算で再現されていて、その情報量は人間の視覚では処理できないほどだ。しかし、そこで描かれる物語はやたらに時系列が前後する上に登場人物の人間関係が複雑に絡み合い、間延びしたエピソードが映画のテンポを殺いでいる。
デイ・オブ・ザ・デッド - 福本次郎
全速力で疾走し、高くジャンプして襲い掛かる。さらに壁や天井を這いまわり人間たちを追い詰め、その肉を喰らう。ウイルスに感染したゾンビたちは理性を失う代わりに抜群の身体能力を身につけ、頭部が残っている限り決してあきらめない。映画は、少数の悲感染者のサバイバルランの途中でゾンビたちを殺しまくる一方、仲間が一人また一人と脱落していくという「ゾンビもの」の定型をなぞりながらも、スピードとスリルを増幅させる工夫が満載だ。また、ベジタリアンはゾンビに噛まれてもても、肉を食べないために人間を襲わないという設定が笑える。
インビジブル・ターゲット - 福本次郎
走行中の自動車に体当たりし、屋根の上を走り、高いビルから飛び降り、炎の中で闘う。ひとつ間違えば大ケガ必至だが、観客を楽しませるために命がけのスタントに挑む作り手の熱い魂を感じる。格闘シーンも極力ワイヤーに頼らず、出演者が生身の肉体を総動員して、突きや蹴り、投げ技から関節技まで攻撃を受けたときの痛みが伝わってくるようだ。それらの場面が息つく間もなく連続し、スクリーンから一瞬たりとも目が離せない。まさに香港映画の原点に戻ったようなサービス精神満点の作品だ。
闇の子供たち - 福本次郎
売春宿の用心棒が商品となる子供たちを移送中に「みなしごのバラード」を口ずさむ。彼もまた幼いころに売り飛ばされ、数え切れないほどの客を相手にしたのだろう。その歌詞の如く、あたたかい人の情けなどとは無縁に育ち、今ではボスの手先となって自分が子供たちを搾取し、虐待する側に回っている。過去から受け継がれた悪循環が未来へ連鎖していくという悲劇をワンシーンで表現する見事な演出だ。目の前の子どもを助けて良心を満足させるのか、大局を俯瞰するのか。そんな日本人同士の葛藤が偽善に思えてくるほど、当事者であるタイ人には児童買春は日常の一風景になっている。ここでは人間の値段は驚くほどに安いのだ。
落語娘 - 福本次郎
セクハラ、中傷、イジメ、無視・・・。まだまだ前時代的な風習が根強く残る男の世界に飛び込んだ若い女に浴びせられる露骨ないやがらせ。それでも笑顔で受け流し自分の話術を磨くことに精進する。人を笑わせるために悔し涙を心の中に封印したヒロインの凛とした姿勢のよさと、登場人物になりきってめまぐるしく変える表情に思わず引き込まれてしまう。彼女が公園で子供たちを前に顔をくしゃくしゃにして「寿限無」語るシーンには、落語の奥深さと前座噺家の悲哀がこもっていて圧巻だった。
ハンコック - 福本次郎
空を飛べば標識やビルを壊し、着地すれば道路に穴をあける。凶悪犯を捕まえたり、困っている人を助けても、周囲から迷惑者とし扱われている。超人能力を持ちながらその力を持て余し、社会のために使っているのに誰からも理解されない。そんな、他人と違うがゆえの孤独にさいなまれる主人公の感情がリアルで切ない。パワーはどうして得たのか、なぜ肉体が老化しないのか、彼の自分探しと、人間らしい気持ちを取り戻す過程を通じて、心を開けば決してひとりではないと教えてくれる。
デトロイト・メタル・シティ - 福本次郎
ギター片手に甘いラブソングを熱唱していたい青年が、いつの間にか意に沿わないハードロックでスターになっていく。その見かけや歌の内容のギャップゆえに、誰にも打ち明けられない鬱憤が積み重なって彼を精神的に追い詰めるが、周りの人々の熱い思いに助けられて苦しみを克服する。物語は、突飛な設定の中にも気弱で優しい主人公の気持ちが繊細に描かれている上に、エピソードの端々にちりばめられた笑いのセンスが抜群。彼が自らの運命に目覚める過程を見事なコメディに昇華している。
小さな赤い花 - 福本次郎
一列に並んで溝の上にしゃがみ、いっせいに排便する。いかに躾とはいえ、まさしく国家による人民管理の縮図だ。さらにあらゆるルーティンは先生の笛の合図で定義され、従わない者は褒美がもらえない。そこは個人より全体が優先され、自由より服従が強いられる社会主義体制が目指す「ものを考えない国民」の製造工場だ。中国のある幼稚園、幼いころから大人=共産党に忠誠を誓うことを叩き込まれる過程を通じて、子供たちの繊細な心や想像力を抑圧することの恐ろしさを説く。
楽譜を賭けてのピアノ・バトルは圧巻(60点)全寮制の幼稚園に入園したチアンチアンは、厳しい李先生になかなかなじめない。周りの子供たちをいじめたりケンカが絶えず、仲間はずれにされてしまう。やがてチアンチアンは李先生が妖怪だと言いふらし、他の園児と共に妖怪退治を計画する。
ラストゲーム 最後の早慶戦 - 福本次郎
早大応援席から湧き上がる「若き血」、それに応える慶大応援席の「都の西北」。今度はいつ野球ができるかわからないという切ない思いが、相手チームの健闘を称え、残された時間をいとおしむ。ボールを追っているときだけは戦争のことが忘れられる、このゲームが永遠に終わらなければいい、そんな野球に青春を捧げた青年たちの胸のうちが熱いうねりとなって球場にほとばしる。ただ、最後の早慶戦をしたいという熱意は柄本明扮する野球部長のほうが入営する学生たちよりも強く、部員たちの野球への情熱がイマイチ伝わって来なかった。
レス・ポールの伝説 - 福本次郎
超絶的な演奏テクニックだけでなく、エレキギターの発明でギターの持つ可能性を無限大に引き出し新たなサウンドを生み出した上に、多重録音という技術を思いついたアイデアマン。90歳を過ぎた今もブロードウェイの舞台に立ち、軽妙な語りと懐かしい音楽で聴衆を魅了するミュージシャン。キース・リチャーズやポール・マッカートニーにまで彼の存在なしでは現代音楽の隆盛はなかったと言わしめる、いまや生きる伝説となったレス・ポールの毀誉褒貶に満ちた人生を振り返る。






















